アンスネスのバラード ショパンへの帰還(Album Review)

アンスネスのバラード ショパンへの帰還(Album Review)

 アンスネスのショパン録音といえば、母国ノルウェーのマイナーレーベルに刻んだ、1987年のレコーディング・デビュー盤での第3ソナタ、そして1992年の、当時のVirgin (現Erato)からリリースしたピアノソナタ全集にエチュードとマズルカの抜粋を合わせた2枚組、この2種類しかなかった。そんな彼が、遂にショパンのバラードに取り組んだこと、それだけで事件である。 

 しかし、このアルバムは、4つのバラードをただ並べたものではない。4曲の間にノクターン第4番、第13番、第17番を挟み込んだ独特の構成を採っている。1847年作曲のノクターン第17番だけは、最後に置かれた1842年のバラード第4番以降の作品だが、ここを除いて、1831年から35年にかけて書かれたバラード第1番から、各曲は順繰りに時代を下るよう配列されている。

 バラード第1番の、ゆっくりと3オクターヴをユニゾンで上ってゆく序奏、これをアンスネスは思い入れたっぷりには弾き出さないし、最後に鳴る不協和音も妙に強調しはしない。第1主題からアルペッジョで広い音域を駆け巡る推移部を経て、ソット・ヴォーチェの第2主題へ、アンスネスの指から流れ出す音楽には、押しつけがましいコントラスト付けを極力排除しながら、緻密に細部に光を当ててゆく。ただし、近年のアンスネスは、細部への過剰なまでのこだわりからは少々離れ、それぞれの楽想や推移部をシームレスに繋ぐことで、音楽の大きな流れをこそ大局的に捉えて聴き手に提示する、そういう懐の深さを備えた奏者へとスケールアップした。バラードのような比較的規模の大きい曲では、そうしたアンスネスという奏者の変化を、はっきりと捉えられるだろう。
 
 第2番のバラードは、アンダンティーノのノスタルジックな主題が、間に挟まれる激越なコン・フオーコの嵐と交替するうちに和声に厚みが増し、その神秘的な旋律が隠し持っている陰の要素が、次第にじわじわと滲み出る。コン・フオーコといえば、直前に置かれたノクターン第4番の中間部や、コラール風の中間部の後半から劇的な展開を見せる第13番のノクターンにもあるわけだが、和音を力感たっぷりに掴んでも、その全ての音がはっきりと分離して聴き取れるのも、アンスネスならでは。

 こうした卓越したタッチ技術で、どんな局面でも濁りや雑味と無縁なソノリティも健在で、エンハーモニックを含む転調の妙が効いたバラード第3番など、崇高なまでの透明感がある。

 アンスネスも別格的な作品と位置づける第4番は、1842年の作品であるだけに、幻想ポロネーズなどで絶頂を迎える、ショパン晩期の作風の入り口に立つ作品で、旋律や和声はもちろん、バロック音楽への深い思慕を感じさせるカノン風の箇所、豊かな装飾で彩られた経過句、主題が回帰するたびに驚異的なまでに異なる表情と、ショパンの天才性が至るところに刻み込まれた作品だ。この充実した作品において、アンスネスはそのどれかの要素を無闇とクローズアップすることはない。さりとて、そのどれをも等閑視してないがしろにもしないのだ。部分と全体を同時に見据える、天賦の才としか言いようのない、この絶妙なバランス感覚、あらゆる陰翳をくまどる音色のパレットを操るタッチ技術と、文句のつけようがない。

 品を作ったり、けれん味たっぷりに曲を料理して人を驚かせたりする奏者とは対極にいるアンスネスならではの自然な息づかい、これがアルバム全体を支配している。楽曲へ向ける深い愛に染め抜かれてはいるが、しかしその感情をことさらに見せびらかしたりはしないのも、実にアンスネスらしい。Text:川田朔也

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