古い法律では、災害から「国民の命」を守れない!今こそ“防災省”の設立を――大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念(第3回)
東日本大震災以来、避難所の景色を変えるため、段ボールベッドの普及に尽力しているJパックス代表取締役社長・水谷さんにインタビューする連載企画。前回は、地方自治体と防災協定を結ぶための地道な活動や、国への働きかけによって、災害時に段ボールベッドをより多くの避難所に確実に届けるというシステムの構築に成功した話をうかがいました。今回は支援に向かった熊本地震での出来事、協定を結んだにも関わらず災害時、避難所に段ボールベッドが届けられない理由、今後日本がやらなければならないことなどについて迫ります。
【写真1】2017年5月に発生した熊本地震で設置された避難所にて(写真提供:水谷さん)
プロフィール
水谷 嘉浩(みずたに・よしひろ)
1970年、大阪府生まれ。大阪府八尾市にある段ボールメーカー・Jパックス株式会社代表取締役社長。2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、災害関連死を減らすべく、災害発生時、自ら設計した段ボールベッドを避難所に運搬したり、全国の地方自治体と防災協定を締結する活動を継続している。その他、「避難所・避難生活学会」の理事として、防災についてのさまざまな研究、啓蒙活動を行ったり、京都工芸繊維大学大学院の博士課程で材料工学の研究も行っている。2児の父。
大きな成果を実感した熊本地震
──2016年4月の熊本地震は発生直前に政府への働きかけが奏功して、災害発生時に避難所に段ボールベッドを迅速に届けるというシステムを作り上げることができたそうですが、実際にはどうだったのですか?
地震発生後、政府が内閣府避難所運営ガイドラインに従って、業界団体に対して段ボールベッドを被災地に届けてほしいと要請。それを受けた業界団体が九州にある約15社の段ボール会社に要請して、段ボール会社が段ボールベッドを作って被災地に届けました。ただ、熊本県とは地震の1年半前くらいから防災協定締結の交渉をしていたのですが、結んでくれませんでした。県が結ばないと市町村全体に段ボールベッドを均等に届けられません。今回、確実に被災者に届けられたのは益城町だけでした。
僕自身は、震度7の大きな揺れが2回ありましたが、最初の地震の時、すぐに熊本市に入りました。そして翌日、2回目の大地震に遭遇して、本当に死ぬ思いをしました。避難所を回ったら、人々はやっぱり薄い毛布を1枚敷いただけの冷たくて固い床に雑魚寝してました。でもこの状態が数ヶ月続くと確実に関連死する人が出ると思ったので、知人で兵庫県から応援職員を通じて益城町災害対策本部に入って活動できることになったんです。最終的に益城町ではほとんどの避難所に入れることができたんです。結局熊本にも15回ほど通って熊本県全体で5,300床を提供できたのですが、東日本大震災から5年間で提供してきた5,000床を一回で超えたことになります。そういう意味では地震発生の2週間前に、政府の避難所運営ガイドラインの支援物資リストの中に段ボールベッドを入れられたことがすごく大きかったんです。でも熊本市は段ボールベッドを入れてくれるようお願いしたのですが、一部を除いてほとんど入れてくれませんでした。
難しいのは国家や行政と国民の関係やと思うんですよ。本来なら大災害などで国民がピンチの時に、国家や行政が何が何でも国民を救うぞというスタンスであってほしいじゃないですか。でも、うちは決められたルール通りにしかやりませんとはっきり言う自治体が多いんですよ。そんなルールはないから段ボールベッドを導入する必要はない。逆に決められたことはちゃんとやってますと。でもこれって誰がどう考えてもおかしいことですよね。避難所って災害から助かったラッキーな人がいる、安全な場所のはずじゃないですか。しかしそこで命を落としていく人がいる。これに我慢ならないんですよね。熊本地震でも亡くなっている方の中には39歳のお母さんもいるんです。防げるはずの災害関連死で亡くなるというのは残念すぎます。
──熊本地震の時の活動で印象に残っていることは?
