電車の中で騒ぐ子どもの対処法は? 赤の他人ができる育児アシストの話に共感の声多数
電車の中で騒ぐ子ども。
「静かにしろよ」という車内の空気の様子に困惑するお母さん。
とある日常の出来事にshinshinohara (@ShinShinohara)さんがとった行動とは……?
shinshinohara (@ShinShinohara)さんは「お母さんの力だけでは限界」「子どもにとって、電車の中の大人たちは「背景」でしかない」「こうした育児のアシストは、赤の他人だからこそできること」とツイート投稿でコメント。
その「赤の他人ができる育児アシストの話」にまつわる一連のツイート投稿には「本当にこういう方々が増えて欲しいです」「“電車の中の大人たちは背景”という言葉がすごく腑に落ちました」と、多くの共感の声が寄せられネットで話題になっています。
赤の他人ができる育児アシストの話
電車の中で子どもが大騒ぎ。お母さんは必死に「シーッ!静かにして!」って言ってるのに、子どもは楽しくなっちゃって止まらない。車内には、静かにしろよ、という険悪な空気。それが分かるだけにお母さんは肩身が狭そうに、必死に子どもを静かにさせようとするのだけど、子どもは聞いちゃいない。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
電車の中で子どもが大騒ぎ。お母さんは必死に「シーッ!静かにして!」って言ってるのに、子どもは楽しくなっちゃって止まらない。車内には、静かにしろよ、という険悪な空気。それが分かるだけにお母さんは肩身が狭そうに、必死に子どもを静かにさせようとするのだけど、子どもは聞いちゃいない。
そこで私が近づき、子どもに直接「楽しいところ、ごめんな。実はな、電車の中には、疲れてるおじさんがたくさんおってな。ちょっと眠りたいんで、少し静かにしてくれると助かる。悪いな」と頼みにいくと、ビックリした顔で、でも頷いてくれる。以後、ピタッと静かになる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
そこで私が近づき、子どもに直接「楽しいところ、ごめんな。実はな、電車の中には、疲れてるおじさんがたくさんおってな。ちょっと眠りたいんで、少し静かにしてくれると助かる。悪いな」と頼みにいくと、ビックリした顔で、でも頷いてくれる。以後、ピタッと静かになる。
降車するとき、「ありがとうな。よう静かにしてくれたな」と一声かけると、知らないオッサンにまた声かけられたとビビりつつも、頷いてくれる。
こうした経験をすると、子どもは以後、電車の中では静かに過ごすようになるだろう。— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
降車するとき、「ありがとうな。よう静かにしてくれたな」と一声かけると、知らないオッサンにまた声かけられたとビビりつつも、頷いてくれる。
こうした経験をすると、子どもは以後、電車の中では静かに過ごすようになるだろう。
柴田先生の本にもあるように、子どもにとって、電車の中の大人たちは「背景」でしかない。お母さんがいくら「ご迷惑でしょ!」と注意しても、背景が動くはずがない、と思ってる。そして事実、ほとんどの大人は「背景」化して動かない。「親が何とかすべき」から動かない。https://t.co/oKuncbIuHz
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
柴田先生の本にもあるように、子どもにとって、電車の中の大人たちは「背景」でしかない。お母さんがいくら「ご迷惑でしょ!」と注意しても、背景が動くはずがない、と思ってる。そして事実、ほとんどの大人は「背景」化して動かない。「親が何とかすべき」から動かない。
しかし、お母さんの力だけでは限界。背景でしかないものを人間とみなし、それに配慮しろって、子どもには無理。
だから私は、「背景」から飛び出して、実は生きた人間でした、ということで、子どもたちの前に現れる。そして、理由を述べた上で「静かにしてくれるとありがたい」と頼む。— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
しかし、お母さんの力だけでは限界。背景でしかないものを人間とみなし、それに配慮しろって、子どもには無理。
だから私は、「背景」から飛び出して、実は生きた人間でした、ということで、子どもたちの前に現れる。そして、理由を述べた上で「静かにしてくれるとありがたい」と頼む。
しかし、お母さんの力だけでは限界。背景でしかないものを人間とみなし、それに配慮しろって、子どもには無理。
