町田康の素晴らしき猫作品集『猫のエルは』
前回に続き、猫本を。昨年だったか、”統計を取り始めて以来初めて、犬よりも猫の方が多く飼われるようになった”的なニュースに目を引かれた。確かに何年か前まではずーっと犬人気が続いていて、”ペット=犬”といった認識が行き渡っていたように感じていた。それがここへ来ての逆転劇に、たいていのことに反動はくるのだなあと思ったものである。とはいえ飼い主の数は犬派の方が多いらしいが(猫の飼い主は複数匹飼う人が多いということか)、こと作家に関しては猫が似合うイメージがあるのは私だけだろうか。
これはもちろん夏目漱石による不朽の名作『吾輩は猫である』の存在が大きく影響している気がする(漱石自身は猫好きではなかったらしいけれども)。しかしそれ以外にも、生涯で500匹ほどの猫の世話をした大佛次郎や『ノラや』『贋作吾輩は猫である』といった本も残している内田百閒、かわいがっていた6本指の猫の子孫たちがいまでも記念館の構内で暮らしているというヘミングウェイなど枚挙にいとまがない。もちろん同じくらいの数の犬好きな作家もいると思うが、猫派作家はその嗜好を作品に反映させることが多い印象。そこで、町田康である。
彼もまた、猫好きで有名な作家である(Twitterにアップされている猫写真の数々もたまらない)。その町田さんが猫を描いた作品の数々が気にならなかったら、猫好きの名がすたるといってよいだろう。とはいえ、甘々なばかりの作品ではないので心してお読みいただきたい。本書には5編の小説や詩が収められている。私が最も心を打たれたのは…いや、選べないな、どれも素晴らしい猫小説(あるいは猫詩)だから。それでも、あえて気になる一作を選ぶとするなら「ココア」という短編を。突然、人間と猫の立場が逆転した世界に紛れ込んでしまった主人公と、彼が前の世界で飼っていた猫のココアが主要人物(主要猫)。本書に登場する猫の中でもココアの聡明さと愛情深さは際立っていて、飼うならこういう猫がいいと身悶えせずにいられない(笹かまぼこを差し出すココアのイラストにやられた、というのも大きいかもしれない)。一方で表題作である「猫のエルは」という詩のエルのように、「見ているだけで儲け」と感じさせてくれるような猫こそが至高かも、とも思う。
いずれにしても猫を描く町田さんの視線は温かい中にも冷静さがあり、猫の気まぐれな雰囲気や残酷さ(というのもあくまで人間の感覚で判断していることかもしれないけれど)も淡々と描写されている。多数の猫と暮らし、日々向き合ってきた著者だからこそ彼らの視点からの執筆が可能となった作品といえよう。私自身は残念ながら猫と暮らした経験はない初心者なので断言はできないものの、ディープな猫好きをも納得させる描写力であるに違いない。ちなみに、町田さんはやはり飼っておられた犬の視点で書かれた『スピンク日記』(講談社文庫)なども書かれており、犬猫どちらも受け入れられるバランス感覚みたいなものに裏打ちされた文章になっているように感じる。
本書でもうひとつ特筆すべきは、現在若い女子たちを中心に大人気の画家・ヒグチユウコの絵。ヒグチさんの細密かつ美麗でありながら同時に不穏さを醸し出すタッチによって、ただかわいいだけの絵では表現しきれない猫というものの複雑な魅力が描き出されている。月並みなもの言いで申し訳ないが、天才同士のコラボレーションによって生まれた美しい絵本のような一冊、猫好きの宝物となるのでは。
(松井ゆかり)
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