組織「経営」は未経験。学生だった僕が、NPOを設立するまでの“きっかけ”と“覚悟

組織「経営」は未経験。学生だった僕が、NPOを設立するまでの“きっかけ”と“覚悟

2004年に任意団体として設立され、2008年に法人化した「NPO法人夢職人」。主に首都圏に在住の、子どもや若者の成長を社会全体で支える仕組み作りに力を入れている。そんな夢職人を立ち上げたのは、現・理事長の岩切 準(2017年現在)。大学生時代に、仲間数人とともに立ち上げた。どのような想いで設立に至ったのかーー。

※本記事は、「PR Table」より転載・改編したものです。

「いつか子どもたちに同じことをしてあげなさい」近所のおじさんからの言葉

▲講演会に登壇している岩切 準

岩切の出身は東京都江東区。岩切が育った地区はもともと、近所づき合いや交流が当たりまえにあるような場所だった。子どものころは、かなりのやんちゃ坊主。クラスにひとりはいる、親や先生からよく叱られる子どもだった。

しかし、そんな岩切を見守ってくれたのは親や先生以外の地域の大人たち。週末になると、忙しい両親の代わりに、友達のお父さんや、地域のおじさんがよく釣りやドライブなどに連れて行ってくれた。

岩切の家には車がなく、遠方に出かけることができなかったので、おじさんとのドライブをとても楽しみにしていた。自然がたくさんある公園につれて行ってもらったり、将棋のさし方を教わったり。友達の家に遊びに行くような感覚で、近所のおじさんと遊びに出かけていた。

おじさんたちとは何の利害関係もない関係。その関係性が、岩切にとってはとても心地よかった。親や先生に話せないことを、おじさんには不思議と話すことができた。

「何でこんなに良くしてくれるんだろう?」

岩切は不思議に思っていた。ごはんを食べさせてくれたり、いろいろな話をしてくれたり。おじさんたちと過ごす時間は、いつもあっという間に過ぎた。

遊びから帰ってきて、親と一緒に手みやげを持って必ずお礼に行くと、必ずと言っていいほど断られた。「そんなものはいらないから」と。続けておじさんはいつもこう言っていた。

「いつか今度はキミが子どもたちのために、同じことをしてあげなさい」

その言葉が、岩切の心には深く残っていた。

子どもとの関わりと、とあるシングルマザーとの出会い

▲夏のキャンプで実施した、川遊びの事前指導の場面

高校生になり、地域活動を行う「子ども会」のボランティアに加わった。長髪、茶髪で、周りから見ると相当ひねくれものに見えた岩切だったが、子どもはお構いなしに関わってくる。一緒に遊ぼう、とそばによってくる。

「子どもって面白いな」。岩切は、単純にそう感じた。

ある人が指導したときは「あの子たちは全然言うことを聞かない」と問題児にされていた子どもたちが、別の大人が指導したときにはとても素直で、力を発揮している姿を間近で見た。

子どもは周りにいる大人によって、いかようにも変容する。

「子ども」という存在に出会い、岩切が初めて学んだことであった。

大学に進学してからは、心理学を学んだ。座学だけでは物足りず、ほかのNPO団体や児童養護施設など、さまざまな現場に出て子どものことについて学んでいた。

そんなとき、自分が住んでいる地域のつながりで、あるシングルマザーの女性に出会った。

彼女はふたりの娘を抱えていて、子どもが休みの土日にも仕事が入ることが多く、「遊びにつれて行ってあげられない」と困っていた。

岩切は、かつて地域のおじさんに言われたことを思い出した。

「いつか子どもたちのために、同じことをしてあげなさい」

この言葉が心に深く残っていた岩切は、「だったら、自分が代わりにつれていきますよ」と、シングルマザーのお子さんふたりをつれて、河原などに遊びにいくことにした。

子どもはもちろんだが、そのお母さんが大喜びだった。ボランティアという形で、少しずついろんな子どもたちの休日に付き合うようになっていった。

親の代わりに、子どもたちを遊びにつれていくという、自分が子どもの時に当たり前にしてもらっていたことが、岩切が大学生になったころには、そのような文化が、だいぶなくなってしまっていた。

