チャンスのつかみ方も“型破り”【法政大学田中教授】破天荒な行動力に学ぶ!――「うまくいく人の20代」
うまくいく人たちは20代にどんなことを考えていたのか? ビジネスで成功する人たちの若い頃について、インタビューを試みた第4回。どうやって天職に出会ったか。仕事とどんなふうに向き合ったのか。どんなことを頑張ったから、今があると思うのか。成長する人とそうでない人との違いとは……。今回ご登場いただくのは、法政大学教授の田中研之輔さん。キャリアデザインの専門家として、メディアで引っ張りだこの異色の先生だ。
田中研之輔 法政大学教授1976年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科を経て、豪国メルボルン大学、米国カリフォルニア大学バークレー校で計4年間の在外研究。2008年4月より法政大学キャリアデザイン学部専任講師。著書21冊。社外顧問歴13社。
人と違うことをやらないと市場価値はつかめない
著書には『丼家の経営』『走らないトヨタ』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』といった大学の先生らしからぬユニークなタイトルが並ぶ。キャリアデザインや人事、組織などを専門領域に、大学で教えるだけでなく、企業の顧問も勤める。ベースになっているのは社会学。しかも、ルポルタージュやノンフィクションに近い手法で足を使って調査をしていく研究に取り組んできた。
「質的調査法、エスノグラフィーなどと呼ばれます。人類学や民族誌、生活誌にも近い。社会学をやりたかったんですが、私自身、統計を見ていてもつまらなかったんですよ(笑)。そんなときにフィールドワークで情報を集めるスタイルがあると知ったんです。何より魅力に感じたのは、日本でやっている人がほとんどいなかったことです。だから、日本ではなかなか教えてもらえないということでもあるんですけど(笑)」。
研究者になる道、大学教員への道は、簡単なものではない。ポストが、なかなか空かないのだ。そんな中、弱冠31歳にして法政大学のキャリアデザイン学部の専任教員になったのは異例のことだった。しかも、田中研之輔氏が応募したのは、この1大学のみ。
「大学院に進んだときにまず気づいたのは、人と違うことをやらないと自分の市場価値は生み出せない、ということでした。私が学んだ一橋大学大学院の研究科だけでも、大学院生はかなりの数がいます。私が在籍した当時でも、一つのゼミに、博士課程の学生が15名ぐらいは参加していました。それがゼミごとにあるわけで、自分の強みがなければ、ポストを得ることなど、まず無理だという認識は強く持っていましたね」。
実際、日本では珍しいユニークな研究は評価を受けた。若手の特別研究員として日本学術振興会から特別研究員として認定され、海外でも使える研究費を得ることができた。全体の約1割しかもらえないという狭き門。しかし、これだけではなかった。大学院に進んですぐに、英語をマスターすることを考えていた。英語で社会学を教えられるようになるためだ。
「そういう人がいなかったからです。エスノグラフィーは、日本では本格的に学べませんから、その意味でも海外に行く必要がありました。それともうひとつ、私はとてもせっかちで、渋滞、行列が大嫌いなんです(笑)。どうすれば並ばずに済むか、それをいつも頭に入れていました」。
そしてチャンスがやってきた。一橋大学で行われた国際学会に、国際的にも著名なアラン・トゥレーヌ教授の直系の弟子、メルボルン大学のケビン・マクドナルド教授がやってくると知ったのだ。このチャンスを活かさない手はない、と大胆な行動に出た。
「若者のドラッグについての研究発表が行われたんですが、これが本当に面白かった。感動して、絶対に声をかけようと思ったんです。それでじっと教授の行動を追いかけまして、トイレでつかまえたんです(笑)」。
東京大学に行ったら、埋もれてしまいかねない
トイレで並んで声をかけた。すばらしい発表だった。半年後の4月からメルボルン大学で学びたいのだが、行ってもいいか、といきなり打診した。
「研究費は持っていますから、生活には困らない、絶対に迷惑をかけないとも伝えて。トイレという場所が場所ですから、ケビンは苦笑いでしたね(笑)。思わず言ってしまったかもしれない『yes』を聞くと、『今、イエスと言いましたよね。言いましたね。連絡しますからね!』と返答して、その場を離れたんです。この後、会場に戻ったケビンの前には、名刺交換の大行列ができていました。私はとにかく並ぶのが嫌いなので(笑)。しかも、そこに並んでもまず覚えてはもらえないでしょう」。
