China Scare(内田樹の研究室)
今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。
China Scare(内田樹の研究室)
日韓関係が「史上最悪」である一方で、かつて排外主義的なメディアの二枚看板だった「嫌中」記事が姿を消しつつあることにみなさんは気づかれだろうか。
なぜ嫌韓は亢進し、嫌中は抑制されたのか。私はそれについて説得力のある説明を聞いた覚えがない。誰も言ってくれないので、自分で考えた意見を述べる。たぶん読んで怒りだす人がたくさんいると思うが許して欲しい。
Foreign Affairs Report はアメリカの政策決定者たちの「本音」がかなり正直に語られているので、毎月興味深く読んでいるが、ここ一年ほどはアメリカの外交専門家の中に「中国恐怖(China Scare)」が強く浸透していることが実感される。
かつて「赤恐怖(Red Scare)」といわれる現象があった。1950年代のマッカーシズムのことはよく知られているけれど、1910年代の「赤恐怖」についてはそれほど知られていない。
1917年にロシア革命が起きると、アメリカでもアナーキストたちによる武装闘争が始まった。1919年の同時多発爆弾テロでは、パーマー司法長官の自宅まで爆破された。政府はこれによって「武装蜂起は近い」という心証を形成した。
いま聞くと「バカバカしい」と思えるだろうけれど、その二年前、まさかそんなところで共産主義革命が起きるはずがないと思われていたロシアでロマノフ王朝があっという間に瓦解したのである。未来は霧の中である。アメリカでだって何が起きるかわからない。
なにしろ、1870年代の「金ぴか時代」から後、アメリカ政治はその腐敗の極にあり、資本家たちの収奪ぶりもまた非人道的なものであったからだ。レーニンは一九一八年八月に「アメリカの労働者たちへの手紙」の中で、「立ち上がれ、武器をとれ」と獅子吼し、一九一九年三月には、世界37ヵ国の労働者組織の代表者たちがモスクワに結集して、コミンテルンの指導下に世界革命に邁進することを誓言していたのである。
十月革命時点でのロシア国内のボルシェヴィキの実数は十万人。一九一九年にアメリカ国内には確信的な過激派が六万人いた。そう聞けば、アメリカのブルジョワたちが「革命近し」という恐怖心に捉えられたことに不思議はない。
19年に制定された法律では、マルクス主義者も、アナーキストも、組合活動家も、司法省が「反アメリカ的」と判定すれば、市民権をまだ取得していないものは国外追放、市民権を取得しているものはただちに収監されることになった。この仕事を遂行するために司法省内に「赤狩り(Red Hunt)」に特化したセクションが設立された。パーマーがその任を委ねたのが、若きJ・エドガー・フーヴァーである。
そのフーヴァーは革命組織が一九二〇年五月一日に全米で一斉蜂起するという不確実な情報をパーマーに上げた。フーヴァーは、取り調べをした活動家たちが彼らの機関紙に書き散らしていた過激な言葉(「抗議ストから始まり、それを政治スト、さらには革命的大衆行動に拡大して、最終的に国家権力を奪取する」)にいうほどの政治的実力などないことを知りながら、パーマーに武装蜂起が切迫しているという恐怖を吹き込み、それによって自分のセクションへの予算配分と政府部内でのキャリア形成をはかったのである。
フーヴァーのささやきを信じたパーマーは五月一日に、ニューヨーク、ワシントンDC、フィラデルフィア、シカゴなど全米大都市の全公共施設と要人たちの私邸に警察官を総動員して厳戒態勢を命じた。だが、何も起こらなかった。全国の新聞はパーマーの「五月革命」を嘲笑し、ウッドロー・ウィルソンの次のホワイトハウス入りを有力視されていたパーマーはこの壮大な空振りで政治生命を失ったのだが、それはまた別の話。
私が言いたいのは、アメリカ人は意外に「怖がり」だということである。
アメリカ人は久しくソ連を恐れていた。冷戦が終わった後はイスラムを恐れていた。そして、いまは中国を恐れている。
もちろん中国を恐れるには十分な理由がある。
最大の理由はAI軍拡競争において中国に後れを取っているのではないかという懸念が政府内部に広がっているからである。
中国では、党中央がある国防戦略を採択したら、命令一下全国民資源をその一点に集中できる。軍も企業も大学も党中央には逆らえない。だが、アメリカではそうはゆかない。政府が「国家的急務」とみなすプロジェクトがあったとしても、そこに民間の人材や資源を集中するためにはしかるべき手続きが要る。民主国家だから当然である。仮にグーグルやアマゾンに個人情報にかかわる企業秘密を政府に差し出せと言っても、おいそれとは聞いてもらえない。グローバル企業である兵器産業が自社利益を優先して(F35のような)不良在庫を軍に売りつけようとするのも止められない。
そして、本当のことを言うと、もうミサイルも空母も戦闘機も軍略的にはそれほどの緊急性がないのである。
AIが戦争概念を一変させた。
AIは人間よりも大量の情報を瞬時に判定できるので、リアルタイムで複雑な戦況で最適解を出す仕事には人間より適している。AIシステムは戦場でも人間より迅速かつ正確かつ組織的に移動することができる。一方、システム攪乱のためのディープフェイク技術も進化している。アメリカの兵器システムにサイバーセキュリティ上の抜け穴が存在し、「比較的単純なツールと技術」で、これを利用できることを2018年にアメリカ政府監査院が指摘した。