おじさんの言葉を思い出しながら「自分がなんとかしなければ」という思いが、少しずつ強くなっていった。

「続ける?辞める?」背中を押したのは、子どもとの約束

▲2008年に法人化した際、仲間と一緒に

おじさんからの言葉を胸に。岩切は、新しく団体を立ち上げることを決意。大学3年生の時に任意団体「夢職人」を仲間とともに設立した。

日帰りの活動や、宿泊を伴うキャンプなど、親の代わりの子どもたちを週末に遊びに連れていく活動を、仲間とともに休まず続けた。

少しずつ関わる子どもや家庭が増える中で、一人親や、病気、単身赴任など、家族だけでは子どもを支えることが困難な家庭があること、いろんなニーズがあることを知った。

大学院に進んだ岩切は「将来どうするのか?」という選択肢をせまられ、ひとまず就職活動を始める。組織が抱える課題解決に興味があったので、IT業界やコンサル業界を中心に就活をし、内定ももらった。

夢職人を続けたい気持ちはあるが、今の自分では組織を経営する力もない。潰してしまうだけだ。コンサルタントとして経験を積んでから、また戻ってこよう。そう思っていた。

そんなとき、あるNPOの経営者に出会う機会があり、こう言われた。

「何年やってもコンサルタントはコンサルタントで、NPO経営者にはなれない」

経験を積んでから夢職人に戻ってこようと考えていた岩切の胸には、深く突き刺さった。やってみたい気持ちはある。しかし、生活はどうするのか、という部分が、やはりひっかかる。

相当悩んだ。悩みに悩んだ末、ふと子どもとの約束を思い出した。

「自分で始めたことは、責任を持って最後までやる」

子どもとよく約束をしていた。約束をしていたのに、それを破ることはできない。「口先だけの大人になりたくない」と、子どもの時にいつも思っていた。夢職人を仕事にし、活動を続けていくことを決意した瞬間だった。

夢職人の活動を続けていくと決めた以上、”仕組み”を作らなければいけない。単なる”ボランティア”としてやっているだけでは、子どもや親のニーズにこたえていくことができない。夢職人を法人化し、これまで行っていた活動を”事業”として運営していくことに決めた。

教育の役割とは何か?

▲現場のボランティアに、一つひとつ丁寧に指導をしてきた

数をこなすのではなく、一つひとつの活動を大切に、子どもにとって楽しく、学びのある内容にすることを目指した。一人ひとりの子どもたちの顔と名前がわかり、信頼関係を築くことを、何よりも大事にした。

目指したのは、家庭、学校に次ぐ「第三の成長の場」を作ること。

その中で、子どもたちが成長していくことを、何よりも願った。

数名からスタートした活動だが、2017年現在の参加者数は、年間でのべ800名前後に上る。設立当初から大事にし続けていることは、今でも変わらない。

周囲の仲間の存在も大きかった。少しずつボランティアとして関わってくれる人が増え、現在のボランティア数は120名を超える。

場と機会を拡充していきながら、子どもに対して岩切が常に思っていることは、「誰かがずっとそばにいて、守ってあげることはできない」ということ。

私たちができることは、原体験となる思い出や記憶を作ることや、社会性や自立心を育むこと。楽しかった思い出や、誰かに言われたひとことが、道をふみ外しそうになった時の心のブレーキにも、何かにチャレンジしようと思った時の後押しにもなり得る。

「心の拠り所となれるような原体験」。そして「社会で活躍できる力」–。

それらを子どもたちにプレゼントしていくことが、大人として、そして、教育の役割ではないだろうか。

「いつか、子どもたちのために同じことをしてあげなさい」というおじさんからの言葉。

「自分で始めたことは、責任を持って最後までやる」という子どもたちと交わした約束。

それらを胸に、さまざまな子ども・若者の成長を支える仕組み作りに、岩切は尽力し続けている。

会社説明会では語られない“ストーリー“が集まる場所「PR Table」

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