最初の就職先を初日で退職―それは、子連れで働けるシェアアトリエを造る建築家への道に続いていた
子どもの頃に思い描いた仕事に就けた人は、日々の仕事にどう取り組んでいるのでしょうか――今回ご紹介する小嶋さんは、小学生の頃から一切ブレずに建築家を目指し、それを実現しています。
しかし、順調にキャリアを築いてきたかに見える小嶋さんも、実は最初の就職先を入社当日に退職するなど、困難も少なくはありませんでした。2回にわたる記事の前編は、小嶋さんがいかにして建築家となり、今のキャリアを築いてこられたのかをお伝えします。
一級建築士 小嶋直(こじまなお)氏
コーデザインスタジオ 代表 つなぐば家守舎株式会社 代表取締役
1980年東京都練馬区出身 工学院大学建築都市デザイン学科卒業後、一級建築士袴田喜夫建築設計室に入所。2012年に独立し埼玉県川口市にて建築事務所を構え、リノベーションなどを手がけるほか、2018年6月に埼玉県草加市でつなぐば家守舎を設立し、子連れで働けるシェアアトリエ「つなぐば」を運営。
小学生時代の塾通いが、建築家を目指すきっかけに
――小嶋さんはいつから建築家になろうと思ったんですか?
建築家を目指したのは実は早くて、小学生の高学年の頃から考えていました。当時通っていた塾が、たまたま建築家の方が開いているものだったんですよね。学校の勉強以外にも、建築に関する雑学なんかも教えてくれていて。
その塾には、建築の模型や図面に関する本も置かれていたので、それが楽しみで塾に通っていたような気がします。あとは、私の父親がインテリアデザインの仕事をしていて、職場に遊びに行くこともあったので、自然とそういうことに興味が湧いたのかもしれません。
――インテリアよりも建築の方に興味があったんですね。
そうですね。ゼロからあれだけ大きなものを造るのはすごいなと単純に感じましたし、世の中にある建物がどうやって造られているのか気になっていました。それで、割と早い段階から建築家を目指すことは考えていましたね。
ただ、ずっと建築のことだけを考えてきたわけではなく、小学校から高校までは野球漬けの生活だったんです。とくに高校は野球に力を入れている学校だったので、正月以外は野球の練習があって勉強はあまりできていませんでした。
――部活の引退後は、勉強に切り替えられたんですか?
親からも、野球が終わったら勉強をするというのが、ある種の約束事のようになっていたので、何とか勉強に意識を向けられました。おかげでの大学に合格できたので良かったです。
大学に入ると、勉強が楽しく、図面の練習やデッサン、工事の実習など初めてのことも多く、何をやるにしても面白かったことを覚えています。もともと小学校の頃から建築に触れていたのでスムーズに建築の勉強に入っていけました。
――卒業後は建築事務所に入られたとのことですから、本当にブレずに建築家になったという感じですね。
あまりにずっとイメージしていたことなので、もう今さら他の職業を選べなくなっていたんですよね。他にも面白い仕事はいろいろあると思いますが、考えてみると、やっぱり建築家しか思い浮かばず、変わることはありませんでした。
「何かがおかしい」最初の就職先をたった1日で辞めた理由
――その後、一級建築家の資格を取得して独立に至ったとのことですから、すごく順調にキャリアを歩まれたように感じます。
いえ、そんなわけでもないんです(笑)。実は大学を卒業して最初に就職したところは、たった1日で辞めてしまいましたから。今思えば、ちゃんと就職先を検討しなかった私も悪かったのかもしれません。
生意気に聞こえるかもしれませんが、建築家としての力さえあれば、どこに就職してもいい仕事ができるだろうと考えていたんです。それで、あまり準備もせずに就職活動をして、ある事務所から内定をいただくことができたのですが……。
その会社の内定を受けて入社前の研修に通っていたときに、社員の方が次々と辞めていったんです。私を面接してくれた方もいなくなってしまって。入社日を迎えた時点では、社長と新入社員しかいない事務所になっていました。
――異常事態ですね。
しかも、入社日の当日も妙な状況で。普通は入社式のようなことがあるじゃないですか。それが一切なく、初日にいきなり仕事を指示されて、しかも社長からは、「君たちは他の会社に出向させるから」と言われたんです。
「これはおかしい」と思って、私は直接社長のところに行って説明を求めたんですが、納得のいく説明は一切ありませんでした。それで、「ここにいたらダメだな」と思い、その日のうちに辞めさせてもらうことにしたという経緯です。
――それは大変でしたね……。そこからまた就職活動をやり直したんですか?
幸い、その2カ月後には一級建築士の袴田喜夫さんの事務所に入れてもらうことができました。袴田さんは、私が大学在学中に講師としていらっしゃっていた方で。そのつながりから、最初はアルバイトとして入れてもらい、2003年の8月に社員にしてもらいました。
袴田さんは、主に小規模から中規模の住宅を扱われていて、私自身、「いいな」と思う建物を設計されている方だったんです。私は、大きな建物を建てるよりは、隅々まで設計が行き届いていて、そこを使う人の顔が見えるものをつくりたいという気持ちがあったので、方向性が合っていましたね。
ただ、袴田さんのところでも、入社日に少し驚くことがありました。その日は、一応スーツを着て出社したのですが、金属類のサビ取りの仕事を任されたんです。スーツのまま、古い建具やドアノブなどをひとつひとつ片付けていて、正直、「何をやらされているんだろう」と疑問がわきましたね。
ただ、これは後から知ったのですが、袴田さんの事務所では、新築住宅の設計だけでなく、文化財など古い建物の補修も手がけられていました。だから古い金物を再利用するために、サビ取りが必要だったんです。今思えば、この経験がその後の私の建築家としての方向性に影響を与えたと思っています。
――方向性というと、どういったことですか?