ミサイルや空母や戦闘機のような兵器の装備がいくら充実していても、それを統御するコンピュータシステムが攪乱されたら、戦争はできない。だから、ほんとうは戦闘機や空母を作る金があったら、サイバー・セキュリティの精度を高める方が優先するのである。ところが、アメリカではそれが遅れている。
この点では中国に明らかにアドバンテージがある。中国は独裁国家だから、AI技術の軍事転用に抵抗する勢力は国内にはいない。顔認証システムやカメラによる国民監視システムでは中国はすでに世界一である(パッケージしてシンガポールやアフリカの独裁国家に輸出しているほどである)。
遠からずアメリカはAI技術における相対優位を失うだろうとアメリカの軍事の専門家たちは警告している。
むろん、フーヴァーがそうであったように、「中国恐怖」は、この恐怖心を利用しておのれの利権や予算分配を拡大しようとするアクターたちの間の主導権争いをいくぶんかは反映している。だから、この恐怖心は戦術的に誇張されていると考えた方がいい。
だが、この恐怖心は日米同盟のチャンネルを通じて日本にはそのまま浸透してきた。
この「中国恐怖」にまず日本の政官財のトップが感染した。なにしろこれは米軍上層部から「ここだけの話」と耳打ちされた極秘情報である。「ここだけの話」というタグをつけた話はあっという間に広まる。「中国はアメリカにAI 軍拡競争で優位に立っているらしい」という話は官邸に近い、首相と飯を食うジャーナリストたちを通じてメディアの現場に伝わり、それによってたちまち対中国の論調が一変した。
それが「嫌中言説」の抑制の背景にあると私は見ている。
トランプ大統領が仕掛けた米中貿易摩擦もアメリカの科学技術の移転への恐怖に駆動されている。アメリカにとって中国はすでに「嫌いな相手」ではなくて、「怖い相手」になっているのである。その恐怖心が日本のメディアに感染して、気がついたら「嫌中言説」がかき消えていた。別に日中関係が好転したわけではない。
ここまではどなたでも納得して頂けると思う。だが、私が恐れているのはそのことではない。それよりは、中国モデルを模倣しようとしている国が世界中に生まれつつあるということの方である。中央統制を組み合わせた「チャイナ・モデル」の劇的成功を羨む人たちは民主国家よりも強権国家の方が巨視的アプローチを効果的に採択できると信じ始めている。
人間は直近の成功事例を模倣する。
日本でも、IT長者やネットの「インフルエンサー」たちが幼児的な言動をするのを批判すると、「そういうことはあれだけ稼いでから言えよ」と冷笑される。「成功者を批判するやつは嫉妬しているだけだ」という考え方がいつの間にか定着した。同じことが国際関係でも起きている。中国の統治を批判しても、「じゃあ、おまえは14億人を効果的に統治できるのかよ」と言われたら黙るしかない。「成功した人間を批判するのは嫉妬ゆえだ」というロジックは日本人にはもう深く内面化している。それが中国批判についての心理的抑制として働いている。
ところが、まことに困ったことに、ここにチャイナ・モデルの劇的成功に冷水を浴びせる事例が存在する。
それが韓国である。
韓国では、市民たちが自力で軍事独裁を倒し、民主化を達成し、あわせて経済的成功を収め、文化的発信力を高めた。
つまり、日本の前には、強権政治による成功モデルと、民主政治による成功モデルの二つがあることになる。
嫌韓嫌中言説はこの二つの成功モデルに対して、競争劣位を味わっている日本人の「嫉妬」から生まれたものだと私は見ている。そして、「嫌中言説」が抑止され、「嫌韓言説」だけが選択的に亢進しているのは、この二つのモデルからの二者択一を迫られた時に、日本の政官財メディアの相当部分が「どちらかを選べというなら、韓国モデルより中国モデルの方がいい。民主政体より強権政体の方が望ましい」という選択を下したということを意味している。だから、嫌中言説の抑制と嫌韓言説の亢進が同時的に起きたのである。
安倍政権は、無意識的にではあるけれども、中国の強権政治に憧れに近い感情を持っている。彼が目指している「改憲」なるものは要するに単なる「非民主化」のことである。それと市場経済を組み合わせたら、中国やシンガポールのような劇的な成功が起きるのではないかと官邸周りの人々は本気で信じているのである。本気で。
そして、指導層の抱いている「日本も中国化することが望ましい」というアイディアに日本国民の多くはすでに無意識のうちに同意し始めている。「現に中国はそれで成功した」と知っているからである。そして、「成功者を批判することは誰にも許されない」という奴隷根性を深く内面化しているからである。
だから、「民主化と市場経済の組み合わせ」という韓国の事例をひとまず「それなりの成功事例」として認め、それがどのような歴史的文脈のうちで、どのようなファクターの働きによってもたらされたのかを分析する作業にあれほどヒステリックに抵抗するのである。
執筆: この記事は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2019年11月19日時点のものです。
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