登山家の野口健さんが避難所で被災者のためにテントをたくさん運んでテント村を運営していました。そこで野口さんと喋っていた時、家族4人の避難者が来はって「テント空いてないですかね?」と野口さんに聞いたんです。残念ながらテントは全部埋まってたんですが、お母さんの顔色が明らかに悪かった。これは危険やと思って、野口さんに掛け合ったらたまたま予備のテントがあって、入れることになり、そこに段ボールベッドを持っていきました。2、3日したら足を伸ばして寝られることでほっとしたのか、そのお母さんの顔色が明らかによくなっていました。ひょっとしたらあのままだったらエコノミークラス症候群になっていたかもしれないと思うと、体調が回復して本当によかったですよね。
【写真2】熊本地震のテント村にて(写真提供:水谷さん)
熊本地震から2年4ヶ月が経過しましたが、災害関連死は熊本県全体の211名中、益城町は24名、一方、熊本市が79名と多いんです。地震後1ヶ月では避難者はほぼ同数だったのですが、1年近く経った3月末の時点では、災害関連死の数は3倍強近い開きがありました。今回、段ボールベッドを入れた益城町と入れなかった熊本市で災害関連死の数に開きが出たことで、もちろん、すべて段ボールベッドのおかげだとは言いませんが、少なからず人の命を救うことに貢献できたと信じています。今年(2018年)3月、熊本県と熊本市は全段連と防災協定を結びました。彼らも段ボールベッドの効果を認めているからだと思っています。
【写真3】段ボールベッドを入れた益城町では災害関連死の数が少なかった(写真提供:水谷さん)
協定を結んだからといって安心できない
──活動の成果は確実に現れているんですね。
でも、自治体と災害協定を結んだからといって安心はできないんです。2016年10月の鳥取県中部地震では、避難所に段ボールベッドを供給したのですが、しばらくして見に行くと使われずに倉庫に入ったままでした。また、2017年7月の九州北部豪雨では福岡県と業界団体は防災協定を結んでいたにもかかわらず、豪雨被害を受けた市の避難所では「被災者からの要望がない」という理由で段ボールベッド供給の要請はありませんでした。
【写真4】鳥取県中部地震でせっかく供給したのに倉庫に眠ったままになっていた段ボールベッド(写真提供:水谷さん)
──せっかく協定を結んでいたのにそれじゃ意味ないですよね。その理由は?
簡単なんですよ。協定は都道府県と業界団体が結んでいたのですが、市区町村はそんなことは全く知らなかった。災害対策基本法では住民の命を守る責任は市町区村にあります。その市町村が防災協定のことを知らなければ、避難所に段ボールベッドを入れなければいけないという意識が全く働かないわけです。結果どうなるかというと、災害発生時、県から市町村に段ボールベッドが届きますと連絡が行く。市町村は住民に対して段ボールベッドを希望する人を募る。でも住民は段ボールベッドなんて見たことも寝たこともないから「いらない」と答える。そうなったら市町村から「段ボールベッドを希望する人がいない」と県に上がって、せっかく結んだ防災協定が発動しないというわけです。
今年の6月に起きた大阪北部地震でも地震の後、松井知事は段ボールベッドを入れると記者会見で発言しました。その後、一気に動いたのですが、結果は希望者を募ってしまったおかげで1週間ほど設置が遅れました。避難所には、6ヶ月の赤ちゃんや妊婦、車椅子の高齢者、怪我をしてギプスをしてる人、足腰の悪い高齢者が、体育館の床に雑魚寝していました。大阪府は業界団体と防災協定を結んでいます。なぜ、協定を活用して全ての避難者を救済しないのでしょうか? なぜ、せっかくの知事の発言を途中で縮小するのでしょうか? もう悔しいというか、怒りに震えるというか、やりきれない気持ちでいっぱいでした。しかしその後、住民からの要望もあり茨木市は全ての避難者に段ボールベッドを届けることを決めました。よかったとは思いますがあまりにも時間がかかりすぎです。避難している人たちは体育館で少なくとも10日以上も雑魚寝です。ためらって逐次投入するより一気呵成に展開しなくてはいけません。
避難者に段ボールベッドの希望者を募ってはダメなんですよ。例えば避難所で「ごはんいる人?」とか「水いる人?」って聞きますか? 聞かないで当たり前のように配りますよね。でも段ボールベッドはまだ当たり前になっていないんです。避難者が何も言わなくてもごはんや水のように自動的に段ボールベッドが届くようにしなければ災害関連死を減らすことはできないんです。