それまで、私は建築家の仕事を「新しいものを創る」というイメージで考えていましたが、古いものを活用するのもいいな、と思ったんです。当時はまだ今ほど「リノベーション」という言葉もなかったので、そんな考えはなかったんですが、袴田さんの事務所で古い建物や建具に初めて触れ、その良さを実感しました。
なぜか、古い建物を見ていると「いいなあ」と思えるんですよね。昔の自分の記憶があるからなのか、理由はよく分かりませんが、私も建築家として古いものを活かす仕事をしたいと考えるようになりました。
これは次回詳しくお話しますが、今年は埼玉県の草加市にシェアアトリエ「つなぐば」という、子連れで働けるスペースをオープンしました。この建物も、もともとは古いアパートだったものをリノベーションしたもので、こうした活動の原点に袴田さんの事務所での経験があったと思います。
「独立後は仕事ゼロ」を家族の力で乗り越える
――小嶋さんは9年ほど事務所を勤めた後に独立されていますが、建築士の方が独立するのは普通のことなんですか?
いえ。今は独立する人は少ないと思いますね。同期でも独立しているのは数人です。ただ、私が勤めていたのは個人事務所でしたから、社長が引退した後のことを考える必要がありました。それで転職先を検討することもありましたが、どうもしっくりする会社が見つからなかった。
それでいったん転職は諦めたのですが、ある日、同年代で独立した人たちと飲む機会があり、ここで大きな刺激を受けたんですよね。彼らがみな目がキラキラしていて、社長として仕事を語っていたので。それから、私も本気で独立に向けて動くことにしました。
――独立について、ご家族の反応はいかがでしたか?
妻は不安だったと思います。はっきりと反対されたわけではありませんが、仕事がなければ収入が下がることは明らかでしたから。
ただ、独立の直接的な後押しになったのは、妻の実家のご家族が家を建てることになり、その設計を任せてくれたことでした。それで独立できたわけです。もともと勤めていた事務所で受けていた仕事も、半年分くらいは残っていたので、独立後の仕事になりました。
そこから、新たにお客さんを見つける必要がありましたが、営業の経験もないのでどうしたらいいのかわかりません。手探りでチラシをまいたりもしましたが効果はなく、年末には仕事がゼロという状況になってしまいました。
そんなわけで、当面の収入を得ようとバイト雑誌を眺めていたら、妻が新しい仕事を紹介してくれたんです。彼女が勤めていたお店の社長さんが家を建てるということで、それを任せてもらえることになって。
これが実績となり、その後は少しずつコンスタントに受注が増えていきました。独立のきっかけをくれたのも実績が生まれたのも妻のおかげですから、本当に頭が上がりませんね(笑)。
建物を造るだけが建築ではない
――ご家族の力は大きいですよね。小嶋さんが独立されて間もなく7年を迎えますが、良かったことはなんですか?
いちばんは、出会いが増えたことでしょうか。私の事務所は、埼玉県の川口市にある、「senkiya」というカフェや雑貨店などが連なる場所の一角にあるのですが、本当にいろいろな人と出会えるんですよね。
同年代の事業主の人も多く、設計に関する相談を受けることも少なくありません。これがすぐに仕事につながるわけではないと思いますが、彼らがいずれお店を建てるときなどは任せてもらえるかもしれないですね。
いい建築をするには、コミュニケーションが欠かせないと思っているので、毎日のように面白い出会いのある今の環境は、今後の仕事にも活かせると思います。
――小嶋さんは今後、建築家としてどんな仕事をしていきたいのでしょうか?
「建築は、暮らしをつくるもの」というのが私のスタンスです。同じ建築家でも、アート作品として建物を設計する人もいれば、使う人に重きを置く人もいます。私の場合、後者の意識が強く、やっぱりお客さんに「いいな」と思ってもらいたいんですよね。
お客さんは、「いいな」と思っても、それが具体的にどこなのか分からないかもしれません。それでも、私は人の琴線に触れるものを設計したいと思っていて、図面のたったひとつの線でも大事にしたいんです。その線が集まって建築は完成するわけですから。
さきほど、古い建物に魅力を感じると話しましたが、そういう建物は建てられた当時にしっかりと造られているものなんですよね。何十年もの長きにわたって使い続けてもらうためにも、住む人が気づかないところまで、きちんとこだわりたいと思っています。
――後編につづく文・小林 義崇 写真・刑部友康
関連記事リンク(外部サイト)
倒産も経験。人生のどん底でも、チャレンジする姿勢をつらぬいた、IT社長の”プロ”としての生き方
【マンガ】成功している人は、なぜ「月へ」向かうのか?
母国語も文化もバラバラ…“多国籍”な会社から見る、社員の「多様性」を受け入れるということ
ビジネスパーソンのための、キャリアとビジネスのニュース・コラムサイト。 キャリア構築やスキルアップに役立つコンテンツを配信中!ビジネスパーソンの成長を応援します。
ウェブサイト: http://next.rikunabi.com/journal/
TwitterID: rikunabinext
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。