「お心あたりがあれば続きをお話します」美しい姉妹の姫にときめき! ズケズケ物言うおばさんパワーと驚き目覚めるほどの”いい匂い”に困惑~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~
匂いに驚き目覚める人びと……忍び歩きに不向きな特異体質
在俗でありながら心は僧侶のような“俗聖(ぞくひじり)”八の宮に憧れ、宇治へ通うことになった薫。公務が忙しくなかなか暇がなかった彼は、久しぶりに宇治へ足を運びます。すでに交流が始まって3年、薫22歳の秋のことです。
山荘は川のこちら側なので舟も必要なく、薫は少数のお供を連れて馬で向かいます。霧が立ち込め、荒々しい風が木の葉とともに冷たく吹き付ける秋の夜中。薫は経験したことのない外出に、心細くも興味深く思いながら進んでいきました。
いよいよ山荘が近くなると、何の楽器かわからないほどかすかな音が漏れ聞こえてきます。(これが八の宮さまのお琴か。評判の宮の演奏をまだ聞かせて頂いたことがなかった。ちょうどいい機会だ)。
薫は音色に耳を澄ませます。楽器はどうやら琵琶らしく、撥捌きも重々しく、たいそう清らかです。ところが、彼特有のえも言われぬ良い香りが漂ったせいで、宿直の下男が起きてきてしまいました。
実は来る途中も音を立てないように薫は気を配って来たのですが、音よりも薫の珍しい残り香に近隣の住人たちが目を覚ましています。何にしてもお忍びには不利な体質です。
パッとしないその男は「あいにく、宮さまは今日から阿闍梨さまのお寺で7日間のお籠りです。いらしたことをお知らせしましょう」と言いますが、薫は「その必要はない。日を決めて勤行をなさっているのをお邪魔しては申し訳ないからね。せっかく来たけど、姫君がたにだけご挨拶して帰るよ」。
男は醜い顔に笑みを浮かべて「では早速……」。薫はそれを静止し「噂に聞く姫君がたの演奏をもう少し聞かせてほしい。どこか隠れられる物陰はないか。僕は堅物で通っているから、おかしな真似はしないよ」。
薫の堂々とした態度に押され、男はしぶしぶ案内。ふたりは人のいないときだけこうして演奏し、たとえ身分の低い者でも、京から人が来るときは楽器に手を触れないよう、八の宮が厳しく注意しているらしい。姉妹の姫がいることはとっくに知られているのにと思いつつ、薫は姫たちをのぞき見ます。
小説よりも奇なり!? 月明かりに微笑む美しい姉妹の姫
姉妹は霧に隠れた月を眺めようと、御簾を巻き上げていました。琵琶を置いて、柱に隠れるように座っていた女性が撥を手で弄っていると、急に月が明るく輝き始めます。
「昔話のように扇でなくても、この撥でお月さまは招けるようですわ」。彼女はそう言って微笑みます。なんとも可愛らしくきれいな人です。
すると、横になっていたもうひとりが琴の上に身を起こし「まあ。琵琶の撥で招き返すのは夕日じゃなかったかしら。お月さまなんて、変わってるわね」。こちらはさっきの女性よりも落ち着いて優雅で、どうやらお姉さんらしい。
「だって、琵琶の撥を収めるところは隠月というから、まんざらでもないでしょう?」。妹は反論し、ふたりは他愛ないおしゃべりに興じています。
薫は姉妹の可憐な様子に目を見張ります。3年ほどこの山荘に足を運びながら、もちろん若いふたりの姫がいることは頭の隅で意識していました。
でも、ここへ来るのはあくまでも宮と仏道談義をするためで、スケベな下心がある男と俺は違う! という思いと、いくら若い姫とはいえ、川音と風の音しか聞こえないような場所で育ったのだから、がさつでデリケートさのかけらもない性格なのでは、などと勝手に思っていたのです。
ところがどっこい、昔話もびっくりな美しい姉妹の姫。(物語などを若い女房が話すのを聞いては「そんな話あるわけがない」と思っていたが、なるほどどうしてこんな不思議な事があるんだなぁ)。まあ、これ自体がフィクションではあるのですが……。
もっとよく見たいと思うのに、霧が深くてよく見えない。また月が出てくれないか、と薫が願っていると、誰かが来客を知らせたらしく、姫たちは御簾をおろして引っ込んでしまいました。
下がっていった身のこなしは奥ゆかしいものでしたが、姫たちの衣は着古して萎えていて、衣擦れの音すらしないのを、薫は痛々しく思います。
対応に不慣れでまごまご……そこへズケズケおばさん登場
薫は、こうなったらコソコソせずに挨拶をしようと取次を願います。ところが、めったにお客さんも来ない場所なので、誰も彼も応対慣れしておらず、まごまごするばかり。薫に出す座布団さえもろくに出せない有様です。
姿を見られたとは知らない姉妹は御簾の奥で(どうしよう、下手な演奏を聞かれたかしら)(そういえば不思議ないい香りがしていたけれど、あの方の匂いだったのね。うかつだったわ)と後悔しきりです。
薫はこの対応に不服そうに「こちらにしか通していただけないのでしょうか。険しい山道をやっとの思いでまいりましたのに、残念です。僕が度々こちらにお邪魔しているのはご存知でしょうに……」。
こういった時は女房がうまくとりなして話をつなぐのが普通ですが、田舎女房たちは突然現れた立派な貴公子にどう返していいかわからず、緊張するやら恥ずかしがるやら。物慣れたベテラン女房を起こしに行く間、仕方なく姉の大君が
