倒産・夜逃げの危機を「見えない力」に救われた。今度は自分がその恩を返さな!――大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念(第4回)

倒産・夜逃げの危機を「見えない力」に救われた。今度は自分がその恩を返さな!――大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念(第4回)

東日本大震災以来、避難所の景色を変えるため、段ボールベッドの普及に尽力しているJパックス代表取締役社長・水谷さんにインタビューする連載企画。自分の会社の経営に加え、自治体との防災協定締結活動に奔走、その上避難所・避難生活学会を設立したり、京都工芸繊維大学大学院に入学したりとまさに八面六臂の活躍を見せる水谷さん。最終回の今回ではこのような活動のやりがい、水谷さんを突き動かす思い、原点、今後の夢などについて熱く語っていただきました。

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プロフィール

水谷 嘉浩(みずたに・よしひろ)

1970年、大阪府生まれ。大阪府八尾市にある段ボールメーカー・Jパックス株式会社代表取締役社長。2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、災害関連死を減らすべく、災害発生時、自ら設計した段ボールベッドを避難所に運搬したり、全国の地方自治体と防災協定を締結する活動を継続している。その他、「避難所・避難生活学会」の理事として、防災についてのさまざまな研究、啓蒙活動を行ったり、京都工芸繊維大学大学院の博士課程で材料工学の研究も行っている。2児の父。

北海道地震での対応

──9月6日未明には北海道胆振地方を震源とする最大震度7の大地震が発生し、強烈な揺れや土砂崩れなどで、大勢の方々が被災しています。この災害にはどのように対応したのですか?

一刻も早く避難者全員に段ボールベッドを届けるため、8日に北海道に入りました。北海道の9月といえば寒さがもうすぐそこまで迫っている季節。冬季の停電は即、命に関わるからです。冷たい体育館に雑魚寝はありえません。千歳空港も避難所になってましたが、やはり毛布1枚で雑魚寝でした。この光景を北海道に観光で来ていた外国人が見てどう感じたのか、気になりましたね。

到着後、まずは道庁の災害対策本部に行って状況を把握。その後、赤十字と連携して避難所に段ボールベッドを入れる算段をつけました。また今回は、避難所・避難生活学会を一緒に立ち上げた北海道赤十字看護大学の根本先生と協働し、事前に備蓄分の段ボールベッドを輸送すべく準備をしていました。その結果、3日で段ボールベッドを導入できたんです。これは過去最速です。やはり事前に備えておかないと本番ではうまくいかないことを改めて痛感しました。まさに「備えあれば憂いなし」です。

その他にも今回の北海道地震の対応では、これまでになかった画期的な出来事がいくつかありました。1つはフレンチのシェフの炊き出しが塩分少な目でもとてもおいしかったこと(安平町町民センター)。2つ目は、従来の簡易トイレよりずっと快適で匂いもないコンテナトイレが、要請から3時間で届いたこと(厚真町スポーツセンター)。3つ目はテープを使わない最新型段ボールベッドが要請から半日で生産、避難所に届いたこと(厚真町全体)。こういったよき事例を標準化しないといけませんね。

──やはり通常より早く段ボールベッドを導入したことの効果は大きいのでしょうか。

実はその辺の測定も実施しています。まだ途中経過なのですが、過去最速の3日で設置した自治体では、避難者のエコノミークラス症候群の検診で血栓は見つかりませんでした。一方で、雑魚寝をしている避難所では、血栓が33%の人に見つかりました。この結果から、7日以内に避難者全員にベッドが導入できればエコノミークラス症候群を予防できる可能性が高まるということが言えるでしょう。

今回はほとんどの避難所に段ボールベッドを導入できましたが、相変わらず希望者を募った避難所では、いまだに一部の人が雑魚寝を強いられています。行政には、「段ボールベッドを希望する人は?」と聞くのではなく、迅速に全員に配布していただくことを強く願います。

テープのいらない最新型の段ボールベッド。さらに組み立てやすくなった(写真提供:水谷さん)

事前の準備により、地震発生からわずか3日という驚異的な早さで段ボールベッドが届けられた厚真町の避難所。水谷さんらの活動によって、確実に避難所の景色は変わりつつある(写真提供:水谷さん)

支援している自分が一番うれしい

──避難所に段ボールベッドを普及させる活動をやっててよかったなと思う瞬間は?

