統合失調症を乗り越えて復活した芸人・ハウス加賀谷が語る”お笑いの意味”

お笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷さん

 NHK Eテレでは、ことし4月6日から、『バリバラ~障害者情報バラエティー~』が放送されている。公式サイトに「これまでタブー視されていた障害者の性やお笑いのジャンルにも果敢に切り込みます」とある通り、”バラエティーを通してバリアフリーを考える”を番組のコンセプトとしている。人道的に見れば、障害者を笑い物にすることは決して許されることではない。しかし、番組に出演している障害者たちの”笑われる”のではなく”笑わせたい”という情熱は、テレビを通して伝わってくるものがある。

 この『バリバラ』に、プロのお笑い芸人が自らの障害をカミングアウトして出演している。お笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷さんだ。1990年代の『ボキャブラ天国』(フジテレビ系列)では、「汚れなき壊れ屋」として、異常なまでのハイテンションを売りにして活躍した。しかし、”ボキャブラブーム”の終焉とは無縁に、彼らは表舞台から姿を消した。その理由は、ハウス加賀谷さんが、精神疾患の一つである統合失調症を発病したからだ。

 障害者と”お笑い”。一見すれば相反するものに見える。健常者は、つい障害者を腫れ物のように扱ってしまう。憐れみを受けたら笑ってもらうことが不利になるお笑いの世界で、ハウス加賀谷さんは自らの病名をカミングアウトして舞台に立っている。彼にとって、あるいは障害者にとって、人を笑わせることの意味とはなんだろうか。10年近くの治療を経てお笑いに戻ってきたハウス加賀谷さんに、その心中を聞いた。

(聞き手:ハギワラマサヒト)

■”自分の臭いに対する恐怖”で学校へ行けなかった

――”統合失調症”を発症された経緯を教えていただけますか?

 病院で統合失調症と病名が付けられたのは25歳のころ(1999年)ですが、中学校に入った頃から幻聴が聞こえていました。小学生まで明るい性格だったのに、中学生になったらガコーンと暗くなっちゃって・・・。

 中学3年の三者面談のとき、先生に「将来、何になりたいんだ?」と聞かれて、「ホームレスです」と答えました。本気でした。世の中がもう嫌になっていて、「今ある社会は、自分がいてはいけないところだ」と思っていました。社会に適合できないし、逃げたいと真剣に思っていました。

――ほかにはどういう症状があらわれたんでしょうか?

 ”自己臭恐怖”ですね。例えば、こうして話していると、「きっと僕が臭いから眼鏡をかけているんだろう」と訳の分からないことまで考えていたんです(注:筆者は眼鏡をかけている)。自分の臭いに対する恐怖がありました。

 だから、学校へ行っても自分の居場所を見つけられませんでした。親が心配して、最初は針灸院へ連れて行かれました。次は神経科に行って、最終的に児童・思春期精神科というところで薬を貰いました。

 その後、高校に進学したけれど、万事そんな感じですから、ほとんど通うことができません。それで、芸名の由来ともなった「ハウス」に入ったんです。

■お笑いは初めて認めて貰えた”居場所”

――「ハウス」とは、どういうところでしょうか?

 グループホームといって、病気や障害などで社会に馴染めない人たちが、集団生活を通じて社会復帰を目指す施設です。中学の頃も入所を誘われていたんですが、当時子どもだった僕は、そんなところ嫌だと思っていて「僕なら大丈夫だから」と頑なに入所を拒否していました。

 とうとう16歳でハウスに入所しました。言い方は悪いですが、堕ちも堕ちたりという感じでした。それで自分の好きなことやろうと思い、子どもの頃から好きだったラジオを聞いて過ごしました。ビートたけしさんの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)の最終回を聞きながら、「漫才師って素敵だなぁ」と、その時思いました。

――そこには、どれくらいの期間いたんですか?

 最初に、3ヶ月くらいで出られると聞いていたんですが、「ハウス」の皆と仲良くなって、結局2年間暮らしました。環境が変わったせいもあってか、そのころには幻聴は聞こえなくなっていました。

――『ボキャブラ天国』で活躍されていた頃は、症状は落ち着いていたということですか?

 うーん・・・。カッコつけるわけじゃないけど、闘っていましたね。今は朝、夕と決められた量の薬を一包ずつ飲むんですけど、当時は病院からシートで薬を貰っていまして、忙しくなったり、辛くなったら飲んでいました。

――当時、異常なテンションだったと思います。相当無理をしていらしたんですか?

