1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 押井守の映画50年50本

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今夏出版予定の『押井守の映画50年50本』(立東舎 刊)から1988年の1本をピックアップ。押井監督が選んだ作品は、なんと、富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 「ガンダムファンじゃない人もぜひ見てほしい」と語る押井監督の“トミノ愛”が炸裂します。意外な裏話も満載です。

※本インタビューは、立東舎の公式サイト(http://rittorsha.jp/)に掲載された記事・写真の転載です。

「人類を粛正してやる」という富野さんの本音

――そもそも押井監督は『ガンダム』が好きなのですか?

押井 最初の『機動戦士ガンダム』(79-80)と『機動戦士Zガンダム』(85-86)、『機動戦士ガンダムZZ』(86-87)までは見ていた。そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』(94-95))とか、宝塚のガンダム(『新機動戦記ガンダムW』(95-96))とかいろいろあるけどさ。ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。それでも『逆襲のシャア』は劇場に観に行った。映画館にアニメを見に行くという行為自体が、いまは全然ないけど、当時も滅多になかった。だけど『逆襲のシャア』は見に行ったんだよ。

――どういう経緯で見に行ったんですか?

押井 伊藤(和典)くんの話を聞いて、見に行くことにしたんじゃなかったかな。伊藤くんがボロクソに言ったんだよね。序盤で「天誅!」とか「ネオ・ジオン万歳!」とか言ってテロ行為をする場面があるでしょ。伊藤くんは「あの天誅の場面でものすごく嫌な気分になった」と言ったんだよ。「ああいうセンスが耐えられない」って。伊藤くんはもともとサンライズで制作進行をやっていた人間なんだよ。高橋良輔さんが監督した『サイボーグ009』(79-80)の制作進行をしていたんだよね。伊藤くんは『009』大好き男なんだけど、良輔さんの『009』がイヤでイヤで、それでサンライズを辞めて、ぴえろに移ったわけ。僕もタツノコプロからぴえろに移動して、そこで進行をしている伊藤くんと知り合った。僕が伊藤くんを文芸に推薦したんだよね。

――ああ、そうだったんですか。

押井 そもそも伊藤くんはなぜ『逆襲のシャア』を見に行ったんだろう? 当時『機動警察パトレイバー』の最初のOVA(89-90)の脚本を書いていたから、参考になると思って見に行ったのかもね。その伊藤くんがボロクソに言ったから、興味が湧いた。だから見に行った。見たら、ちょっと驚いた。「富野さん、遂に本音で作ったんだ!」ってね。この『逆襲のシャア』は、富野さん会心の1作だと思うよ。このあとも『機動戦士ガンダムF91』(91)とかを作ったけどさ、これがいちばん富野さんらしいというか、富野さんの本音がモロに出ている。それは何かといえば、シャアの「人類を粛正してやる」という台詞のことだけど。僕はすごく気に入った。富野さんがそこまで人類に絶望しているんだなって分かったから。

僕も宮さんも富野さんのことが大好き

押井 庵野(秀明)が同人誌を作ったんだよね(※1993年刊『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア友の会』)。世間では『逆シャア本』と呼ばれているんだけど。それで庵野が「インタビューさせてくれ」って言ってきた。「ほかならぬ『逆襲のシャア』なら何時間でも語るよ」と快諾したんだよ。で、めちゃくちゃ褒めた。

――いまや伝説の同人誌ですね。

押井 僕が『逆襲のシャア』を褒めたから、庵野が首をかしげちゃって(笑)。インタビューを依頼してきた人間なのに「なんでそこまで褒めるんだ!?」と言うわけ。「なんか企んでませんか?」って。いや、本当に、それぐらい僕は『逆襲のシャア』がお気に入り。お気に入りというか富野さんの本音に共感できたんだよね。薄々感づいてはいたんだけど、愛だの何だのという人ではないんだよ。絶望を語る人なんだよ。「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。

――笑。

押井 ずっとロボットアニメをやってきた富野さんだから許される台詞であり、納得できる台詞なんだよ。

――なるほど。そうですよね。

押井 富野さんのアニメは、延々としゃべっているからね。アクションしながら議論している。僕どころじゃないよ(笑)。「押井映画は台詞が多すぎる」ってしょっちゅう言われるけどさ、「だったら、なんで富野さんのことを誰も文句を言わないわけ?」って話だよね。

――恨んでいるんですね(笑)。

押井 恨んでないよ。共感しているんだよ。僕は富野さんのことが好きなんだよ。実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。宮さんと富野さんって、実は仲良しなんだよ。

――ええっ!?

押井 これ、面白いでしょ? 宮さんは虫プロが大嫌いだから、出崎統さんとか『あしたのジョー』(70-71)とかが大嫌いなんだけど、虫プロ出身の富野さんのことだけは大好きだった。宮さんは苦労人が好きだし、富野さんが虫プロで苦労していたからという背景もあるんだろうけどさ。

富野さんが本音を隠す理由

押井 僕も宮さんも富野さんのことが大好きだけど、富野さんは自分を卑下しがちだよね。つくづく屈折している人だよ。

――といいますと?