そして半年後、田中氏は本当にメルボルンに行ってしまう。実は学生ビザの取得が間に合わなかったが、これまた大胆な策に出た。現地で移民局と直接、交渉することにしたのだ。
「書類を自分で揃えて直談判です。こういうときは、並びます(笑)。専門業者も使わない。というのも、フィールドワーク気質なので、なかなかできない体験は面白いわけです。何度も書類をつき返されて、3、4回は行きましたけど、ちゃんと取れるんですよ」。
しかも当初、滞在は1年の予定だったが、もう1年伸びることになる。
「1年経って、ようやく英語がマスターできたと思えたからです。ここからがスタートじゃないか、と。ただ、英語がわかってきたことで、メルボルンの研究のレベルがわかりましたから、これで日本に戻ってもいいかな、と考えました」。
ユニークな研究、メルボルンでの経験が認められ、また日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。今度は702人中2人しか認定されなかった特別研究員SPDだ。受け入れ先は、国内最高峰の社会学研究で知られる東京大学に決まった。ところが、東京大学には一度も行かなかった。
「受け入れ先とは別に海外で学んでもいいと言われていましたので。だいたい東京大学に行ったら、埋もれてしまいかねません。東大で目立ちたいとも思いませんでしたし。それより、もう一人、学びたい人がいたんです」。
エスノグラフィーの世界的権威は2人いた。メルボルンのマクドナルド教授はその一人のアラン・トゥレーヌ教授の直系の弟子だったが、もう一人のピエール・ブルデュー教授の直系の弟子がアメリカにいたのだ。それが、UCバークレーのロイック・ヴァカン教授だった。思い切って世界的権威2人の愛弟子に学んでしまおうと考えたのだ。
「そんなことを考えた人は世界のどこにもいなかったかもしれません(笑)。しかも、ツテも何もない。でも、ダメ元でアタックしてみることにしたんですね。そうしたら、私が希望していた4月からだとニューヨークにいるのでダメだ、8月に戻ってくる、と返事が来たんです。お、これは断ってないじゃないかと気が付いて(笑)。時期だけの問題じゃないか、と。それで思い切って、また行ってしまうことにしたんです」。
しかも、メルボルンから直接、アメリカに渡ることにした。お金がないので2カ月かけて船便で荷物を送った。これがまた面白いフィールドワークとなった。
メキシコ人の不法移民と一緒に道路工事で働いた
8月からと言われていたのに、4月にアメリカに渡ってしまった。しかもこのときも、ビザは現地の移民局で直接、交渉した。
「なんとかなるんですよ。留学というと、『ビザが下りないから』などと簡単にあきらめてしまう人がいるんですが、なんとかするんです。不法滞在でなければ、交渉はできる。手間と時間はかかりますけどね。でも、それが面白いんです。うまくいったらゾクゾクするじゃないですか」。
そして8月までの4カ月間は、いろんな授業に出た。自転車で走り回り、街を徘徊した。これが後に田中氏の名前を知らしめ、世界を驚かせる研究につながっていく。
「大学までの道を自転車で走っていると、びっくりする光景に出会ったんです。住宅街の舗道に100人を越える男性が、集まっているんです。圧巻の光景でした。みんな正規滞在資格を保持せずに、米国で働く日雇い労働者だったんです」。
田中氏のフィールドワークが始まった。何人が仕事待ちをしているか、毎日、数えていった。そのうち、もっと詳しく知りたくなった。そこで、一緒に日雇い労働をして働いてしまうことを考えたのである。配管工の修繕、塗装、庭の掃除、引越しの手伝い、かなりの数の日雇い労働をしました。
「後に研究として発表するわけですが、実際にメキシコ人の不法移民と一緒に働いた、というのは相当、インパクトがあったみたいです(笑)」。
UCバークレーには3年いることができたが、途中で日本にいる友人が法政大学のキャリアデザイン学部の公募情報を教えてくれ、アメリカから応募しました。その後、書類を通過し、最終面接と模擬授業を行うために、一時帰国しました。
それにしても、大学の先生らしからぬ、アグレッシブで大胆な行動の数々だが、これには理由があった。
「20歳で親友をバイク事故で亡くしているんです。痛烈に実感させられたのは、人は死ぬということです。だから、親友の分も含めて、2人分生きようと思いました。同時に、怖いものはなくなりました。配慮はするし、謙虚さは大事ですけど、死ぬと思えば何も怖いものはない。どうせ死んでしまうのに、何をためらうんですか。やりたいことを、どんどんやっていかないと」。
親友のおかげで、振り切れたという。