 僕にできることを一生懸命にやろうと頑張ったんです。とにかく集中のスイッチをONにしたら、バーンと出ていくことを強く意識していました。中学生以降、初めて人に認めて貰えたのが、お笑いだったんです。初めて見つけた居場所だったんです。

 しかし、日に日に薬の量が増えていきました。それで精神科のある総合病院で見てもらったところ、1999年に初めて統合失調症と病名が付いて、入院となりました。

■入院から芸人復帰までの”道のり”

――入院生活は、どういったものだったんでしょうか?

 急性期病棟という隔離された病棟で、いくつも鍵のあるドアを通った先の保護室に入れられました。鉄の扉を開けると、窓には鉄格子があって、畳に布団が敷くことができるくらいの広さの部屋でした。トイレはポータブルのものしかありません。また、外側にはドアノブがあるんだけど、部屋の内側のドアノブがないんです。

――まるで刑務所の独居房のようですね。

 統合失調症のなり始めは、自傷他害の恐れがありますからね。だから、まずはそこに隔離されるんです。部屋に入って、天井の化粧ボードを見たら、監視カメラがありました。話には聞いていたので、早速、カメラをあらぬ方向に向けておいたら、看護士さんが飛んできて、こっぴどく叱れました(笑)。

――どれくらいの間、入院されていたんでしょうか?

 7ヶ月間入院していました。それから自宅療養です。

――自宅療養は、その後10年間続くわけですが、その間はどのような生活をしていたんですか?

 薬の副作用が酷くて、顔に一枚の膜を張ったような感じでした。家族と話をしていても、まるで水の中を潜っているみたいで、自分の声が果たして人に届いているのかすら分からない。そんな状態でした。それでも僕にとって、許される居場所は、お笑いしかないと思っていたので、なんとか芸人として復活したかったんです。

 芸の勉強のためと、映画を見るように努めていましたが、気が付くと寝ちゃっている場合が多かった。それでも主に小説ですが、本を読んでいました。同じ行を何度も読み返しながら、週に数冊は読んでいたと思います。

――2年前、松本ハウスとして芸人復帰を果たしました。その経緯を教えてください。

 治療といっても薬を飲むだけなんですが、新薬との相性がぴったりあったんです。これは難しい問題ですが、薬の相性は個体差があって、誰しもに効果があるとは言い切れません。たまたま僕の場合、ドンピシャだったんです。副作用もさほどなく、ごく普通の生活ができるようになりました。戸惑ったのは家族です。それで家族会議が開かれました。

――どんな理由での家族会議だったんですか?

 「最近、潤(加賀谷の本名)の様子が明るい。これは躁(そう)転じゃないだろうか?」と家族が心配したんです。自分としては、薬が効いて、普通に戻っただけなんですけどね(笑)。ただ、母は「潤に人間らしい心の機微が戻ってきた」と、嬉しそうに言っていました。

――それでコンビ復活の道を歩むわけですね。

 その頃、薬の副作用のために体重が105キロまで増えていました。これでは人前に立てないと、1日5時間くらい歩きました。本当の意味で、復活への一歩一歩を踏みしめていたと思います。

■「今は正の力でお笑いをやっている」

――『バリバラ』で、ハウス加賀谷さんを紹介するテロップが、”統合失調症”となっていて驚きました。まだまだ偏見の多い病気をカミングアウトすることに抵抗はありませんでしたか?

 もともと、露出狂なんでしょうかね(笑)。デビュー当時から、病気をグレーゾーンとしてネタにしていましたし、周りの方が思うほどの抵抗はないんです。

――最近は、障害者の方々が”笑わせる”側となってネタを演じ、テレビ番組でも放送されるようになっています。どのように感じていますか?

 いい時代になったな、と(笑)。障害者の方々も、良い人もいれば、悪い人もいる。内気で大人しい人、パワーのある人。いろんな人がいます。それは健常者の方々と一緒だと思います。外に向けるパワーがあって、お笑い好きな人がテレビに出てネタをやっているだけなんです。

 今思えば、『ボキャブラ天国』に出ていた当時は、負の力を使っていたような気がします。僕みたいな人間がテレビに出て、世の中に対して「ざまあみろ」と心の底から思っていました。負の力を出すのは簡単で強い。ただ、これに絡め取られれば、グチャグチャになってしまう。あの頃に比べたら、今は正の力で、お笑いをやっています。

◇関連サイト
・松本ハウスの不思議な冒険 – 松本ハウス公式ブログ
http://projectjinrui.jugem.jp/
・バリバラ~障害者情報バラエティー~ – 番組ホームページ
http://www.nhk.or.jp/baribara/

ハギワラマサヒト

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