閉館後の美術館を学芸員と巡る。東京国立近代美術館ナイトミュージアム「福沢一郎展」

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『煽動者』1931年 一般財団法人 福沢一郎記念美術財団

東京国立近代美術館にて「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」 が開催中。
西洋の近代美術や古い日本美術は一般的に注目度が高いが、その間にはさまれた日本の近代美術は少し地味な印象を持たれがちだ。しかし、日本の古い伝統と西洋の近代美術がぶつかり合い新しい文化が生まれていた時期でもあり、また明治維新から太平洋戦争など激動の時代でもあった日本の近代には面白い作品が非常に多い。若いころにパリで新しい芸術を学び日本に帰ってきてからは日本社会と向き合いながら作品を作り続けてきた福沢一郎(1898-1992)はその時代に多大な影響を与えたアーティストである。

福沢は製糸場で有名な群馬県は富岡の生まれで、彼の祖父は富岡製糸場へ資金を融資する銀行を作った名士だったため、実家は裕福であった。東大へ進学、芸術に興味を持ったために大学にほとんど出席することなく彫刻の勉強をしたものの、渡仏後に最先端の芸術を学ぶなか、絵画へ転身。1930年代の日本にシュルレアリスムを紹介して前衛美術運動のリーダーとして活躍、生涯を通じ社会批評を作品として表現し続けた。

本展は「謎めいたイメージ」の中に知的なユーモアを交え社会の矛盾や人々の愚かさを諷刺的に笑い飛ばした福沢の多彩な画業を約100点の作品で振り返るというもの。

本展示を対象に、閉館後の東京国立近代美術館を貸切り、学芸員の説明を聞きながらのプライベート鑑賞会が実施された(*Mastercard最上位のブランドとしてサービスを展開するラグジュアリーカードのGold Card, Black Card会員の特典)。

1 人間嫌いーパリ留学時代

10セクションに分けられた展示では、まずパリ時代の絵画作品からスタートする。初期の福沢の描く絵は古典から同時代の作品までを幅広い西洋美術研究の上で制作されており、すでに社会を見つめるユニークな視点があったが、タイトルの付け方にも特徴がある。『人間嫌い』のような、ストーリーを感じさせるような耳に残るタイトルが多い。
第一次世界大戦直後1920年代フランスで起こったシュルレアリスムは、今までとは違った動きを起こそうとした芸術家によって人間の無意識や夢の世界を探求する芸術運動。福沢は1924-31年までのパリ留学中にシュルレアリスムに出会い、影響を受ける。

2 シュルレアリスムと諷刺

『嘘発見器』というタイトルがつけられた作品は、このような嘘発見器があるわけがない、ということで噓発見器という存在自体が嘘だというユーモアから生まれている。『扇動者』という作品が描かれたのは1931年と今から90年近く前だが、現代に通じる要素が見てとれる。現代においても、トランプ大統領がSNSなどを使って人々を右往左往させている状況があるが、この絵はまさにそういった社会風刺のメッセージが込められている。
ここで福沢が描いた人物たちは、フランスで出版されていた科学実験の本の挿絵から引用されたものがあったが、この事実に彼が生前言及することはなく、死後研究者たちによって判明した。もともと教育目的の本に使われていた挿絵を一枚の絵にわざとでたらめに配置することで、画一的に上から押し付けるような教育制度への批判を忍ばせているという意図があったのではないかと言われている。シュルレアリスムとは、もとは別々のイメージを無理やりくっつけ合わせることで新しいものを生み出し、合理的には説明できない新しい表現の可能性を追求するものだった。福沢の場合、その流れを汲みつつも必ずそこへ社会風刺や批判精神を入れるといった作家性がある。
また、彼は絵画にとどまることなく執筆もこなし、フランスのシュルレアリスムを紹介する本を1930年代に出版するなど、新しい芸術のリーダーとして当時の若者から大きな支持を集める人物であった。