避難所に行くとみんな疲れ果てて、精神的にもダメージを受けて沈み込んでます。でも段ボールベッドを渡すと笑顔を返してくれる。中には「避難所生活が楽になって助かった。ありがとう」と手を握って泣いて喜んでくれる人もいます。

先日、真備町の避難所で段ボールベッドを使用した人の感想を聞いてきたので、一部をご紹介します。 ・雑魚寝では足腰が痛かったが体が楽になった。

・床に比べて暖かかった

・立ち上がりが楽になって動きやすくなった。

・床の埃を吸わなくなって咳が減った。

・人の歩く振動が気にならなくなった。

・よく眠れるようになった。

その結果、

「少しは人間らしい生活に近づいた」

「頑張って元の生活に戻れるように意欲が出て来た」

「本当にこんないいものをありがとう」

「開発してくれてありがとう」

「どうせならもっと早く欲しかった」

と、本当に笑顔になって喜んでくれました。そろそろ仮設住宅に移動される方も出てきましたが、多くの方が仮設住宅でも段ボールベッドを使いたいと言って持って帰っています。でも実は一番喜んで、感謝しているのは僕自身なんです。

──どういうことですか?

誰でも人のために何かやってありがとうって言われたり、人の役に立てたという実感が得られたら気持ちいいですよね。ボランティアってオキシトシンという幸福ホルモンが出るからやってる本人も幸せなんですよ。これって人間の進化の過程で得たものなんですよね。人間って大昔、洞窟で生活していた時代から、1人で生きてるわけじゃなくて、何らかのコミュニティに属さなければ生きていけない社会的動物です。そのためには、コミュニティの中で役割を担い、それを果たす必要があります。その過程で人の役に立つことに幸福感を覚えるようになりました。つまり、自分が生き残るためにやってる生存戦略の可能性もあるわけです。だからボランティアをやってる自分も幸せを感じているんです。そもそも支援できるということは被災してないということやから、その時点で幸せなことやないですか。だからこういう支援活動をやるわけです。

ボランティアはプロとして関わるのが理想

そのボランティアにもいろんな形があります。前回(第3回記事はこちら)、イタリアへ避難所の視察に行った時のことをお話しましたが、その時一番驚いたのが、この活動をしている90%の人がボランティアで、それもただのボランティアじゃなくて、自分の職能を生かして支援する職能ボランティアだったこと。そういう人たちが被災者を支えているんです。日本でも同じで、被災地で支援活動している人は自衛隊や医療関係者、消防、電気・水道・ガスの工事会社、建設業者などその道のプロが多いんですよ。今回の北海道地震でも、イタリアのように避難所TKB(トイレ・キッチン・ベッド)でプロの技がいかんなく発揮されました。改めてプロの仕事は素晴らしいと感銘を受けましたね。僕も段ボールのプロとして関わりたい、段ボールのプロとしてできることは何やろかと考えてやってきました。通常、段ボールは大切な品物を送り主から送り先へ、壊れないように安全に届けるための包装に使う物ですが、災害発生時には被災した人の痛みをやさしく和らげ、災害関連死から守ることができる。自分の生業が、被災して、大変な思いをしている人々のお役に立ったわけです。長年、仕事をしていてこんなにうれしいことは今までありませんでした。もちろん、泥かきや支援物資の運搬もものすごく大事な作業ですが、職能を通じた支援活動こそが一番効果的で復興のスピードが上がるし、本人も誇りを感じられるんちゃうかなと思いますね。

実は、この活動を開始した当初は、お金がなくて有名大手企業にスポンサーになってもらおうと思ったこともあったんですが、それではただの段ボールベッドの納入業者になってしまう。そうじゃなくて僕が生業としている段ボールで職業人として関わりたいという思いで、最初は個人的な活動から災害発生時に業界を挙げて避難所に段ボールベッドを届ける仕組みを作ろうと、段ボール大手が加盟している業界団体に直訴したんです。結局、業界団体で取り組むまでに5年もかかったわけですが、熊本地震の成果を見るとやはり正しかったと思います。

ただ、いくら自分がこれまで仕事を通じて身につけた技術や能力を活かしてボランティアをしたいと思っても、ボランティアって保障がなくて自己責任でやらなければならないのが現状なので、被災地に行きたくてもなかなか行けない人も多いと思います。だから会社側が、被災地までの交通費や宿泊費を支給したり、平日にボランティアに参加した日も出勤扱いにしたり、もし被災地で怪我をしたら労災認定したりしてサポートする。そして、そういう会社は政府が災害支援企業に認定して、災害救助法で必要経費を払うとか法人税を減税すればいい。そうすれば個人の負担が少なくなって職能を活かしてボランティアをする人たちが増えると思うんです。そういう熱い人たちはあらゆる業界に何割かは必ずいるので、こういう職能支援者制度を作るため、政府に働きかけていこうと思っています。

──これまでこの活動を続けてきた過程で、他につらいことや苦しかったことは?

