「踊らない・歌わないインド映画」が増加した理由とは? アジア映画研究者の松岡環さんに聞く

痛みを感じない体質の青年がカンフーで悪の組織に立ち向かう姿を描いたインド映画『燃えよスーリヤ!!』が12月27日より公開となります。第43回トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で観客賞を受賞するなど、大きな話題を集めている本作。アジア映画研究者の松岡環さんに見所を伺いました!

Q:数々のインド映画をご覧になってきた松岡さんが観て、『燃えよスーリヤ!!』はどういう所が面白かったですか?

インドは40以上にもなるいろいろな言語で映画が作られており、それぞれに映画製作の中心地を持っています。例えば、ヒンディー語映画はムンバイ(ですので、「ムンバイの旧名ボンベイ+ハリウッド」で「ボリウッド映画」とも呼ばれます)、タミル語映画はチェンナイ等々ですが、各言語の映画は土地柄も反映してか、テイストがみな違います。『燃えよスーリヤ!!』では、その違うテイストがいろいろ混じり合っていたのが面白かったです。
具体的には、ボリウッド映画ことヒンディー語映画と、ムンバイのある州マハーラーシュトラ州の言語マラーティー語映画、そして、監督のルーツであると思われる南インドのタミル語映画という3つのテイストが感じられました。これに東アジアのカンフー等武術映画のテイストが加わって、これまでにないインド映画になっています。

Q:本作がこれまでのインド映画と比べて新しい!と感じた部分はありますか?

新しかったところは、従来の娯楽要素を洗練された形で見せているところです。例えば「笑い」は、コメディアンが登場して大袈裟に笑わせようとするのではなく、寝ているスーリヤを挟んでのじいちゃんと父親のパントマイムのように、そこはかとないとぼけた笑いがあちこちに入っています。「アクション」もすごいのですが、誇張がなくてそれゆえに引き込まれます。また、ジミーと空手マニを同一人物に演じさせるなど、斬新な(それゆえ妙ちきりんな)発想が随所に見られます。定型(フォーミュラ)が好きなインド人観客や映画界からは敬遠されそうですが、新発想の映画として評価したいです。

Q:いきなり踊って歌う作品以外が多く作られ、ヒットしている背景には、なにかインドの方の趣向が変わってきたなど理由があるのですか?

これは1991年からインドが経済政策を変えたことが大きく関わっています。外国企業に門戸を開くようになった結果、経済発展が始まって、ここ20数年でインドは大きく変貌しました。

映画産業でも、1997年に欧米型のシネコンが導入され、その後10年ぐらいで大都市のみならず、中小都市にも普及しました。シネコンは料金が高めに設定されているので、低所得者層(いわゆる貧困層)は行けません。経済発展で低所得者層でもその波に乗った人は小金持ちになり、みんなシネコンで見るようになったわけですが、それまで「やっと稼いだ10ルピー握って映画館へ」と熱い思いで映画を見ていた層が見に来なくなったため、「歌と踊りの豪華シーンが入り、いろんな娯楽要素がてんこ盛りで、3時間たっぷり映画が見られて料金に見合う満足感を与えてくれる」が使命だった映画が変わり始めたのです。

従来型の映画館では、どこも3時間上映枠が設定されていた(入れ込み、追い出し、間の休憩を入れて3時間)ため、映画は2時間40分ぐらいないとダメだったのですが、シネコンは上映時間がフレキシブルなので、尺が短くてもOKです。で、2時間ちょっとという作品が増えた結果、歌と踊りのシーンが削られるようになりました。また、娯楽要素があれもこれもてんこ盛り、でなくても満足する観客が増えて、ジャンル映画が増加中です。これが、「踊らない、歌わないインド映画」増加の原因です。

しかし歌は、音楽産業や着メロ産業の圧力があるので、BGMとして数曲必ず入ります。本作『燃えよスーリヤ!!』でも英語版Wikiを見ると、8曲が使われているようですね。

Q:本作にも感じたのですが、インド映画特有の観客を引き込むこの”アツさ”はどの様にして作られているのでしょうか。

観客もそうですが、作り手側が本当に映画好きだ、というところに起因しているのでは、と思います。自分がいかに映画オタクか、ということを披瀝した作品は、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007)はじめ、枚挙にいとまがありません。一方観客側もみんな「インド映画オタク」なので、それに応えないと映画はヒットしないのです。本作は、インド映画オタク以外にクカンフー映画というか東アジア武術映画オタクという要素が監督にあったため、アツい監督の思いがグローバルにアピールする作品となったと思います。

Q:アジア映画の中でインドはどの様に映画カルチャーが作られていったのでしょうか。

他のアジア諸国と同じく、伝統演劇が西洋のテクノロジーである映画と出会って発展を遂げたのがインド映画です。イギリス統治時代の1912年から映画製作が始まり、1931年にトーキーになると「歌あり踊りあり」の「ミュージカル」様式が定着しますが、これも伝統演劇(特に19世紀に北インドで盛んだったパールシー演劇)の形を踏襲したものでした。その後、ヒット曲は映画から生まれる形が定着し、今日に至っています。

