学生の時から社会課題に取り組み、遂には過労で入院。それでも「世界を変えたい」と“私にできること”をやり続けた10年間
NPOなど社会課題を解決する団体・ソーシャルグッドに取り組む企業に特化した広報支援をしているひとしずく株式会社。組織ではなく、「人」に寄り添うPRコンダクターでありたいという代表取締役のこくぼひろしが、環境問題を解決したいと思ったその原体験から10年以上温めてきた想いを自ら語ります。
※本記事は、「PR Table▼」より転載・改編したものです。
「命に関わる問題」を目の当たりにした、ボランティアの現場
▲ワークキャンプ@フィリピン ブカスグランデ島
ひとしずく株式会社は、NPO・NGOといった非営利団体、ソーシャルグッドに取り組む企業に特化した広報支援を行う会社として、2016年4月に創業しました。
私がなぜこの事業を始めたのか。それは大学生のころから10年以上も温めてきた、ある想いをカタチにするためです。今回は、その想いが何なのかを、私自身の半生を振り返りながらお話ししたいと思います。
教職の両親の元で育った私は、小学生のころから、生徒会長、児童会長と仲間を率いる役割を率先して行う正義感の強い子どもでした。また、お風呂場に水を溜めて「スーパーボールすくい屋台」のようなイベントを家で開催したり、クラスで転校する友人がいたらお別れ会を開催したりと、イベントを考え、みんなを束ねるのが好きな少年でもあったと思います。
そんな私が環境問題に興味を持つきっかけとなったのは大学時代。海外に行きたいという理由から、立教大学が主催していたフィリピンで植林活動をするワークキャンプに参加することに。
プロジェクトに申し込んだときは、「木を植えることで世界を救うんだ!」と意気込んでいましたが、実際にフィリピンに行ってみると、自分が何の役にも立たないことがわかりました。小学生からサッカーをしていて体力に自信がある自分でも、現地の人には敵わないほどの重労働。そこで私は支援しにいったにも関わらず、体調を崩してしまったのです。
しかも、現地の人は電気も水道もない暮らしをしている。学生時代に授業で環境問題について教わったものの、それはすべて教科書で学び、頭の中で考えていたことです。雨が降らない、魚が取れない、サンゴが毎年減っている…日本にいると、そのような話を聞いても不自由なく生活できる環境がありますが、フィリピンでは自分ゴトとなりました。
現実を目の当たりにした私は、環境問題は、地球上で生きていくために解決しないといけない「命に関わる問題」なのだと実感。それからの大学生活では、2~3週間の単位で、何度もフィリピンに滞在し、植林を行うボランティア活動へ参加を続けることになるのです。
NPO・NGO職員は“ボランティア”ではない
▲NGOでの政策提言インターンをした学生時代
そのような活動を続けていた大学4年生のころ、その道のプロフェッショナルの人たちはどう活動をしているのか、おのずと知りたくなっていました。そこで、国際協力NGO 日本国際ボランティアセンター(JVC)という団体でインターンとして働き始めることに。
しかし、私はそこで大変ショックな事実を知ることになります。それは、NPOなど社会課題を解決する団体の“真の姿”が知られていないという現状。大きな団体であるJVCでさえ、世間からはその個別の活動があまり知られていませんでした。
皆さんは、NPOなどに所属している人たちをどのようにイメージされているでしょうか。ボランティア? 趣味を仕事にしている人? いいえ、違います。団体の人は社会課題を解決するプロフェッショナルで、その後のキャリアとして国際機関や教育機関等でも働く方もいます。
この人たちがもっとプロフェッショナルとして認知され、正しく評価されるにはどうすればいいのか…。そのような課題を感じていたとき、私に転機が訪れます。なんと大学4年の2月に入院することになってしまったのです。原因は、インターン以外にもサークルや愛知万博のプロジェクト、主催イベントなどソーシャルグッドな活動に精力的に動きすぎた反動による“過労”。
そこからは、絶対安静の入院生活がはじまりました。卒業式は病室で迎え、仲間が4月1日に社会人となるその日に自分は退院。退院しても1ヶ月は自宅療養をせねばならず、仲間からポツンと取り残されてしまった感覚でした。今まで仲間内の中心メンバーとして活動的に過ごしていたのに…。このころの私は、人生でどん底を味わっていました。
しかし、自宅療養をする日々の中で、改めて自分と向き合うことができました。これまでは、世界のために、社会のためにという気持ちで手当たり次第やってきた。しかし、そんな自分には何ができているのだろう? 本当に自分がすべきことはなんだろう? 一体自分は何者なのだろう…? そう自問自答したとき、自分には特化したスキルがないことに気づいたのです。
その“特化したスキル”を身につけるために、私が選んだのが“コミュニケーション”。社会課題解決のプロフェッショナルたちを世の中に伝えていくためには、このスキルが必要だと感じたのです。その後、就職活動を経て、広告代理店に入社。しかし、広告業界に関わるうちに、広報という領域を知り、転職を考え始めるようになります。