例えば、テレビや新聞に出ると同業他社から足を引っ張られたり、無視されたり、ある大手企業には当社が開発した段ボールベッドをコピーされたりもしました。また、支援に行った先で市の職員や時には被災者からも「災害ビジネスをしに来たんだろ」と罵声を浴びせられたりもしました。もちろんこっちはこの活動に関しては完全なボランティアですし、かなりの持ち出しなんですけどね(苦笑)。

──めちゃめちゃ腹立ちますね。

もちろん腹が立たないということはないですが、まあそういう人たちはどこにでもいるので気にしないに限りますね。

ボランティア精神は遺伝する

──そういったいろんなものすごい障壁がありながら、そこまで人ために動けるというのはなぜなのですか? 小さい頃からそういうふうに育てられたとか?

確かに家庭環境は大きいと思います。幼い頃から祖父や祖母から「世のため人のために働きなさい」「感謝する人間より感謝される人間になりなさい」とよく言われていました。祖父は戦中、憲兵隊だったのですが、自分の身を危険にさらしても貧しい庶民を守ったりしていた人でした。終戦後も地域の揉め事の解決などのボランティアをよくやっていて、家にはいつも近隣の人たちが集まっていました。そういう後ろ姿を幼い頃からよく見ていたので、世のため人のためという考え方が自然に身についたのだと思います。そういう意味ではボランティア精神は遺伝すると言えるかもしれませんね。

そう聞かれてよくよく振り返って考えてみると、この活動にのめり込む大きなきっかけとなった出来事が2つあります。僕は33歳で家業の段ボール会社を継いで社長になったのですが、ちょうどその頃、大学の同窓会に出席したんですよ。友人の多くは一流企業に勤めるエリートサラリーマンで、高そうなスーツをビシッと身にまとっていたのですが、僕だけ工場で段ボールを作る仕事をしていたのでホコリまみれの作業着を着ていました。2次会はホテルのバーで、入ろうとしたらバーテンに「業者さんはダメよ」みたいな扱いを受けました。すごく情けなくて、一緒にいた友人がうらやましい、僕もあんなふうになりたいなと思いました。早い話が自分の仕事に誇りをもってなかったんですよ。段ボール屋は製造業で汚い仕事やし、おまけに会社の業績は悪くて倒産寸前だったので。

そういう愚痴めいた話をこぼすと、ずっと僕と一緒にこの活動に取り組んでくれている同級生の中林秀仁が「お前何言うとんねん。自分の意思で自分の仕事ができるのはすごく素晴らしいことや。俺らは大企業や言うても所詮は歯車や。せやから俺はむしろお前がうらやましいんや」と言うてくれたんですよ。自分の会社が倒産寸前の時に、世界的な一流企業に勤めているやつにそんなふうに言われて、「え、そうなん?」ってものすごいびっくりしました。

これをきっかけにして、どういう仕事ぶりをしたらいいのか、この仕事を誇りをもてるような仕事に変えるにはどうしたらいいか、いろいろ考えるようになったんです。その結果、「世の中にいい影響を与えられる会社にしたい」「社員と社会に貢献できる会社にしたい」と強く思ったんです。これくらいしか思い浮かばなかったのですが、これが確実に今の活動をするようになった原点の1つになってると思いますね。

2018年6月に発生した大阪北部地震での避難所にて(写真提供:水谷さん)

地獄から助けてもらった恩返し

──もう1つの出来事とは?

父親の経営する今の会社に入ってからの5年間は、会社はずっと破産寸前でした。いよいよ資金繰りに行き詰まって本当に潰れかけたことがあったんですよ。あのときはほんま地獄やった…。どうしようもなくなって、うちは段ボール屋やから段ボールはそれこそ売るほどあるし、トラックもあるし、いつでも夜逃げできるなと腹を括っていました(笑)。

そんな時に、金融機関から、脳梗塞で会話もできない状態の祖母が長年積立てていた預金が満期になったという連絡が来て、まとまったお金がぽんと入ったんです。祖母の積立てのことなんて誰も知らなかったのでめちゃめちゃびっくりしたのですが、このおかげでギリギリ会社が助かったんです。この時、自分の力で会社を立て直すと意気込んでたけど、明らかに目に見えない力に背中を押された気がしたんです。このことで、もちろん事業を継続するのもそうだし、社員に対しても世の中に対しても何らかの形で返さなあかんと心に誓ったんです。

だから普通は会社が倒産するかしないかの瀬戸際に社会貢献なんて言ってる場合じゃないんですが、この時、生かされたという感覚があったから、将来は日本中にいい影響を与える会社になりたいという強い決意が芽生えたんです。でもこの時はそれが何かはわからなかった。まさか段ボールベッドを被災地に届ける活動をするようになるとは想像もしていなかったですね(笑)。

──その後、会社の経営の方は持ち直したんですか?