インドはテレビの普及というかチャンネルの多様化が1990年代半ばまで持ち越されたこともあって、テレビが映画を駆逐する状況はまったく生まれませんでした。1990年代半ばに香港のスターTVの影響でインドでも衛星放送が始まり、それまでの国営放送DD(ドゥール・ダルシャン)1局状態から、多チャンネル時代に突入しますが、増えたチャンネルのコンテンツとしてインド映画が重宝され、映画とテレビは共存共栄で今日に至っています。現在でも、人々は映画館で映画を見るのが大好きで、インド映画の全興行収入に占める率は2018年は89%でした(カンヌ映画祭のマーケット配付資料による)。ハリウッド映画も21世紀になって輸入数が増えたものの、年間興収トップ10に入ったのは『ジャングルブック』(2016)ぐらいで、毎年トップ20まで見るとハリウッド映画が2~3本入っている、という状況です。

ハリウッド映画のほかには、ジャッキー・チェンの映画、トニー・ジャー主演作品、韓国のアクション映画などがたまーに公開されたりしていますが、現在もやはり「インド映画だーい好き」観客が絶対多数です。日本映画はかつて『楢山節考』(1983)が公開されて話題になりましたが、アニメ作品の『クレヨンしんちゃん』が公開されたりする程度で、全然注目されていません。ただ、この間『天気の子』が映画祭上映ですがインド各地で上映されて話題になったようで、テレビのアニメチャンネルでは「ジャングル大帝」から始まって「ど根性ガエル」や「忍者ハットリくん」「クレヨンしんちゃん」等、日本のアニメがいろいろ放送されているので、今後新海監督作品など、オタク魂を刺激する作品が公開されていくかも知れません。

Q:90年代、00年代、10年代のインド映画の傑作をそれぞれあげるならどんな作品になりますか?

3作品ずつあげてみました。特に意識したわけではないのですが、全部日本で上映済みの作品となりました。なお、『ロージャー』(福岡市総合図書館所蔵)と『DDLJ』(みんぱく映画祭で上映)以外は、いずれも日本でソフトが出ています。

■1990年代~
『ロージャー』(タミル語/1992)
『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』(ヒンディー語/1995)
『ボンベイ』(タミル語/1995)

■2000年代~
『ラガーン』(ヒンディー語/2001)
『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(ヒンディー語/2007)
『きっと、うまくいく』(ヒンディー語/2009)

■2010年代〜
『女神は二度微笑む』(ヒンディー語/2012)
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(ヒンディー語/2015)『バーフバリ』二部作=『バーフバリ 伝説誕生』(テルグ語/2015)&『バーフバリ 王の凱旋』(テルグ語/2017)

Q:これからのインド映画がどう進化していくか予想をお聞きしたいです!

前述したように、伝統的な「歌と踊りが入り、娯楽要素てんこ盛り」スタイルが消えていくのが本当に残念で、これは「進化」ではないのでは、と思っています。とはいえ、ハリウッド映画の影響も少なからずあって、ますますグローバル化したスタイルの作品が増えるものと思われます。ですが「ミュージカル」シーンの減少で、たまにそういうシーンがあると、撮り方が下手になってきた、と思うことが多く、この「進化」は憂慮すべき事態です。伝統的なインド映画のスタイルのどこが悪い! と、世界に叫ぶ監督が出てきてほしいです。本作のヴァーサン・バーラー監督など、その旗手になってほしいものです。

『燃えよスーリヤ!!』12月27日公開
http://moeyo-surya.jp

【ストーリー】スーリヤ(アビマニュ・ダサーニー)は生まれながらにして痛みを感じなかったため、いじめっ子たちの標的にされていた。しかし、幼なじみの女の子スプリ(ラーディカー・マダン)だけは彼を守ってくれていた。そんなスーリヤを見かねて祖父はたくさんのアクション映画のVHSを渡すと、スーリヤはその中で空手マンと呼ばれる片足の男マニ(グルシャン・デーヴァイヤー)が魅せる“百人組手”の映像に衝撃を受ける。スーリヤの夢は決まった。「カンフーマスターに、俺はなる!!」

成長したスーリヤは、特訓を積んだカンフーと痛み知らずの身体を武器に、街の悪党たちと日々戦っていた。ある日、チンピラたちに誘拐されそうになる女性を助けようとしたところ現れたのは、幼い日に離ればなれになってしまったスプリだった。彼女は空手マンに弟子入りし、道場を経営していた。運命に導かれるように伝説の空手マン・マニに会えたスーリヤ。しかし、彼から双子の弟ジミー(グルシャン・デーヴァイヤー)が街を牛耳る悪党になってしまい、大切な師匠の形見を奪われ、スプリも危険にさらされていると聞く。スーリヤは師匠と仰いできた空手マンの誇りを取り戻すため、そして愛する幼馴染を守るため、悪の組織との戦いに身を投じていくー。

(C)2019 RSVP, a division of Unilazer Ventures Private Limited.

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藤本エリ

映画・アニメ・美容が好きなライターです。

ウェブサイト: https://twitter.com/ZOKU_F

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