26歳で“生ける屍”から35歳でプロ棋士へ! ――「前例」を破った史上初の脱サラ棋士【瀬川晶司】の夢のツカミ方

26歳で“生ける屍”から35歳でプロ棋士へ! ――「前例」を破った史上初の脱サラ棋士【瀬川晶司】の夢のツカミ方

羽生善治竜王の国民栄誉賞や藤井聡太七段の快進撃などで、大きな話題となっているプロ棋士の世界。実はこのプロ棋士、極めて狭き門であることは意外に知られていない。70年あまりの間に誕生したプロ棋士は、わずか300名ほど(このうち現役棋士は162人)しかいないのだ。

これほどの狭き門だが、他にもルールがある。年齢制限だ。26歳までにプロにならなければいけない。このルールを超えて、奇跡的にプロになる夢を果たした棋士がいる。『泣き虫しょったんの奇跡』の原作者でもある瀬川晶司さんだ。30代で夢を実現させた瀬川氏に聞く。

将棋漬けの日々でも、8割はプロになれない

極めて狭き門であるプロ棋士の世界。そんなプロ棋士を志望するのであれば、必ず入会しなければならない場所、それが奨励会だ。小学校時代から将棋で華々しい実績を上げると、入会試験を受けて奨励会員になっていく。実際、中学生から奨励会員になるケースも少なくない。

だが、奨励会に入れば、アマチュアの大会には一切出られなくなる。プロを目指す者のみが集まる場で、将棋漬けの日々が始まるのだ。とにかく将棋が最優先。人並みに進学して就職する、というコースからも外れる。

しかも、奨励会員の中でプロになれるのは2割程度でしかない。全国から選り抜きの精鋭が集まるにもかかわらず、8割はプロになれないのだ。途中でプロになる夢をあきらめて奨励会をやめるか、26歳という年齢制限が来れば問答無用で追い出されることになる。

プロになるために将棋に青春のすべてを賭けながら、夢破れて将棋の世界を去らねばならないという、なんとも残酷な物語が繰り広げられているのが、将棋の世界なのである。そして瀬川晶司さんも、26歳で夢破れた一人だった。

「後にも先にも、これ以上の絶望感は味わっていませんね。過去の十数年が、まったくのゼロになってしまったわけですから」

瀬川さんは中学3年で奨励会に入った。以後、まさに将棋漬けの日々を送った。もちろん26歳という年齢制限の存在はわかっている。そのために努力をしなければいけないのもわかっている。だが、10代から20代の多感な時代に、意志を貫くのは並大抵のことではない。

「全員がなれるわけではないこともわかっています。でも、自分は勝ち残れる、とどこかで思っている自分がいるわけです。その自信を失ったら、自分から奨励会を辞めるしかない。ただ、自信があっても、26歳という年齢のことを考えると怖くなってしまう。だから、考えないように逃げようとする。僕もそうやって逃げてしまったんです」

日々の努力を怠り、怠惰な生活へと向かってしまう。チャレンジできる回数がだんだん少なくなる。迫るプレッシャーの中で、ますます思うような将棋が指せなくなる。瀬川さんは26歳で奨励会を去らざるを得なくなった。

二度と将棋をやることはない、と思った

「辞めた日は、まさに死にたくなるような気分でした。しばらく、起き上がれないほどでした」

実際、原作の書籍でも映画でも、実家に戻ってただ寝て起きて、ぼんやりと過ごす、“生ける屍”のような毎日が描かれている

「時間が経って、ようやく何かやらないと、と思うようになっていきました」

瀬川さんは将棋とはすっぱり縁を切った。奨励会の退会者は、アマチュアとしてその後活躍する人と、二度と指さない人の二通りに分かれるという。瀬川さんは後者だった。自分を“殺した”将棋を憎んでいた。

「だから、将棋に関わるほとんどすべてのものは捨ててしまいました。二度と将棋をやることはない、と思ったからです」

瀬川さんが選択したのは、夜間大学に入学することだった。二部なら学費が安く、アルバイトをしながら通えると思ったからだ。27歳にして大学生になった。まったく新しい人生が始まった。将棋で十数年を失った絶望感は次第に薄れていった。

「新しい環境に踏み出したことで、いろんな方と知り合って、いろんな新しいチャレンジをすることになって。奨励会時代は、だらしない生活を送っていましたが、生活リズムが戻ってきたら、この先もなんとかなるだろう、と考えられるようになりました」

先の見えない不安は、ほとんど感じなかったと語る。

「何もかもなくしたわけですが、なるようにしかならない、と。基本的に楽観的な性格なんです。だから、楽観的に考えていました。自分にできることをやっていれば、何かは拓けていくんだろう、と。できることを、やっていくしかないですよね」

思いも寄らない充実した大学生活。その一方で、瀬川さんは偶然、将棋を指す機会を得ることになる。

システムエンジニアをしながら、将棋を

機会を与えてくれたのは、小学校時代からのライバルで隣に住む幼なじみだった。彼は奨励会に進まなかったが、アマチュア将棋最強と言われる存在になっていた。奨励会を辞めたあと、会っていても将棋の話にはならなかったが、大学1年のある日、自然な流れで将棋盤を間に向き合った。数局指して、瀬川さんは全敗した。

「でも、とても楽しかったんです。もともと将棋が大好きで、指すのが楽しくてしょうがなかった。ところが奨励会でプロを目指す中で、将棋を指すことが苦しみでしかなくなっていたんですよね」