そんなとき、スペシャルオリンピックス日本の支援をしていたPR会社、オズマピーアールの存在をたまたま知ることになります。この出会いが、ひとしずく創業に至る道のターニングポイントになることを、当時の私は考えもしませんでした。
広報の“プロフェッショナル”になるための10年間
▲環境チーム時代の緑一色のデスク
その後履歴書を直接送り、念願叶って2007年にオズマピーアールへ入社。民間企業の案件を通じて、広報の基礎を学ばせてもらいました。資料作成から顧客との向き合い方まで「これがプロフェッショナルの仕事なんだ」と。
そして、ある企業の環境プロジェクトでご一緒させてもらった恩師・榑林佐和子(くればやしさわこ)さんに「なぜ広報を仕事にしようと思ったのか」と質問されたことで、自分の中の歯車が一気に動き始めました。
そのとき私が、ライフワークとしてNPOなどの広報基盤を強化して、世界を変えたいと本気で想い、そのためのスキルを学ぶためにここにきたのだと答えると、「久しぶりにそんな熱い想いも持った人に出会った!上層部に提案したほうがいい!」と背中を押してくれたのです。
すぐに「環境チームを作りたい」という提案書を作成し、当時の役員にプレゼン。熱意を伝えたら了承を得ることができ、そこからは水を得た魚のように、さまざまな環境にまつわる案件を担当させてもらうことになりました。
私が環境に取り組んでいることを社内周知するために、デスクや持ち物、服装の色をグリーンに統一したりしました。いつしか同僚から「エコくぼ」と呼ばれるようになっていました(笑)
しかし、ここでぶち当たったのが“収益の壁”。そして、クライアントという“ほかの組織”を動かすことの難しさ。クライアントに「社会課題やCSR活動に取り組む」という意思決定をしてもらうことは容易ではなく、現実は、自分が求めている“スピード感”には程遠いものでした。
結果、チームとしては成り立つものの、部署を立ち上げるまでの収益は得られず、くすぶっていました。その後、先輩の勧めもあり、オズマピーアールのグループ会社である、医療に特化したPR会社へ出向をすることになったのですが、ここで私は、医療ジャーナリストの存在やメディアとの関係構築の大切さを改めて学びました。
私は、NPOなどと社会をつなげる“仕組み”が足りていないことにその時気がついたのです。その後、6年間お世話になったオズマピーアールを卒業し、東北新社、ソーシャル系のベンチャー企業を経ながら、足りない“仕組み”を作る構想を練ることになります。
「人」を支援するPRコンダクターが、世界を変える“ひとしずく”になる
▲会社設立キックオフイベント@mass×mass関内フューチャーセンター
そして、2016年4月に創業したのが、ひとしずく株式会社。
起業が目的だったのではなく、私の理想の会社との出会いがなく、ライフワークを仕事にする「場」として会社を設立することにしました。学生のころから考えてきたアイデアは、今でもノートに日々溜まっています。ひとしずくは、それを実行するための場所です。
ソーシャルグッドな取り組みを発信するメディアの開設、NPOなどに特化した記者ネットワーク、NPOなどの広報素材を格納できるダウンロードサイト…。社会課題を解決するプロフェッショナルと社会をつなげる仕組みを、次々と展開していきます。
そして私はこれまでの経験から、ひとしずく社としてある姿勢を貫くことを決めました。それは、団体や企業ではなく、その中にいる「人」に寄り添って支援をするということ。なぜならソーシャルグッドの取り組みは、最後は「人」が動かすもので、その人が事業に集中できるよう、広報領域においてエンパワーメントすることが、プロジェクト成功の鍵となると言えるからです。
しかしNPOなどは、広報を強化しなくてはいけないという自覚がありながら、何を、どのように、始めたらいいのかわからないというケースも多いのが現状です。そのためにも、私たちは団体・企業の一員として、広報体制をどう作っていくかというところからあらゆる課題を一緒に解決していきたいと考えています。
私には、社会課題の解決はもちろん、社会課題に本気で取り組んでいるプロフェッショナルな方々がもっとリスペクトされるような社会にしたいという使命感があります。だから、私たちが行う支援は、広報支援であり“後方”支援です。世界を変えようとしているプロフェッショナルを支援することで、世界を変えることができる。たとえ小さな取り組みだろうとも、それが私にできることです。
ひとしずくの名前の由来は、「ハチドリのひとしずく」というエクアドルの民謡。作中に出てくる、<私は、私にできることをしているだけ>という一文が、これまで、そして今の自分と重なっている気がしています。
大河の一滴のように、世界を変えるひとしずくになるーー10年間培ってきた広報のスキルと、それ以前からずっと温めてきた想いは、たとえ小さかったとしても、必ず世界を変える“ひとしずく”になる。私はそう信じています。
会社説明会では語られない“ストーリー“が集まる場所「PR Table▼」
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