「何もわからない私達がどうして、知ったふうにお返事を申し上げられましょう」と、上品な声で返事します。
薫は、先ほど覗き見た美しい人が声をかけてくれたので、興奮気味に「俗聖のお父様のもとで暮らす、ご聡明なあなたはきっと私の心がわかるはず」と持ち上げ、「私は世間一般の男と違い恋愛にも結婚にも興味がなく、未だ独身だ」とアピールした上で「こんな僕のお話し相手になってくださったらどんなに嬉しいでしょう」と、ガンガン自分を売り込みます。いきなり過ぎ。
これには大君も何と答えていいかわからず戸惑います。そりゃそうでしょう……。そこへちょうど、叩き起こされたベテラン女房が出てきました。年は60手前といったところでしょうか。
「まあまあ、もったいない。こんな失礼な席にご案内して!さあさ、御簾のうちへどうぞ。まったく最近の若い女房ときたら、おもてなしのいろはも知らないんですから……」。いつの時代も、おばさんパワーは健在!しかし、あんまり彼女が遠慮せず言うので、姫たちはそれも恥ずかしい限りです。
薫も、応対が上品な姫君からズケズケおばさんに変わったのにちょっとムッとしました。その一方で、上流社会をよく知るらしい感じを認め、やっと話のわかる人が出てきたと安心します。ここで唐突に、彼女は涙を流し始めました。
「心当たりがあれば続きをお話します」老女が見せた涙の訳
「出過ぎ者とのお叱りがあるかと思い、今まで控えておりましたが、どうしてもお話したいことがございまして……長年あなた様にお目にかかりたいと願い続けていた甲斐がありました。こうしていても涙がこみ上げてきて、申し上げることもままなりません」。
老人は何かと涙もろいものとは聞いているものの、彼女の震えはただならぬものがあり、その真剣さを薫は異様に思います。話すように促すと、女房はこう切り出しました。
「私は弁と申しまして、紅梅大納言の兄君の柏木さまの乳姉妹でございました。ご存知ではないかも知れませんが、その方が若くして亡くなられたこと位は伝え聞いていらっしゃいますでしょう。
柏木さまには誰にも申し上げられない、秘めたお悩みがおありでした。そして亡くなられる直前に私に遺言なさったことがあるのです。老い先短い身ですが、このことだけはどうしてもと、今までこうして永らえて来たのでございます。
柏木様が亡くなられたのがついこの間のような気がいたしますのに、あなた様がご立派に成人なされたのを拝見でき、夢のような心地がいたします。
ここまで申し上げましたので、お心あたりがございましたらまた、日を改めてお話いたしましょう。このような機会はまたとありますまい」。
薫に、長年謎だった自分の出生の秘密の手がかりをつかんだ! という直感が走りました。とても続きが知りたいと思いますが、他の女房の手前もあるし、この弁の君とばかり話し込んでいるのもふたりの姫に失礼です。
「何やらよくわかりませんが、昔話というのはあわれを誘うものですね。どうかまた日を改めて是非お話しください」。周囲を憚り、薫がそう言って立ち上がると、八の宮のいるお寺の方から、かすかに鐘の音が聞こえました。
心ときめく出会いの影に…不相応なお礼をもらった男の困惑
薫は大君に挨拶をして、先程の下男が用意してくれた宿直所に引き上げます。夜が明けるに連れて、霧の立ち込める宇治川の様子が見えてきます。柴を積んで行き来する粗末な舟。あまり魚の取れないらしい漁場。うら寂しい秋の朝です。
「こうして苦労して生計を立てている彼らに比べ、貴族の暮らしが安泰だと言えるだろうか。この世は無常、誰も皆はかない身の上だ」。どんな人生でも手放しで幸せ、なんてことはないんだろうと、秘密の核心に迫りつつある薫はしみじみと思います。
それにしても、こんな景色を毎日眺め暮らしている姫たちは、どんなに寂しいだろう。「橋姫の心を汲みて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」と、薫は硯を借りてお見舞いの手紙を贈ります。寒い秋の朝、下男は顔に鳥肌を立てて持っていきました。
大君は(本当はいい香りを焚きしめた紙でお返事しないと……)と思いつつ、とにかくすばやくお返ししなくてはと「さしかえる宇治の河長朝夕の しづくや袖を朽たし果つらむ」。私達は涙で濡れるどころか、袖が朽ちてしまうほどですと返します。
その筆跡の見事なこと、昨日からの応対のさりげない感じ、そして月明かりに見た美しい顔。薫はすっかりこの姫に心がときめきます。でもあいにく、ちょうど京からお迎えの牛車が到着。「また宮さまが戻られた頃にお伺いします」と、帰っていきました。
さて、何かと心を砕いてくれた下男には、お礼として夜露に濡れた薫の衣服を与えました。下男はこれをありがたく頂戴しましたが、あまりの高級品すぎてまったく彼には似合いません。
おまけに薫独特の良い香りが染み付いているとあって、あちこちで怪しまれたり驚かれたりする始末。何をしても匂いでバレてしまうので不自由でたまらず、なんとかして消してしまいたいと思いますが、洗濯をするわけにもいかず難儀したというオチで終わっています。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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