大企業の社員を続けながら、クラフトビールを醸造する「幕張ブルワリー」を起業して得たものは?
大企業の社員とブルワリー経営者を両立させている富木さん。未経験からの起業でありながら、クラフトビールの醸造設備を持つ店舗を構えるまでに至ります。
そして今、もともとは関係のなかったNECソリューションイノベータとブルワリーの仕事が重なり合おうとしています。今回は、富木さんに起業後に起きた変化についてお聞きました。
富木毅(とみきたけし)さん
1999年明治大学農学部農芸化学科を卒業後、2004年総合研究大学院大学で博士後期課程修了(遺伝学専攻)し、NECソフト(現NECソリューションイノベータ)に入社。以来、バイオ領域の研究開発や新規事業開発を行う。2017年9月に千葉の海浜幕張にビアパブ「幕張ブルワリー」をオープンし、2018年6月よりクラフトビールの醸造も開始した。
事業を始めるために不可欠な“最初のフォロワー”との出会い
──富木さんはNECソリューションイノベータに勤めながら、未経験の飲食事業の領域で起業されていますが、誰か協力者がいたのでしょうか。
幕張ブルワリーの事業内容は、ビール醸造やビアパブの運営ですから、もちろん私一人だけでできるものではありません。そこで事業パートナーは早い段階から求めていましたが、幸いなことに、いいタイミングで事業パートナーを得ることができました。
きっかけは、NECソリューションイノベータで仲の良かった友人を通じてです。彼とは趣味で一緒にトライアスロンをやっていたのですが、2012年に徳之島の大会に出たとき、妹を連れてきていたんです。その女性が事業パートナーになってくれました。
徳之島で初めて会ったときは、空港に着くまでの15分くらいしか話はしていませんが、なぜか「この人だ」という直感のようなものがあったんですよね。もともとFacebookでつながっており、きれいな料理を作る人というイメージはあったので、事業を一緒にやらないか、と誘ったところ、「興味がある」ということだったので事業パートナーになってもらいました。
──なるほど。事業パートナーは、やはり欠かせないものなのでしょうか。
そうですね。起業してからこれまでを振り返ると、以前通っていた、社会起業大学というビジネススクールで教わったことを思い出します。そのスクールで講師をされていた並木将央先生から、ある映像を見せてもらったんです。
その映像は、多くの人がいる中で一人きりで踊っている男性を映していました。踊っている人を、周りの人はただ眺めているだけ。ところが、しばらくするともうひとりの男性も加わり一緒に踊り始めます。そのうち、踊る人が3人、4人と増えていき、最後には公園にいるほとんどの人たちが踊りに加わるようになっていました。
この映像は、ムーブメントが起こるまでの過程を象徴的に伝えるものですが、起業にも通ずるものがあります。とにかく大切なのは、 “ふたりめ”の存在なんです。私がひとりだけで動き回っていても、おそらく物事は動いていかないでしょう。でも誰かひとりがついてきてくれることで、状況は一気に変わってくる。
私は、幸いなことに事業パートナーを早くに得ることができたため、その後も様々な人が関わってくれるようになりました。今は彼女のほかに、シェフや店長とともに店を運営していますが、それぞれが自分の役割で活躍してくれているので、とてもありがたく感じていますね。
会社員と起業家、それぞれの仕事が関わりはじめる
──富木さんは、今もNECソリューションイノベータでもお仕事をされていますが、幕張ブルワリーの仕事との絡みはあるのでしょうか。
私は現在、NECソリューションイノベータの仕事として新規事業開発に携わっています。詳細は述べられませんが、ビールを活用した新規事業のアイデアを提案したところ、思いのほか多くの人に共感をしてもらえました。NECグループ内で一緒に検討してくれる仲間を募ったところ80人くらいの人が集まってくれたんですよね。