この時期に前衛的な作品を発表していた芸術家の多くは若くして非業の死を遂げているが、福沢は94歳まで生き、亡くなる直前まで描き続けていた。パリから帰ってきた1930年代は日本でスーパースターとなるものの、戦争に突入した後は前衛的な芸術が発表できなくなってしまい、1940年代に逮捕される。その後は戦争に協力せざるを得なくなってしまう状況となったが、終戦後は自身の描きたいものを描きはじめ様々な賞を獲得、海外へも出て、最後には文化勲章まで獲ってしまう。日本の近代・現代において、逮捕され文化勲章をもらった唯一の芸術家だ。

3 帰国後の活動

福沢は、関係性のない二つのものを組み合わせるというシュルレアリスムのテクニックだけを使って風刺を表して、その下の世代に非常に強い影響を与えている。彼が日本で新しい表現を起こした頃、同時に日本では社会運動、それに伴う芸術運動が盛んに起こっていた。それに代表されるのがプロレタリア美術と呼ばれるもので労働者がブルジョア階級を倒そうとする共産主義的な思想に基づいた芸術であり、政府はこの動きをつぶそうとした。『美しき幻想は至る処にあり』という作品にはソビエトの旗が描いてあるが、プロレタリア芸術をからかったものである。しかし共産主義の芸術だと勘違いされ警察に注意されたという逸話がある。福沢は共産主義的な思想は全く持っておらず、世の中のあらゆることに興味を持って観察し描いていた人である。彼の立ち位置はプロレタリア芸術とも異なり、あらゆるイデオロギーから自由であった。

4 行動主義

1930年代は文筆家を中心とした表現者たちによって自由な表現を求める運動も起こったが、戦争に入るとそれすらも許されなくなってしまう。新しい表現には危険な思想が潜んでいると弾劾されていた。『蟹工船』で知られる小林多喜二が警察の拷問によって死亡するという出来事もあり社会には重苦しい雰囲気が漂っており、ファシズムに抗い人間精神の自由を守ろうとする福沢のメッセージが作品に多く隠されている。『牛』には水平線が遥か彼方にまで広がる中国大陸の光景が描かれているが、これには福沢が満州に旅行に行った時の経験が活かされている。当時飢饉にあえぐ農家や事業を行おうとする実業家たちが、夢の地として宣伝されていた満州へ大量に移住する動きがあった。しかし彼が実際に満州を訪れてみると夢の地とは全く違う現実が待ち受けていたのだ。その体験を彼は、遠くから見ると立派に見えるが、近くに寄ると綻んでいることがわかる牛の絵に反映させて表現。直接的に批判するわけではなく遠回しにメッセージを忍び込ませる彼の作風が見て取れる。

5 戦時下の前衛

1939年に美術文化協会を結成するなど前衛画家たちのリーダーとして活躍していた福沢は、シュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ、1941年に検挙され、運動に関わらないという誓約書を書かされた。自分たちのグループや自分を支持する若いアーティストたちを守るために戦争協力を余儀なくされるが、当時の絵描きはそのような協力を強いられた者も多かった。

6 世相をうつす神話(1)
戦後に活動を再開した福沢が手がけた『樹海』は、戦後の美術はここからスタートしたとしてよく紹介される。戦争によって人々は疲弊しているけれど、自然は変わらずに力いっぱい生い茂っているという対比が見られる作品で、戦後の大きな混乱により必ずしもすべてが綺麗ごとばかりでいくわけではないなかで人々が模索して生きているさまが表されている。ただ当時の様子をそのまま描くのではなく、神話の世界のように場面を置き換えることで普遍性を持たせることをした、ヒューマニズムの姿勢を強く見せた作品。

7 文明批評としてのプリミティヴィズム
1952年に渡欧し、その後ブラジルとメキシコを経由して帰国した福沢。そこで見た自然や人々の暮らし、美術からさらに力強い絵を描いていく。日本が復興し近代化が進んでいった時期ゆえに逆にプリミティヴなパワーに惹かれたのだろうか。
『埋葬』は、メキシコで見かけた若い女性の葬式の光景を描いた者。日本と違って華やかな印象を受け、生と死の捉え方が異なることがわかる。

8 アメリカにて
福沢は1965年にNYに旅をし、盛んになっていた黒人の公民権運動を目にし、自由を求める運動のエネルギーを連作の中に描いた。また、NYの人々を機知に富んだ構図で写真に収めている。