その点、海外は災害発生時の行政の対応が進んでいます。2012年8月にイタリア北部地震が発生した時、現地に飛んで避難所を調査しました。イタリアでは家族単位でプライバシーが守れるのでテントを使うんです。中に入ると絨毯が敷いてあって簡易ベッドが置いてありました。水や食料と同じく、何も言わなくても当たり前のようにベッドが届くんです。避難所にはエアコンやトイレとシャワーも完備されていました。日本の避難所は絶対数が少ないので、一週間くらいしないとトイレが来ないんです。トイレって毎日のことだから困りますよね。
食事はイタリアの場合はプロの料理人が避難所で温かい料理を作って配るんです。ワインもつきます。一方、日本はおにぎり、菓子パン、カップラーメンが1ヶ月続いて、2ヶ月目からようやく弁当が来る。有事だからそんな生活も仕方がないと思うのは若くて健康な人だけ。持病があったり体力のない高齢者や食事の配慮などが必要な人もたくさんいて、そんな人たちは数日、過酷な生活を送るだけで命に危険が及びます。
このようにイタリアには災害発生時に発動する被災者支援の素晴らしい仕組みがあるのですが、ずっと昔からあったわけではありません。きっかけとなったのは1980年にイタリア南部で起こった大地震。この時、イタリア政府は何もできず、3,000人が亡くなったんです。この一件を猛省して、2年後には市民安全省という役所を作って、現在の仕組みができたんです。
【写真5】イタリア視察にて(写真提供:水谷さん)
──日本で当たり前のように段ボールベッドが届くようになるにはどうすればいいのでしょうか。
まずは1つでも多くの自治体と防災協定を結ぶことと、前例をたくさん作る活動を地道に続けること、そして最終的には市区町村に避難所の運営マニュアルの物資要請リストの中に段ボールベッドを盛り込んでもらうこと。その仕組みを全国に行き渡らせるという作業がまだまだこれから続きます。
──自治体と防災協定を結ぶ時に、物資要請リストの中に段ボールベッドを入れてくださいと要請してもダメなんですか?
もちろんやってます。県と防災協定を結ぶ時に、県の市区町村すべてにこの仕組みを導入してくださいねと頼んでいるのですが、なかなか実現しないんです。
──なぜ実現しないのですか?
それは自分たちがやらなければならない仕事じゃないから。県は「あくまでも市町村に責任あるんです」と言い、市町村は「県が言ってくれないと我々は動けない」とお互い責任のなすりつけあいをするのでうまくいかないことが多いんです。
防災省の設立が急務
【写真6】インタビューに答える水谷さん
──今後、自然災害から国民を守るために日本政府にやってほしいことは何でしょう?
1つは、イタリアのように、国民を守るため、防災の専門省庁「防災省」を設立するべきやと思います。そのために、イタリアをモデルにして、日本風にアレンジして提案するなど、ずっと政治家に働きかけているんです。その理由は今の国の防災システムでは太刀打ちできないからです。災害対策の法律が古いんですよ。災害救助法が制定されたのは昭和22年(1947)、災害対策基本法は昭和36年(1961)。それでは東日本大震災や南海トラフ大地震クラスの災害には対応できません。当時ではそんな大地震は想定されてないから有効な手立てが打てないんです。今年中に具体案をまとめて政府に提示する予定です。これは主に避難所・避難生活学会で取り組んでいる活動です。
避難所・避難生活学会の理事として
──その避難所・避難生活学会について詳しく教えてください。
最初のきっかけは、北海道の赤十字看護大学の先生に避難所にフォーカスした学問がないと言われたことです。なかなか改善しない避難所の環境をできるだけ早く改善したいという思いと、このような団体があれば自治体と防災協定を結ぶ際に話を聞いてもらいやすくなるし、災害現場でも活動がしやすくなると思い、これまで一緒に活動してきた仲間の医者や研究者、福祉関係にも声を掛けて2014年9月に設立しました。
避難所は災害時といっても人が生活をする場であり、衣食住などの生活の基本を重視して、平時と変わりなく健康被害の低減に努めなければなりません。だからこの団体のメンバーは地震や火山など自然科学系の分野だけではなく、社会科学系を中心としたさまざまな分野の熱い思いをもった有志たち。避難所や避難生活に焦点を当て、現場で得たさまざまな知見を反映させて、避難所のQOL向上につながる活動に取り組んでいるんです。
──具体的な活動内容は?
