“コミュニケーション”は、大の苦手だった。社会不適合者が考え抜いた「伝える」ための方法論

“コミュニケーション”は、大の苦手だった。社会不適合者が考え抜いた「伝える」ための方法論

どんなにいいアイデアを持っていても、企画が通らないのはなぜか?

今回お話をうかがった株式会社LockUP代表の長尾純平さんは、映像・ウェブ・紙媒体の制作から飲食スペースの運営まで、さまざまな企画を打ち出す達人。バンドマン時代から「泥臭く動く」ことを貫き、既存のフレームからはみ出しながらキャリアを築いています。

実は口下手という長尾さんが「伝える」ために試行錯誤して得たスキル。他者との対話をスムーズにし、企画や資料の作成の指標となる「コミュニケーション・デザイン」についてお聞きしました。

プロフィール

長尾 純平(ながお じゅんぺい)

株式会社LockUP()代表取締役社長、調布ブランディング集団「調布企画組(株式会社 LockUP 調布支社)」主宰、調布市観光協会理事、日韓合同ライブコマース推進委員会会長。

大学在学時に、インターネット無料音楽動画配信サービス「rsst.tv」を設立。2003年、株式会社LockUP入社。映像、webサイト、イベント紙媒体などさまざまなツールを用いて対象の魅力表現する企画提案・制作を得意とする。地域活性ビジネスとコミュニケーションをテーマに、コミュニケーションバー「紗ら+」(→)運営も手掛ける。

学生時代からの夢は、バンドマン。自分は“社会不適合者”だと思っていた

─web制作などのお仕事に関わるようになったきっかけを教えてください。

学生の時、自分のバンドをプロモーションするために動画配信サービスを作ったのが最初です。僕らがやっていたジャンルの音楽はメジャー・シーンで売れる音楽ではなかったため、動画配信サービスなどの事業を通して、バンドとしての生き残りを目指していました。当時はまだネットで動画を配信することが珍しかったものの、徐々に動画コンテンツの需要が高まりつつある時でした。

そのサービスを作ったことがきっかけで人間関係が広がり、株式会社LockUPの前代表との出会いがありました。「どうせならweb系の会社で勉強しながら働かないか」と勧められ、LockUPでアルバイトをすることになったんです。ただその時は、あくまで音楽活動の傍ら生計を立てるための手段でした。就職活動では50社近くの会社から不合格をもらい、「社会不適合者」だと思っていたので、すぐにクビになるだろうと(笑)。

─長尾さんにとって、当時のバンド活動がその後の仕事観に影響している点はありますか?

ありますよ。バンド運営と会社経営というのは似通った点も多いんです。バンドというのは、頭で考えているだけではダメで、ひたすら動く。結構泥臭いこともたくさんやっていたバンド時代に培った感覚は、今の会社経営にも活きています。だから、いまだにバンドをやっている感覚で会社経営をしているところはありますね。

今でも会社のスタッフとたまにバンドを組んで演奏することもあるそう

震災をきっかけに変わった価値観。同じ“熱量”を持った人と、仕事がしたい

─その後、軸足をバンドからお仕事に移されたのですよね?

はい。最も大きな転機となったのは、東日本大震災でした。復興支援という名目でチャリティーライブのお誘いがあったんですが、バンドメンバーはみんな「自分も生活が大変で、それどころじゃない」と。一方、僕は「音楽はこういうときに人に求められるものだし、こういうときこそ何かを生み出せなければ、バンドで何かをやる理由がない」と思っていました。

僕たちが復興支援としてライブなどをやることによって何が生まれ、どういったことが形になるのかという二歩、三歩先のイメージを共有できない──このことがきっかけでバンドは解散することになりました。

─バンドの解散後はどうされたのですか?