だから私は、「背景」から飛び出して、実は生きた人間でした、ということで、子どもたちの前に現れる。そして、理由を述べた上で「静かにしてくれるとありがたい」と頼む。— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
しかし、お母さんの力だけでは限界。背景でしかないものを人間とみなし、それに配慮しろって、子どもには無理。
だから私は、「背景」から飛び出して、実は生きた人間でした、ということで、子どもたちの前に現れる。そして、理由を述べた上で「静かにしてくれるとありがたい」と頼む。
こうした経験をすると、「いつ背景から人間(オッサン)が飛び出してくるかわからない、と思うようになり、お母さんの「静かにして!」という注意が、バツグンに効果を示すようになる。こうした育児のアシストは、赤の他人だからこそできること。お母さんたちの育児が、ずいぶん楽になる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
こうした経験をすると、「いつ背景から人間(オッサン)が飛び出してくるかわからない、と思うようになり、お母さんの「静かにして!」という注意が、バツグンに効果を示すようになる。こうした育児のアシストは、赤の他人だからこそできること。お母さんたちの育児が、ずいぶん楽になる。
うるさく走り回る子どもがいたら、現代の日本では「親がしっかりしつけろよ」と考える人が多い。しかし、都会生活が大半になり、他人との接触が極めて少なくなった現代では、電車に乗り合わせた他人は、決して介入してこない「背景」と化している。背景が恐いはずがない。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
うるさく走り回る子どもがいたら、現代の日本では「親がしっかりしつけろよ」と考える人が多い。しかし、都会生活が大半になり、他人との接触が極めて少なくなった現代では、電車に乗り合わせた他人は、決して介入してこない「背景」と化している。背景が恐いはずがない。
子どもが公共のところで騒ぐのは、親がしつけていないのではない。赤の他人である私たち大人が、「背景」になりきって、子どもと関わろうとしないからだ。つまり、責任は、親ではない。親にすべてを押しつけている私たちに多分に責任がある。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
子どもが公共のところで騒ぐのは、親がしつけていないのではない。赤の他人である私たち大人が、「背景」になりきって、子どもと関わろうとしないからだ。つまり、責任は、親ではない。親にすべてを押しつけている私たちに多分に責任がある。
幸いに私たちは「赤の他人」だ。だから、「おじさんの頼みを聞いてくれないかな」と頼むだけで十分、子どもはビビってる。幼児の場合、その後はビックリするくらい、言うことを聞いてくれる。だから私は別れる間際に子どもに「ありがとう」という。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
幸いに私たちは「赤の他人」だ。だから、「おじさんの頼みを聞いてくれないかな」と頼むだけで十分、子どもはビビってる。幼児の場合、その後はビックリするくらい、言うことを聞いてくれる。だから私は別れる間際に子どもに「ありがとう」という。
赤の他人だからこそ、子育てに難渋してるお母さんをアシストし、以後の育児を楽にする道筋を提供することができる。柴田先生の本、読んでほしい。
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
赤の他人だからこそ、子育てに難渋してるお母さんをアシストし、以後の育児を楽にする道筋を提供することができる。柴田先生の本、読んでほしい。
ついでに私の子育て本も紹介。子どもが本来備えている力を、溌剌と発揮できる社会になりますように。https://t.co/wj5yq5YEJJ
— shinshinohara (@ShinShinohara) August 7, 2019
ついでに私の子育て本も紹介。子どもが本来備えている力を、溌剌と発揮できる社会になりますように。
※取材協力:
shinshinohara (@ShinShinohara)さん
https://twitter.com/ShinShinohara[リンク]
※トップ画像はいらすとやより
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。