まず、エコノミークラス症候群などの災害関連死を予防するために、避難所の課題をどう解決していくかを研究すること。平時は年に1回シンポジウムを開催して避難所に関する問題提起をして情報を発信したり、先程お話したように政治家に対して啓蒙活動を行っています。有事の際はすぐ避難所に行って、段ボールベッドを導入する段取りをしたり、医者はエコノミークラス症候群の診察や予防活動を行います。段ボールベッドに限らず、世の中に役立つ学会にしていきたいと考えています。
【写真7】避難所・避難生活学会のメンバーと、避難者の二次健康被害を防ぐため、避難所の改善に関して政治家に要請(写真提供:水谷さん)
京都工芸繊維大学大学院の博士課程で研究も
──京都工芸繊維大学大学院の博士課程で材料工学の研究もしているそうですが、入学した経緯は?
45歳の時に入学したのですが、まさかこの歳で学生になるとは思っていませんでした(笑)。入学したきっかけは、2014年秋、避難所学会を立ち上げる直前、同志社大学の先輩でもある京都工芸繊維大学の教授から、強くお誘いをいただいたこと。大学卒業後、大学院修士課程にも進んでいないのですが、それまでの段ボールベッド普及の活動が修士課程に相当すると認められて、博士課程に入学できたんです。といっても試験は受けなければならないので、めちゃくちゃ勉強しましたよ(笑)。入学後は段ボールベッドが避難者の健康に与える影響などをテーマにさまざまな研究活動を行っています。
──具体的にはどのような研究を?
ひと言でいえば、これまでやってきた活動を科学的に証明していくってことですね。例えば保温性に優れているといわれている段ボールベッドが実際にどれだけ温かいのかを測定してデータを取るんです。その結果、床で雑魚寝するより9度も温かいことがわかりました。これなら低体温症を予防できます。つまり、東日本大震災が起こった時に「段ボールベッドは温かいんちゃうか」と思いついたことの科学的根拠が取れたわけです。ほかにも睡眠の質の違いについてのデータを取ったり、組み立ての動作解析をして少しでも簡単に組み立てられるように設計改良に活かしています。
あとおもしろいのが、東京理科大学火災化学研究所と共同で行っている燃焼の研究です。ダンボールの唯一の弱点は火だと思われていたのですが、実際に火をつける実験をやったら意外とあんまり燃えないんですよ。燃えるんですがそのスピードが遅くて熱量も低い。ISOの試験資格にのっとりガスバーナーであぶっても全焼するまで25分かかったんです。それだけの時間があれば、もし燃えたとしても十分に逃げることができます。むしろ服とか布団とか防災毛布の方がよく燃える。避難所はどこも火気厳禁ですし段ボールベッドは決して危なくないという火災の専門家の評価でした。それよりも低体温症やエコノミークラス症候群を予防できる方が、被災者にとってはメリットが大きい。このように、研究成果が実際の災害現場において活かされることを目的として研究に取り組んでいます。
このような実験による科学的根拠を積み重ねて出した、段ボールベッドに弱点はないという結論は、自治体を説得する時の有力な材料になります。だから自信をもって段ボールベッドの導入を提案できるんです。さらに、僕が大学院でドクターの資格を取ったら、この段ボールベッドは工学博士が開発した物だと謳うことができる。大阪の小さなダンボール屋のおじさんが作ったというよりも、説得力が増して、導入に繋がりやすくなりますよね(笑)。
自分の会社の経営に加え、自治体との防災協定締結活動に奔走、その上避難所・避難生活学会を設立したり、京都工芸繊維大学大学院に入学したりとまさに八面六臂の活躍を見せる水谷さん。最終回の次回ではこのような活動のやりがい、水谷さんを突き動かす思い、原点、今後の夢などについて熱く語っていただきます。乞う、ご期待! 取材・文:山下久猛 撮影:山本仁志(フォトスタジオヒラオカ)
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