NECグループは、ITを活用した事業領域が中心ですが、幕張ブルワリーの仕事と絡む可能性が生まれたというのは興味深いことだと思います。今の社会は、経済成長や人口増加を前提とした成長社会ではなく、成熟社会という新たな局面に来ています。持続可能な社会や、人が豊かになれるビジネスを模索する企業が増えてきているのではないかと感じますし、ITも新たな使われ方が出てくるかもしれません。
NECソリューションイノベータが持つ技術をうまく組み合わせることで、人の心を豊かにするビジネスが生まれる可能性は十分にあると思います。幕張ブルワリーをはじめた頃は、NECソリューションイノベータの仕事との間に乖離がありましたが、両方を続けてきたことに意味があったと今は感じますね。
──NECソリューションイノベータで経験した新規事業開発は、幕張ブルワリーの経営にも活かせているのでしょうか。
もちろん、活かせたことは多々あります。新規事業開発の業務経験は、良かったと思いますね。ただ、会社員として新規事業を立ち上げるのと、自分が経営者となるのは大きく違うように感じます。
経営って、自分そのものなんですよね。経営者以上に会社は大きくならない。そして、経営者の弱さが経営に出てきてしまう。これまで起きた経営上の問題を振り返ると、すべて根本原因は自分自身でした。過去の執着であったり、弱さであったり、それが経営上の問題となるため、そういった部分に向き合わざるを得ません。
会社員の立場でやってきた新規事業開発も、自分の世界観を表す仕事ではありますが、自分の他にもたくさんの人が関わっていますから、自分で経営をするほど、自身のあり方が問われる感じはありません。
“素”だからこそ、恐怖感なく起業できた
──富木さんは起業をするにあたって、恐怖心はなかったのでしょうか。
不思議と恐怖はありませんでした。今の事業での起業は、自分にとって、とても自然な感覚でした。自分の素直な気持ちが今の現実に結び付いているという感じがあるんですよね。逆に言えば、そうでなければ起業なんてできなかったのかもしれません。
前回、幕張ブルワリーをやる前にコミュニティカフェを開こうとして失敗したことをお話しました。今から振り返ると、あのときは自分の素でやりたいことではなかったのかもしれません。素でないものは問題が起きるとあっけなく挫折してしまいますから。
幕張ブルワリーのほうは、自分の素直な気持ちに合っていると感じます。また、素でやることは、多くの方々の共感を得られる。そのおかげでいろいろな人たちの協力を得ながら、進んでくることができたような気がします。
──自分の素直な気持ちを感じるために、できることはあるのでしょうか。
最近大事にしているのは、“走る”時間です。もともと走ることは嫌いでしたし、今も大会に出たいとか痩せたいという気持ちはありませんが、自分と向き合う時間として走る時間を持つようにしています。
走ると、余計な恐怖や執着が抜けて素直な自分を取り戻せるんですよね。何か問題が起きても、走ると素直な解決策を見いだせる感覚があります。そのため、幕張ブルワリーの経営の重要な決断は、走って決まることが多いです。
──ありがとうございます。最後に富木さんが今後やりたいことをお聞かせください。
まずは、今後2、3年のうちに、幕張産のにんじんやイチゴなどの地元の食材を副原料にしたクラフトビールを開発したいと思っています。さらには、畑を借りて自分たちでビールの原料を作ることも考えていますね。
幕張ブルワリーには「身近な豊かさ・幸せを感じる世界を描く」というビジョンがあります。これは、幕張とつながるすべての人たちに、食を通じて幕張の豊かさや幸せを感じていただきたいという想いでつけたものです。
でも、最近は「一番身近な存在とは、自分自身ではないか」と思うようになってきました。幕張ブルワリーでは、ビールの醸造と飲食店の2つの事業を柱としていますが、これから第3の事業の可能性も追求したいと考えています。まだ具体的には見えていませんが、ビールを活かして、一番身近な存在である自分を感じ、自分と向き合い、そこから何かが生み出されるような何かを事業として考えていきたいですね。 ──前編を読む
文・小林 義崇 写真・刑部友康
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