幼なじみに連れられて、再び将棋道場に通い始める。将棋が楽しくてしょうがなかった。やがて、アマチュアの大会で結果が出るようになる。

「奨励会をやめて、年齢制限がなくなって、苦しい将棋ではなく、楽しむ将棋を思い出したんだと思います。そうすると、結果がついていった」

後に奇跡のプロ入りを支援してくれるアマ強豪と出会ったのが、この頃。そして大学4年で瀬川さんは、アマ名人になった。

プロの将棋の公式戦のいくつかは、成績優秀なアマチュアに特別に予選に出場する資格を与えている。アマ名人となっていた瀬川さんは、なんとここでプロを次々に破っていくのだ。アマチュアの対プロ7連勝のニュースは、NHKでも報じられた。

「苦しんで指すより、楽しんで指したほうが、僕の場合は良かったんだと思います。だから、いい結果を出すことができた」

大学卒業を控え、瀬川さんは就職活動に向かう。いくら将棋で勝っても、それは趣味。経済的な自立が必要だった。だが、30歳の新卒を相手にしてくれる会社はほとんどなかった。そんな時、NECの関連会社が採用してくれた。そして、システムエンジニアになった。

運命が動き出したのは、入社3年目である。

好きなことを仕事にすることがいかに幸せなことか

この年、3人のプロを破り、さらに一流の証明である「A級」の座にいる8段の棋士も撃破。銀河戦トーナメントで羽生善治、谷川浩司ら超一流棋士と並んでベスト8に入った。これは、全国紙の社会面でも報じられた。

ベスト8で敗れたものの、この年の暮れにまた6連勝。対プロ戦の成績が17勝6敗になった。アマが勝てる確率は2割といわれるプロとの勝負で、勝率が7割を超えてしまったのだ。ここで、先のアマ強豪から「プロになる気はないか」と問われる。

「なる気持ちがあるなら応援したい、と言ってもらえて。なりたいという気持ちはありました。すべては、支えてくださった方々のおかげなんです」

瀬川さんのプロ入り希望が伝えられると、将棋界では大きな騒動になった。潔くない、論外だ、という声から、本当に実力の世界なのか、という声など賛否両論が渦巻く。アマ仲間をはじめ、会社の同僚などから瀬川さんは大きな応援を受ける。

そして、将棋界が動き出す。棋士による議論の場を、という声が上がるのだ。それを言い出した意外な人物の名前が、原作では明かされている。

「プロになりたいと言い出したときは正直、無理だと思いました。前例がありませんし。しかも、会社員という安定した立場を失うことになる。でも、やるだけはやってみよう、と。後悔しないように。そうでなければ、何も起こりませんから」

瀬川さんは嘆願書を提出。最後はプロ棋士による投票が行われ、瀬川さんにプロ編入試験が行われることが決まる。そして、周囲の大きなプレッシャーの中でこの試験をクリアするのである。

「遠回りしたことで、好きなことを仕事にすることがいかに幸せなことか、ということを改めて実感しました。そのまま棋士になっていたら、そこに気づけなかったと思います」

そしてプロになり、棋士で初めてスポンサーがついた。働いていた会社だ。

「規則正しい生活ができるようになったのも、会社のおかげです。会社の同僚や上司も、本当に応援してくれて」

プロ入り編入試験をめぐる、会社の仲間たちとのしびれるエピソードも、原作、映画で描かれている。

映画化を聞いて、エイプリルフールじゃないかと

実は原作が刊行されたのは、2006年。それから12年を経て、映画『泣き虫しょったんの奇跡』が2018年9月7日より公開される。

「話を聞いたのは去年の春でした。エイプリルフールじゃないかと思いました(笑)」

主人公の瀬川さんを演じるのは、松田龍平さん。これはうれしいことだったという。

「ちょっとカッコ良すぎますけど(笑)」

監督の豊田利晃さんは、実は17歳まで奨励会にいた人物。それだけに、対局シーンへのこだわりは半端なものではなかった。瀬川さんも、将棋指導に加わっている。

「大きいのは、将棋を指すときの手つきですね。プロと同じ手つきができるか。これは、なかなか真似できるものではありません。でも、俳優のみなさん、本当にこだわられていました。私も撮影に入る2カ月前から指導に加わっていました」

ただ、簡単なことではないという。俳優陣は、おそらく家でも練習をしていたのではないか、と瀬川さんは語る。

「勝ちを決める手、負けそうな手など、指し方が微妙に変わるんです。それをわかってもらいたくて、将棋の指導もしました。松田さんは最初より格段に強くなりましたね。一番、腕を上げたのは、永山絢斗さんです。2本指できれいに指しているシーン、ぜひ見てほしいです」

ありえないと言われ、奇跡的に夢を果たした瀬川さん。そのために必要なものとは何だったのだろうか。

「大事なことは、努力を続けることだと思っています。そしてもうひとつは、夢を声に出すこと。こうなりたい、こうしたい、とまわりに伝えること」

安定した会社員を捨てて本当にプロになる気があるのか、と思われたと語る。ただ、本気だったからこそ、まわりが心から応援してくれた。それが奇跡の道を開いてくれた。

「たくさんの人の支えによって、実は今の自分はあるんです。それは多くの人がそうだと思います。私の話によって、そのことに気づくきっかけにしてもらえたら、と思っています」

文:上阪 徹
写真:刑部友康

編集:丸山香奈枝

『泣き虫しょったんの奇跡』9月7日(金)全国ロードショー

<STORY> 史上初! 奨励会退会からのプロ編入という偉業を成し遂げた男の感動の実話

監督・脚本:豊田利晃

原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫)

音楽:照井利幸

出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、

妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼

製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会 制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト

特別協力:公益社団法人日本将棋連盟

配給・宣伝:東京テアトル

公式サイト: http://shottan-movie.jp

©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社

 

 

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