9 世相をうつす神話(2)

1970年代に入り、油絵具と比べてすぐに乾くアクリル絵の具が登場したことで、彼の絵はどんどんと大きくなり、色も一気に鮮やかになる。イタリアでダンテの神曲について考え、描いた『ダンテ暗闇の森へ』。神曲は天国と地獄についての叙事詩だが、彼は天国よりも地獄の方が面白いと感じ、この後も地獄をテーマに多くの絵を描いていく。ヨーロッパで古くから描かれていた地獄の様子と、東洋の地獄のイメージをどちらも取り入れているのが興味深い。


『悪のボルテージが上昇するか21世紀』 1986年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館

10 21世紀への警鐘
『悪のボルテージが上昇するか21世紀』は、1986年88歳で描いた作品。原始人のような格好で人々が争い、右にはマンハッタンのような光景、左は荒野が広がり、人々の足元にはお金が散らばっている。アメリカとソビエトの冷戦が終わりを告げそうだが、この先の世界は果たして本当に良くなるのだろうか? 21世紀はどうなっていくのだろう、という思いがこもっているようだ。9.11の同時多発テロとその後の世界情勢の予言とも見ることができる。このように、世界中のありとあらゆる時代の知識をもとに、自分なりの表現に作り替え、見る人間に様々なメッセージを投げかけた芸術家、福沢一郎は、今の時代だからこそ知って、見ておきたい芸術家である。

東京国立近代美術館
「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」 

会期:5月26日(日)まで 
観覧料:一般1,200円他

東京国立近代美術館  (〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1)
http://www.momat.go.jp/

ラグジュアリーカードによる美術館優待
Gold Card, Black Card会員を対象に閉館後の東京国立近代美術館を貸切り、学芸員説明によるプライベート鑑賞会を実施する他、ラグジュアリーカード会員はカード提示で、国立美術館での所蔵作品展が同伴者1名様まで無料で何度でも鑑賞できる。また、全てのカード会員向けに新たに6つ目の国立美術館として、国立映画アーカイブ(7階展示室)が加わり、所蔵作品展を同伴者1名様まで無料可能に。さらにGold Card、Black Card会員は国立新美術館、東京国立近代美術館の企画展にて会期中同伴者1名様まで無料で鑑賞できるほか、Gold Card会員は会期中いつでも同伴者1名様まで無料、Black Card会員は会期中の金曜日限定で同伴者1名様まで無料となる。

ラグジュアリーカード
公式ウェブサイト:http://www.luxurycard.co.jp/

■ラグジュアリーカードとは
2008年に米国で創業、日本では2016年から発行する金属製クレジットカード。Gold Card、Black Card, Titanium Cardの3種類を発行し、最上位のGold Cardは24金コーティングが施されている。Mastercard最上位のブランドとしてサービスを展開、「World Elite™ Mastercard®」日本初採用のクレジットカードだ。 Luxury Card Conciergeが提供する24時間365日対応のコンシェルジュサービスは、世界的にも驚異のリピート率を誇り、高い顧客満足度を得ているほか、 ザ・リッツ・カールトン、マンダリンオリエンタルやザ・ペニンシュラなどの一流ホテルで平均総額500ドル相当の特典を受けられるLUXURY CARD Hotel & Travel、無制限・無料で世界中の空港ラウンジを利用できるPriority Pass、 レストランご利用時のリムジン送迎サービス、映画館や全ての国立美術館におけるラグジュアリーカード会員限定の優待サービスを提供している。
2017年11月からは法人口座決済用カードも発行しており、企業代表者からスタートアップの事業主まで、従業員含め最大5名様まで申し込み可能。なお、法人カードで各種納税をはじめ、Suicaモバイルチャージでもショッピング同等のポイントが付与される。まるで秘書のようにサポートしてくれるコンシェルジュ、接待にも使えるリムジン送迎サービス、ネットワーキングに活用できる会員限定イベントなど、ビジネスを支えるサービスを数多く提供しているのが特徴だ。

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