押井 根性が曲がっているという表現は正しくないけど、富野さんは「アニメ屋ごときが」とか「自分は作家になれなかった人間ですから」とよく言うでしょ。「所詮はおもちゃ屋の宣伝映像を作っているだけですから」とかね。むかしはアニメーションという業界自体が社会の吹き溜まりではあったんだよ。挫折した人間が寄り集まって傷口を舐め合っている感じだった。そういう意識が横行していた時代だったし、富野さんはその意識をいまだに引きずっている人。僕がアニメ業界入りした頃もそうだったんだけど、僕はその自嘲的な意識がイヤでイヤで耐えられなかった。「なんでそんなコンプレックスを持たなきゃいけないんだろう?」と僕は思っていたし、いまもそう思っている。自分の仕事にもっと自信を持っていいはずだよ。う〜ん。だから、富野さんのことは好きだけど、「会いたいか?」と言われると、微妙だね(笑)。会って、ケンカになったこともある。うちの姉ちゃん(最上和子)が2007年の上野のロボット博で舞踏をやったときに、富野さんが見に来てたんだよね。そのとき、ちょっと揉めてケンカになった。

――ええ!?

押井 本当にケンカになった。わめき合いに近かった。「うるさい!」とか言って。それでね、もう会うこともないかなと思っていたんだけど、しばらくしたら富野さんが後ろから近づいてきてね、「押井ちゃ〜ん、さっきはゴメンねぇ」って抱きついてきた。

――爆笑。

押井 猫なで声で(笑)。しょうがないので「もう分かったから。離してよ」って言って仲直りした。

――いい話ですね。

押井 いや、別にいい話じゃないんだけどさ。だから、富野さんはそういうふうに屈折していて、本音を隠しながらアニメを作ってきた人なんだよ。その富野さんの本音が『逆襲のシャア』で炸裂した。自嘲的な意識をかかえつつも、アニメーション映画の王道の世界で、自分の表現を実現した。端っこでやるのではなくて、メジャーでやる。僕が目指しているのもそうだから。『逆襲のシャア』というか富野さんのそこに共感したし、感心した。

ロボットアニメが到達したひとつの極点

――『ガンダム』シリーズにおける『逆襲のシャア』の位置づけとしては、どう評価されますか?

押井 宇宙世紀という設定が『逆襲のシャア』で初めて生きたと思った。それまでは、要するに連合軍とドイツ軍の戦いを模していただけだよね。ジオン軍なんて誰がどう見てもドイツ軍でしょう。出てくる連中から兵器の端々に至るまで、ドイツ軍のデザインであり、ドイツ軍の設定そのままだよ。例えば、単機としてどれだけ優れていてもダメだっていうこと。試作品の山を築いて、いっぱい種類を作りすぎたせいで負けた、とかね。アムロたちがいる連邦軍のデザインのパッとしなさは、やっぱりそのまま連合軍だよ。ナチスのままやるわけにはいかないからジオン軍という名前を考案し、連合軍を連邦軍に変えた。それだけのことだと思っていたら、富野さんはそれ以上の展開を考えていた。小惑星をモビルスーツで押し返そうとするクライマックス。あのシーンこそ宇宙世紀だから実現できたのであり、第二次世界大戦の呪縛から解き放たれている。地球に落下していく小惑星をアムロ機と量産機がバーニアを吹かしまくって、みんなで支えて押し返そうとする。爆装している量産機もいるからヤバいだろうっていう。そのクライマックスはリアルじゃないという人もいるかもしれないけど、ミリタリー的には逆にシビれるシーンなんだよ。「すごいな、この人」って。アムロに「爆装している機体だってある」と言わせた上で、まわりの機体をどんどん爆発させていく。いつもは理性的な富野さんが、あそこのシーンではガンガンやっている。

――アニメとしてのケレン味は、どうでしょう?

押井 ケレン味は少ないね。富野さんはアニメーション特有の快感原則を好まない人なんだよ。現場のアニメーターに聞いたことがあるんだけど、ドッカーンッみたいなさ、豪快にすっ飛ばした動画の描きかたをすると「直せ。ちゃんと動かせ」と言ってくるらしい。無重力空間の描写と重力の表現にこだわる人だよね。そういう意味ではアニメ的なケレン味が少ない監督。だけど『逆襲のシャア』は、小惑星アクシズを押し返す場面がまさにそうだけど、場面づくりや描写、あるいはシチュエーションにケレン味があふれている。だから本当にいい映画だよ。

――なるほど。

押井 いつもは本音を隠している、そういう監督としての立ち振る舞いに僕は共感するし、とても参考にさせてもらった。その富野監督という人間の「本音」や「苦労人として隠してきた部分」が『逆襲のシャア』には出ている。真っ正面から富野さんが本音を描いた。そういう記念すべき作品であり、唯一の映画。『逆襲のシャア』を語るってことは、「富野さんを語ること」と同義なんだよ。だけど、富野さんのことが好きでも嫌いでも、この『逆襲のシャア』はオススメだね。日本のロボットアニメが到達したひとつの極点だよ。たとえガンダムやロボットアニメに興味がなくても、ドラマとして、人物として鑑賞できる作品のはずだよ。

――映画が完成してから30年経ちましたが?

押井 いまの人が見ると、ものすごく魅力がある作品だと思う。「世の中は消えてなくなるかもしれない」、あるいは「世の中なんて消えてなくなれ」と思っている人も多いはずだから。だけど富野さんは「悪意」だけで作ってはいないんだよね。「人類を粛正してやる」という台詞は、当時の富野さんが「絶望」していたから出てきた言葉。つまり、突然キレてナイフを振り回す悪意とは異なる。だからこそ、現代社会に閉塞感をいだいていたり、絶望している人にとっては、救いになる映画かもしれない。同時に映画としてカタルシスもちゃんとあるから、いろんな意味でオススメしたいし、大好きな作品です。

【後記】
書籍版にはロングバージョンを収録予定です。おたのしみに!!


予約受付中『押井守の映画50年50本(仮)』

著者:押井 守
定価:本体2,200円+税
発売:2020年8月8日
発行:立東舎

(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)

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