縁があって、被災地である石巻に数名の有志とともに行きました。すべてが津波に流されて自治体が機能しなくなった地域です。そこで僕が目にしたのは、東京から戻ってきた地元出身の人たちが、故郷を盛り上げようとどんどん企画を立てて動いている姿でした。もともと、関わりのない僕らがちょっとだけ行って、手出しできるものではない。「ああ、何が“復興を支援したい”だ」と、敗北感を味わいながら帰ってきた記憶が強烈に残っています。

─実際に被災地に赴いたことで得た知見は、とても大きかったのですね。

そうですね。その時は敗北感と共に、こんな熱量を持った人たちと一緒に仕事をしたいと感じました。僕は小学生のころからずっと東京の調布市に住んでいるんですが、職場から寝に帰るだけの場所になっていて。でも、石巻の人たちはそうじゃなかった。ここは自分たちの生きてきた場所だと理解して、前よりいい街にしようという熱量がありました。

僕は、東京で何をやっていたんだろう──自分の中にはそういうものがないと感じたことが、地元や地域のつながりに目を向けるきっかけになりましたね。

運命を変えた企画書。「フレーム」を外す、きっかけに

─被災地での経験から、「地域」がとても大きな意味を持つようになったのですね。具体的に、何か行動に出たのですか?

33歳になるころ、とりあえずSNSで見つけた「オープンストリートマッピング」という企画に参加してみました。歩きながら街にあるいろんなものにピンを立てていくという活動の中に「AED(自動体外式除細動器)」のプロット(観測値などを点でグラフに描き入れること)もあったんです。

僕は、場所がわかってもAEDの使い方がわからなければ意味がないと思ったので、受動的に情報が入るような企画書を作ったんです。調布市の住民が踊りながらAEDの場所を伝える動画を作成してはどうかと。マッピングのメンバーは好意的ではありましたが、企画の規模からして実現すれば嬉しいな、くらいの温度感だったのではないかと思っています。

─とても面白いアイデアですが、規模のイメージが想定を超えていたのですね。

ところが、その資料が市長の手にたまたま渡ったのがきっかけで、トップダウンで市役所全体が協力してくれることになったんです。当時から僕は、どこに行くのもこんないでたちなので、最初はちょっと信用してもらいにくかったのですが(笑)、実際に企画を進めていくうちに信頼関係が生まれたように思います。

その動画は後に、宮城県で開催された国連防災世界会議で、「行政×民間の理想的な防災活動事例」として紹介されました。「石巻で地元の人がやっていたのはこんなことだったのかもしれないな」と、僕にとっての成功体験となりました。

─たった一部の企画書が、長尾さんの転機となったのですね。

そうですね。一歩踏み出すなら、自分で何か生み出していかなければいけない。フレームから外れていかないと充足感は得られない。石巻の人たちを見てそういうことをすごく感じました。そして、自分もそうありたいと強く思ったんです。

─社会のフレームに縛られない長尾さんのスタイルは、若いころから備わっていたのでしょうか?

いえ、僕はLockUPに入って仕事をしながらも、会社というフレームの中にハマっていることに、とてもイライラしていたんです。本当はすぐに辞めて自分で事業を立ち上げるつもりでいたので、なかなか思うようにいかない状況が続くことにずっとモヤモヤしていました。28歳のころだったかな。

そもそも僕は、人と話すことやプレゼンとかコンペがすごく苦手で。やりたいことがあってもうまく伝えられませんでした。アートなど、「何かを作り出すこと」へはすごく興味があるのに、結局話しても相手に伝わらないと、作りたいものも作れない。それが悩みでした。社内の企画会議でも、僕が言うことってだいたい鼻で笑われたり、失笑されたりしていましたね。「俺は絶対楽しいと思っているのにダメか!」ということをたくさん経験しました。、どうしたらうまく伝わる話し方を、テレビのひな壇芸人などを見て研究してみたこともありましたよ。

今でも「もっとやりたいことがある」「もっとちゃんと形にしなきゃいけない」とモヤモヤしてはいますが、ここ数年でちょっと見えてきた部分もありますね。

「本気度合いを伝えるためには、まず資料を作ること」と長尾さん

アイデアの「熱量」と、会話に必要な「ロジック」のバランス。“価値”はその先に

―ここ数年で見えてきた部分というのは、どういったことなのでしょう。

調布でAEDムービーを作ったこと、そこから生まれた縁で次の何かが生まれたりしていること、それらの成功体験や新しいつながりによって、何か自分の中で「これがコミュニケーションというものか」と、腑に落ちた瞬間がありました。「制作会社の1人のディレクター」という肩書ではなく「長尾純平」として接してくれる。職能や肩書ではなく「人」を見るコミュニケーションが大切だと感じました。

―コミュニケーションについて、どのような気づきがあったのでしょうか?