「それでやってみたら、大抵のことはできてしまった。もしダメだったとしても、原因を探って、またトライすればいい。できない、やらないは、言わない。とにかく、やってみる。その繰り返しです。でも、オーストラリアでも、アメリカでも、これは普通のことだったんですよね。慎重過ぎるのは、みんな時間の無駄だと思っている。階段は踏み外したって構わないんです。失敗したら、またやってみたらいいんだから、と」。
最もやってはいけないことは、納得していない状況に甘んじてしまうことだ。自分の成長につながっていることができているか、その実感が大切だという。
「ただやらされている。誰かに用意された仕事だけをやっている。こういうことになると苦しむことになりますね。しかも、大抵こうなると、組織のせいにしてしまいがち。これでは、まったく前に進めません」。
大事な選択をするときは、感性で動かないほうがいい
自身の経験も踏まえながら、キャリアデザインで大切にしなければいけないことを挙げてもらった。まずは、市場価値を意識して方向性を定めることだ。
「最も危険なのは、行き当たりばったりで進んでしまうことです。それでは、キャリアの軸も作れないし、連続性も生まれない」。
ただ、こうなっていたい、というところから逆算思考することが簡単ではないということも田中氏は認める。
「だから、なんとなくの方向性でいいんです。私の場合であれば、まず英語というキーワードでした。社会学でユニークな選択をするだけでなく、英語を意識する。また今であれば、大学の中で一番社会に近い人間になる、という方向性を据えています。だから、大学関係者ではなく、できるだけ毎日、社会人と会っている」。
こうした方向性を持っていると、例えば会社を転職するときの判断基準にもなる。何のために会社を替わるのか、はっきりとした理由が見つけられる。
「転職にしても、ただ移動したら、それはキャリアになりません。自分をどう成長させていくか、という方向性に基づいて転職を考えることです。大事な選択をするときは、感性では動かないほうがいいと思いますね」。
そしてもうひとつ、大切にしないといけないのが、目先の利益だけにとらわれないこと。
「例えば、やりたくない仕事をやっている。しかし、その仕事が自分のためにならないのかというと、必ずしもそうではないわけです。それを見定められるのは、それこそ50代だと思います。私にとって日雇い労働をした2年間の経験は、人生の財産です」。
その仕事がどう役に立つか、実はこの先わからない。20代、30代でそれを見定めようとすると、うまくいかないというのだ。
「まずはちゃんと没入する。没入しないと、絶対に仕事はうまくいかないから。雑用だってお茶くみだって、個性も発揮できるし、力も発揮できるんです。それこそコピー取りにしても、できる人は“いかに早く効率良く終えられるか”なんてことを考えてやりますから。それだけで、先輩や上司はすぐに力を見抜きます。店舗ビジネスで考えるなら、売れないから暇だと嘆くようではダメですね。なぜ、人が来ないのか、なぜ、購入しないのか。顧客目線で徹底的に考え抜くのです」。
そのためにも、社会的な存在として何をすべきかを考えることが大切だという。
「そもそも多くの企業は社会問題を解決しているし、人の生活を良くしている。自分の仕事は、その一翼を担っているということです。それがイメージできたら、仕事の見え方というのは、ずいぶん変わってくるんです」。
さらにもうひとつ大切なのが、自分を常に客観視し、俯瞰して見ていくことだ。
「これは高校生によく言うんですが、どんな人生にしたいのか、どんな主人公になりたいのかは、あなたが決めなさい、と。あなたの人生は、あなたが主役だから。でも、その一方で、あなたは監督でもある、という意識が大切なんです」。
つまり、こう動け、と言っているのは、主人公ではなく、監督だ、ということである。主人公でありながら、自分を客観的に捉え、指示を出していかないといけないのだ。
「だから、今どんな状況なのか、しっかり把握しておかないといけない。自分をよくわかっていないといけないということです。会社でも執行役になる人は、自分に何が足りないのか、自分で認識して埋められる人だけが上がっていくんです」。
長い目で見られるか、客観視できるか、が重要だということだ。自身、40代、50代では、大学に身を置きつつ、社外取締役などの形で企業に入り込んで、社会貢献していくステージを考えているという。そのための準備を、田中氏はもう始めている。
「うまくいく人の20代」はこちら
文:上阪 徹
写真:刑部友康
編集:丸山香奈枝
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