【日曜版】マドンナとマイケル・ジャクソンが取り合った、ある一人の日本人ダンサーの物語

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Kento Mori」という日本人ダンサーを知っているだろうか?
彼は現在、マドンナのツアーダンサーとしてヨーロッパ各国を周っている。
海外のトップアーティストに日本人のダンサーが起用されたのはこれが初めてでは無いし、決して珍しいことでもないのかもしれない。しかし、「頑張っている日本人もいるんだなァ」程度に読み飛ばす人がいるのであれば、ちょっと待って欲しい。彼の持つ歴史には、物語があるのだ。

彼は12歳でマイケル・ジャクソンと出会い、21歳でダンサーを夢見て単身渡米。だが渡米したもののマイケルはソロ30周年を祝う01年のコンサート以降大規模なコンサートは行っておらず、彼はマドンナのオーディションを受けることとなる。そして、マドンナのツアーダンサーとして、唯一アメリカでのオーディションから勝ち上がった日本人ダンサー「Kento Mori」は契約にも合意する。だがその後、マイケルのロンドン公演のオーディション話が彼に飛び込んで来たのだ。そう、あのリハーサルのみで終わったマイケル・ジャクソン最後のコンサートだ。「マイケルと仕事する事を夢見て、それを目標にここまで来た。 これを失ったら、アメリカにいる意味まで失ってしまう。」そう決意した彼はマドンナとの契約金を返上する覚悟でマイケルのオーディションにチャレンジする。

マイケル・ジャクソンのオーディションは選ばれたダンサーのみが受ける事を許されるオーディションであり、誰もがチャレンジ出来る道ではない(今回は世界中でたった500人しか受ける事が出来なかったという)。その上、マイケルのラストの仕事と告知されていたロンドン公演。「Kento Mori」にとっても正にラストチャンスであった。

そのラストチャンスを「Kento Mori」はゲットしてしまったのである。
それも、マイケル本人による他のダンサーよりいち早くの抜擢であった。

夢は叶ったようにも思える。しかし物語はこれからなのだ。

結局「Kento Mori」はマイケル・ジャクソンと契約する事は出来なかった。
彼自身もマドンナに直接メールをするなど双方の調整に努力し、これもまた異例の事ではあるがマイケル本人がマドンナ本人に直接電話をし「Kentoを使わせて欲しい」と交渉したが、それすらもマドンナには通用しなかった。マドンナもまた「Kento Mori」を必要としており、マドンナはプロフェッショナルだったという事でもある。彼はマドンナのバックダンサーとして踊るしかない状況となったのである。

そこで舞い込んだ「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンの訃報。

マドンナは直前に急遽プログラムを変更しマイケルとマイケルを夢見て生きてきた「Kento Mori」の為にスペシャルプログラムを組んだ。
マイケル・ジャクソンの扮装をさせ、マイケルの名曲「Billie Jean」や「Wanna Be Startin’ Something」に合わせ、「Kento Mori」にソロダンスを踊らせたのである。
そしてその動画を公式サイトのトップページに掲載するという事までマドンナは行っている。マドンナの男前っぷりと優しさにも感嘆するところだ。

このようなストーリーはフィクションであったら「出来すぎで萎える」レベルかもしれない。しかしこれは現実だ。
マイケル・ジャクソンはもういない。夢はもう形にはならない。しかしそれでも、「Kento Mori」には、また更なる「出来すぎで萎える」くらいのストーリーを描き出す、そんな活躍を期待して止まないのだ。

●マドンナとマイケルが取り合った日本人ダンサー「Kento Mori」のダンスは、マドンナの公式サイト< Madonna.com >で視聴する事が可能です。(2009年7月11日現在)

R.I.P MJ

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