本気を伝えるためには、マーケティング・リサーチをして、ロジックを立てて、マイルストーンを立てて伝えるべきだということです。そうでなければ、誰も乗っかってくれません。AEDの件もそうですが、どんなに本気でやりたいことであっても、飲み屋で「こういうことがやりたい」と言っているだけでは、飲みの席の与太話にしか取られないんですよ。

何かやりたいことがあったとき、口頭では伝わらないので、些細なことでも必ず資料を作っています。かなりロジカルに資料化して、イメージを実現させる手引きをしなければいけないと。

─「円滑なコミュニケーションのためのロジック」、というわけですね?

はい。僕は3年ほど前に8つの項目からなる「コミュニケーションの方法論」を構築しました(下図参照)。これらの要素を一つずつロジカルに考えて資料にまとめることで、さまざまな人たちの共感を得ることができます。

意外とこれらを形にしていくのは難しいんですが、LockUPの社員にも資料を作る際には、この8項目を見るように言っています。実際にコンペに勝つようになった社員もいますよ。

たとえ人からオファーされた企画であっても、自分が楽しめるように持っていくこと。その熱量を、8項目の中にどうやって入れるのかということをやっています。

長尾さんによる「やりたいことを実現するための8要素」

全ての事象には

課題がある

課題には背景がある

課題の解決には目的があり

目的達成のためにはアイデアがある

アイデアにはコンセプトがあり

アイデアにはターゲットがあり

目的を測るための指標がある

そうして生まれたアイデアは課題を解決する企画となる

 

─この8項目は、企画書以外でもコミュニケーションを取る場において適用できそうですね。

そうですね。この8項目を意識し、チューニングをしながら他者と対話をしていくことが、「コミュニケーションをデザインする」ということになるのではないでしょうか。コミュニケーションを構成する要素には、話者である自分と聞き手の文化や背景が存在します。話者は、それを一つひとつ考え、対話の中で検証することが大事なのだと思います。そして、ビジネスにおいては、そのコミュニケーションの数歩先に、「何らかの価値を生む」ことを常に意識しなくてはいけません。現在、「制作」というカテゴリーを超えて多分野で仕事ができているのも、すべてつながりから生まれたコミュニケーションの先に、僕に実現できるソリューションがあったからだと思っています。

「縛られている」状況を作っているのは、自分自身

─どうしてもコミュニケーションをとる手前で「ポジション」や「職域」に縛られている人々が多いのが現状のようですが…。

自分で自分の生活にフレームを作ってしまい、そこからはみ出さない。いろんな理由を作って動かない、動けない人たちが多いと思いますね。会社にいれば、誰かが仕事を用意してくれるし、それをこなしていればなんとなく充足感が得られ、給料ももらえる。楽は楽ですよね。僕もそうでした。

でも、これからの時代って与えられたことだけこなせばいいような時代じゃないと思うんです。自分の「個性」を出していかないと、仕事すらなくなるかもしれない。仕事とは人間同士のコミュニケーションの延長線上にあるものですから。「自分には、何ができるのか」を考えるのは大切ですが、勝手にできる範囲を決めて、できないことには手を出さないというフレームはもういらないと思います。自分のフレームを外し、個性を伝えること。フレームから外れた先に、本質的な価値や広がりが生まれるものだと思います。そうやって自分の可能性を広げるためにも、まずはコミュニケーションに注力してみるということでもいいのではないでしょうか。

長尾さんの提案する「コミュニケーション・デザイン」とは、決め込まれた方法論ではなく、「コミュニケーション」をスムーズにするためのロジック。

これからは、「多様性」が受け入れやすくなっていくと言われています。取り残されないためにも、より先の果実を目指し、「コミュニケーション・デザイン」を取り入れてみるといいかもしれません。 文:Loco共感編集部 トミザワヒナ

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