生命を懸けた脱出ゲーム『名探偵の密室』

生命を懸けた脱出ゲーム『名探偵の密室』

 名探偵が自らの生命を懸けた脱出ゲームに招待される。

 いわゆる〈本格〉と呼ばれるタイプの謎解きの関心を中心にした小説は、日本で独自の進化を遂げた。細分化したサブジャンルの中には、一つの体系を作り上げるほどに作品数が増えたものもある。たとえばゲーム・ミステリーとでもいうべき作品群がそうだろう。特殊な状況設定が行われ、その中で事件の関係者が一定のルールに則り、まるでゲームの参加者のように謎解きに参加させられるという形式の作品である。ジャンルは異なるが高見広春『バトル・ロワイアル』や、映画『SAW』のようなデスゲームものが流行した影響もあるだろう。事件解決か、それとも死か、という無慈悲な二択を登場人物に強いる小説が2000年代には量産されたのである。

 テレビのバラエティー番組で「なんでもお見通し」という名探偵役を演じる男が他の男女と共に監禁され、3時間以内に謎を解決できなければ、今おまえたちがいる場所を爆破する、と告げられる。

 この設定だけ見て、上記のような系譜に連なる日本ミステリーだろうと納得する読者は多いはずだ。しかし、作者はイギリス人なのである。『名探偵の密室』(ハヤカワ・ミステリ)は、ロンドン大学シティ校でクリエイティブライティング(犯罪小説/スリラー)の修士号を取ったクリス・マクジョージが、その卒業論文として提出した作品なのだという。執筆にあたり、彼が日本ミステリーを研究した可能性は低いと思う。まったく違う系統樹の生物が似通った形態や特質を獲得していくことを収斂進化と呼ぶ。それと同じことが日本と英国で起きたのかもしれない。

 監禁される〈名探偵〉はモーガン・シェパードという男だ。彼は11歳のとき、自分の通う学校で起きた殺人事件を解決したとして、一気に名声を得た。少年探偵と祭り上げられ、マスメディアの寵児になったのである。しかしいいことばかりではない。中年の域に差し掛かったシェパードの体はぼろぼろだ。人気番組の「スタジオ探偵」に出演するために長時間拘束され、その苦痛から逃れようとして重度のアルコールと薬物の依存症にもなっている。そんな状態で、生死が懸かった謎解きに挑まなければならないのである。

 シェパードを含む6人の男女は、シティホテルの中と見られる室内からは出られないし、携帯電話も取り上げられていて外への連絡もできない。窓を破壊しようにも防弾ガラスのため不可能だし、外の眺めを見れば、容易にそこから脱出できるとは思えなかった。室内には彼らの他にもう一人、バスルームの中に死者がいた。その犠牲者を殺害したのは誰か、というのがシェパードに問われた謎なのである。本当の姿はテレビで演じるだけのいんちき探偵に過ぎない男が覚悟を決めて推理を始めることから物語は動き始める。

 息詰まるような密室劇であり、閉所恐怖症の読者ならばすくみ上ってしまうような場面もある。この手のスリラーでは定番の、監禁者たちの相互不信が高まるさまもきちんと話に盛り込まれている。それはそうだ。犯人は6人の中にいるはずなのだから。それによって捜査が暗礁に乗り上げることになり、シェパードが破滅を覚悟した瞬間に、新たな可能性の扉が開くことになるのである。事件というか、残酷な監禁ゲームは途中で様相が変わる。詳細は書かないが、第二の幕が上がったところからが真の恐怖の始まりだとだけ書いておく。

 前述の通りシェパードは重度の依存症で、テレビで虚像を演じ続けたために自分を失くしてしまった男でもある。監禁仲間の一人、弁護士のアラン・ヒューズは彼を軽蔑し、面罵することを止めない。それだけ不安定な主人公なのだが、物語が進むにつれて、この〈名探偵〉が自己の深奥に抱える問題と直面することが、バスルームの死体の謎を解くのと同じくらい重要なのだということがわかってくる。中盤以降では彼の過去についての言及が多くなり、監禁ゲーム以外の謎がもう一つ浮上してくるのである。平行四辺形の対角線というか、a・b二つのベクトルの和を求める小説なのだ。事件の全貌がかなり後まで判明しないおもしろさが本書の魅力であり、「犯人は誰」という興味と平行して「いったい何が起こっているの」という疑問を読者は口にし続けることになるだろう。

 この手の小説で最も気になるのは、フェアプレイの原則が守られているかということだ。本書の場合は、密室内のどこかに置かれた手がかり、あるいは関係者の誰かが漏らした言葉から、一つしかない答えに到達することができるか否か。上記のようにa・b二つの謎が呈示される小説なので、全体の図柄まで見抜くことは難しいかもしれない。しかし、謎のうちどちらかは、注意深く読み進めていれば推理は可能なのではないだろうか。謎解き小説が好きな方を大きく失望させることはない、と一言保証しておきたい。

 本作はマクジョージのデビュー作なので、正直言ってしまえば粗いと感じる部分もある。たとえばある登場人物の末路については、これで幕引きにするのは無理があると私は思った。そうした不満を差し引いても、中盤でのスリルの盛り上がりと、終盤における丁寧な謎解きには合格点を上げられる。訳者あとがきによれば、今年の6月にマクジョージは第二作、Now You See Meを上梓したという。『名探偵の密室』の1年後の話で、ボートで運河トンネルに入った6人の若者が、1人を残して行方不明になるという謎解きものなのだとか。おお、今度は消失ものか。稚気溢れる書き手の誕生、誠に喜ばしいことである。

(杉江松恋)

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