50代女性が思い出す子供の頃のこと〜岸政彦『図書室』

 違う分野から「どこまでできるか挑戦したくてやってみました」的な感じで進出してくる人より、”苦節○十年”と地道にやってきた人の方を応援したくなる傾向は、確実に自分の中に存在している。具体的に言うと、”霜降り明星がM-1でチャンピオンになったときには素直に祝福できたが、粗品さんがR-1でも優勝をさらったことに対しては若干複雑な気持ちがないでもない”という状態だ。「ピンでやってる芸人さんが評価されるともっとよかったかも…」という感じ。しかし、確かにR-1においても粗品さんはおもしろく、なんなら決勝進出者の他の2名もコンビ芸人の片割れだったのだ。

 実力のある人材や優れた作品が評価されることはまったくもって正当なことであるし、私も「小説家の書いた小説しか認めない!」などと主張するつもりは毛頭ない。つまり何が言いたいかというと、社会学者の岸政彦さんが書かれた小説「図書室」は素晴らしかったということだ。

 「図書室」は、50歳前後と思われる女性・美穂が主人公。一緒に住んでいた男の家を出て古い団地でひとり暮らしを始めてから、かれこれ10年になる。語られるのはいま現在の暮らしぶりより、昔の思い出の方がずっと多い。特に10歳くらいの、公民館の図書室に通っていた頃の話。美穂の母親は女手一つで彼女を育てていた。スナックで働く母をゆっくり寝かせてあげたいと、美穂は土曜の昼間を図書室で過ごすようになる。『あしながおじさん』が好きで外国の孤児院にいる自分の姿を想像する彼女に、私は共感を抱かずにはいられなかった。図書室や図書館は、私の愛する場所でもあった。

 ある冷たいみぞれ混じりの雨が降った日に図書室を訪れた美穂は、いつも自分が座るベンチに知らない男の子がいるのを発見した。「宇宙のひみつとか、昆虫記とか、怪獣と恐竜とか、世界の怪談とかそういう類のくだらない本」を左右に積み上げた彼と親しくなり、冬休みにも毎日図書室に足を運ぶようになる。同い年ではあるが別の学校に通う彼は頭がよく、”太陽はいつか爆発する”という話を美穂に教えてくれた。それがきっかけのようになって、ふたりはいつの間にか「何かの大惨事のあと人類が滅亡した世界でたったふたりでどうやって生きていくか」ということを真剣に考え始める。それはふたりをある行動へと駆り立て…。

 こんな男の子いたら好きになってしまうわ、と思った。そのときには好きだと自覚しなくても、何年も何十年もたって自分の気持ちに気づく、というやり方で。きっと美穂もそうだったんじゃないだろうか。

 若い頃は前を向いて進み続けることが重要で、思い返す過去も現在にくらべたら断然近いものだった。25歳のときに10歳の頃のことを振り返るのと、50歳で思い出すのではずいぶん違う。私は美穂と同年代。さらには岸さんとも同い年だ。過去の記憶との距離の取り方が、絶妙に自分と近いように感じる。我々の世代には、順当に行けばこの先まだ何十年か人生の続きがあるはずだ。人間にはそれぞれにいろんな人生があって、人目を引く活躍や派手派手しいエピソードなどなくても”これまで生きてきてまあまあよかったな”と、50を過ぎたこの時期に気づくことができたらそれで万々歳だという気がする。自分の人生へのささやかな肯定感は、残された日々を生きていくうえで必ずや支えとなってくれると思う。ラストもとてもよかった(台風のすぐ後に海へ行くのは危険だと思うが←ネタばらしには当たらないと思うので、ご心配なく)。

 本書には、「給水塔」というエッセイも収録されている。これがまた、しみじみとしたおかしみに満ちている。結婚して少したった頃に空き巣に入られたエピソードが紹介されているのだが、その犯人が「若い頃のさだまさしに似てると思った」というくだりが妙にツボに入って困った。

(松井ゆかり)

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