お金は多い方が良いとなったのはいつ頃か?・・・錯覚の社会
今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
お金は多い方が良いとなったのはいつ頃か?・・・錯覚の社会
現代は「同じ仕事で給料が20万円と30万円のどちらにします?」と聞けば、100人が100人、30万円と答えるでしょう。でもこのような習慣はここ300年ぐらいで定着したもので、その前は20万円を選んだ時代が長かったのです。
ヨーロッパではゲルマンの時代がそうで、「パンを食べられる範囲で良い。それ以上は面倒だ」と答えましたし、江戸時代は「宵越しの金は持たない」のが良い人生とされていました。お金(貨幣)がそれほどの意味を持たず、それより人生そのもの、時間そのもの、家族や友人が大切だった時代があったのです。
先日、ある若い人にこの話をしましたら、なかなか理解が難しいようでした。少し話してみてわかったのですが、その人は「このような生活が幸福である」というのを社会から常に教えられていて、自分にとって必要なもの、自分の幸福をもたらすものについて、おそらく一度も考えたことがないようでした。
かく言う私も同じで、32才まで私は「世間でこれが良いというものを、そのまま自分にも良いこと」という錯覚をしていたのです。考えてみれば世間で良いとされるものでも自分にとって良いかどうかはわかりません。それがわかったのが不覚にも32才になってからで、それから40才まで修行を積んで、やっとある程度、「自分の人生にとって大切なもの」が見えてきたのですから、その若い人がわからないのはやむを得ないと思います。
それまでの自分は「仕事をするのでも、会社にいるより自宅にいる方が得」、「同じものを買うのに高いより安い方がお得」などとお金を中心とした尺度と、空気的損得(自分の人生にとっての損得ではなく、世間で決めたものをそのまま)で決めていたのです。
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かくして私の人生は気楽になり、朝になると「ああ、今日も朝が来たか!」と感謝してまた仕事に取りかかることができるようになりました。そんな私にとっては「安いアルバイトは続くけれど、時間給の高いアルバイトは続かない」、つまり「人はパンにのみ生きるものではない」という解説や教えを聞くとしっくりいくのです(その裏でお金を狙っている人には腹が立ちますが・・・)。
執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
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