厳しい期間が長く続きました。何をやっても希望の光が全く見えなかったのが一番つらかった。これいつまでやればええねんと。自分1人やったらええけど社員もおるし。それでも続けなあかんというのがすごくつらかった。でもある時、整理・整頓・清掃の3S活動の徹底に加えて、生産方式を革命的に変えたんです。生産リードタイムは世界一ちゃうかというくらい早くなった。同時に、社員をできるだけ守ってあげようと、全員正社員にしたり、子ども手当を月2万円に大幅増額したり、障害者雇用を全従業員の10%にまで増やしたりしました。こうしたことで、社員のモチベーションが上がって頑張ってくれたおかげで、徐々に経営状況は改善していったんです。と言っても前よりは多少明るくなったという程度ですけどね(笑)。

でも、このしんどかった時を乗り越えてきた経験があるからこそ、「避難所の景色を変える」を最後までやり遂げなあかんという思いが強いんですよ。僕はしつこい。根性だけは負けへん。絶対投げ出さへん。負けたくないしね。今まで苦しかったからこそね。誰しも人に言えない苦労があるし、それがあるからこそ頑張れるんだと思うんです。

段ボールベッドの普及とともに“災害関連死”が減ったと言われる日を目指して

──やはり「避難所の景色を変える」という思いがものすごく強いんですね。

2011年の東日本大震災以来、このような活動を継続してる理由はそこなんですよ。災害が起こった時に被災地に行く人は結構いるんですが、1回、2回で終わる人も多い。僕には避難所の景色を変えなあかんという使命感がある。それをやれるのは、段ボール業界では僕しかおらんと思ってます。それには継続しかない。変わるまでやり続けなあかんのです。

これをもしやり遂げたら死ぬ時に悔いは残らんやろね。やらんかったら後悔するやろね。こんなに人生を懸けられる「使命」に巡り会えて、こんな幸せなことはありません。自分の存在している意味がわかった気がしたんですよ。20代のときは長らく自分の仕事に誇りがもてなかったけど、この活動をすることで誇りがもてた。まさか段ボールで人の命が救えるとも、自分が大学院に行けるとも、学会を立ち上げて中心的に活動するとも思わなかったしね。

それと、本当は家族にもとても感謝しているんです。この活動は自分が勝手に始めたもので、土日も家を留守にしたり二次災害の危険があったりと、この7年半、心配と迷惑をかけてきました。今は黙認してくれるようになりましたが、本当は今でも心配してくれているかもしれません。そこはやっぱり申し訳ない気持ちが強いですね。

日本は災害の多い国です。大阪北部地震、西日本豪雨、台風21号、そして北海道日振東部地震と、今年だけでも日本各地でこれだけの甚大な被害をもたらした自然災害が発生しています。大災害はいつ、どこを襲ってくるかわかりません。これを読んでるあなたも明日、被災者になるかもしれないんです。だからみなさんにもっと避難所に関心をもってもらいたいです。日本人はテレビに映る避難所の雑魚寝の風景を見ても「気の毒」とは思っても「異常」とは思いません。でも、本来は気の毒と思うだけじゃなくて「どうして雑魚寝してるの? おかしい」と感じなければならないんです。そういう人が増えれば災害関連死が減るのではないでしょうか。

僕はこれまでの経験で、「無事であること」こそが、何より「ありがたいこと」であると気がつきました。災害支援の活動は、「被災者に思いを寄せて、その痛みを分けること」だと思っています。災害が起こると、皆さん何かできないか? 自分の持っている物で支援はできないか? と考えますよね。お金を寄付することだって自分の少ない小遣いからだと、少し痛いはずなんです。でもこれこそが、「痛み分け」なんですね。国民皆で痛み分けすれば、被災された方も少しは救われると思うのです。ですから自分にできる範囲でいいので、「痛み分けをする」。そういう世の中になればいいなと思っています。

今後も二次健康被害と災害関連死をなくすため、「避難所の景色を変える」を究極の目標に、災害発生時に段ボールベッドをすべての避難者に迅速に提供できるように取り組んでいきたい。同時に、日本に本格的な防災システムを構築するためのお手伝いもしていきます。段ボールベッドの普及とともに災害関連死が減ったと言われる日が来たら最高ですね。

 

普通の人ならとっくにあきらめているような幾多の困難・試練を不撓不屈の精神で乗り越えて、被災者のため、災害関連死をなくすため、7年半活動を続けてきた水谷さん。その甲斐あって少しずつではありますが確実に、避難所の景色は変わりつつあります。災害大国・日本。私やあなただって、明日、避難所生活を余儀なくされることになってもおかしくありません。避難所生活は決して他人事ではないのです。そうなる前に、できることを考えておくことも必要なのではないでしょうか。

連載「大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念」記事一覧はこちら 取材・文:山下久猛 撮影:山本仁志(フォトスタジオヒラオカ)

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