黒人テキサス・レンジャーの闘い『ブルーバード、ブルーバード』
朝から嫌なことがあり、感情を抑えるのに苦労しながら一日を過ごした。
心の中に怒りがあるとき、世界は滅亡の淵へと突き進んでいるように感じられ、赤い炎が至るところに立ち上っているように見える。
ほうぼうから怨嗟の声が聞こえる。
この事態を食い止めなければならないという思いが心を支配する。
そんなときに自分がいかに危ないところまで進んでいるかは、後になってみなければわからないものだ。怒りは目を曇らせる。世界を黒く塗りたくる。
アッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』は、そんな負の感情に囚われた者たちを舞台に配して幕を開ける小説だ。作者のアッティカ・ロックは本作でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞、英国推理作家協会賞スティール・ダガー賞、アンソニー賞長篇賞の三冠に輝いた。
合衆国南部の中心ともいえるテキサス州は、保守的な倫理観が強く、一部には人種に関する偏見が多いことでも知られる土地だ。テキサス・レンジャーという司法機関がある。アメリカ最古の州法執行機関であり、市民からは最大限の信頼を寄せられる。
本書の主人公、ダレン・マシューズはごく少数派に属するレンジャーだ。彼は黒人なのである。問題の多い母親から引き離され、双子の伯父に育てられた。その一人であるクレイトン・マシューズは彼に法律家の道を歩むことを望んだ。ダレンはクレイトンの望む通り法科に進んだが、1998年にテキサス州ジャスパーで起きた事件が彼の運命を変えた。ジェームズ・バード・ジュニアという黒人の男性が、残酷なやり方で殺害されたのだ。ダレンはそのことを恥じ、世界を正しい方向へ導きたいと強く望んだ。そしてテキサス・レンジャーになることを選んだのである。もう一人の伯父、テキサス・レンジャーで初めてのアフリカ系アメリカ人だった、今は亡きウィリアム・マシューズのように。
本書の冒頭、ダレンは停職中の立場として登場する。ある貧乏白人が殺害された事件で、被告として訴追された黒人男性を助けて不適切な行動をとった可能性があるとされたためだ。そんな彼に、FBIの友人から連絡がある。ハイウェイ沿いの田舎町ラークで相次いで二つの変死事件があったという。先に死亡したのがマイケル・ライトという都会からやってきた弁護士の男性、後から発見されたのがミシー・デイルという地元の白人女性だ。
妙だな、とダレンは考える。
—-南部によくある筋書きでは、ふつうは反対だった。まず白人の女が殺されるか、なんらかのかたちで害されるかして、それが現実であれ想像上のものであれ、月が太陽につづくように、次には黒人の男が死ぬことになるのだ。
つまり白人による私刑である。ダレンが闘い続けている相手にABTがある。アーリアン・ブラザーフッド・オブ・テキサス、KKKのように白人至上主義を唱えるが、その活動はさらに悪質で、誰かが新しく成員になるためには黒人を一人殺すことを求められる。思想団体に擬装しているが、その実は麻薬密造販売も行う犯罪組織だ。ラークにABTの影があることを知らされたダレンは、地元の保安官に事件を任せておくことはできないと決意する。愛用のピックアップトラックに乗り、ハイウェイ五九号をラークへ。テキサス・レンジャーという身分をもし剥奪されたら、単なる一個人になるにもかかわらず、危ない勝負に出るのだ。
ここまでが第一部の内容で、第二部からはラークへ到着したダレンが関係者に会い、町について知っていく過程が描かれていく。初めのうち、物語の進行は非常にゆっくりしたものに感じられるはずだ。文章の情報量が多く、きちんと咀嚼しなければいけない、という理由がまず一つ。ラークにダレンが着いた瞬間からさまざまなことがわかり始めるが、最初はそれが混乱したままで提供されるので理解に時間がかかるのだ。しかし、あるところからその関係性がはっきりと見えるようになる。収まるところにピースが収まり、絵面が浮かび上がってくる。そうなったときには問題点が明確に浮き上がり、読者はダレンと同じような近さから証拠や証言を見ることができるようになっているはずだ。
もう一つの理由として、感情の混乱がある。事件の関係者たちはみな心を閉ざしている。特に黒人の側がそうだ。彼らにはラークの町で、理不尽な暴力に脅かされてきたという過去がある。恐怖の感情は身近であり、希望はすぐあとにやってくる絶望の先触れにすぎないのだ。そんな中で真実を語らせることの難しさにダレンは直面する。そして、ダレン自身も感情が混乱している。人種差別の、AFTという許せない敵への憤怒が彼を駆り立てているからだ。彼はしばしば、自分が間違っているかもしれないと感じながら直感に従って行動する。ダレンが真実を知るには、彼の中で渦巻く怒りの炎が収まるまで待つ必要がある。
本書が高い評価を得たのは、人種間、階層間の分断が高まっているアメリカ合衆国の世情をヘイトクライムかもしれない犯罪を描くことで端的に表現したからだろう。だが、その先がある。怒りに対して怒りをぶつけることで何が起きるのか。力で力を封じることが本当に正しいのかを作者はダレンを通じて問うのである。真相を知ったときに読者が感じるものは、単なる正義が悪に勝ったというカタルシスだけではないはずだ。誰かを許せないと感じた日に。自分は正しいのになぜ認められないのかと思った日に。心が絶望に支配された日に、本書を。
(杉江松恋)
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