10代の気持ちが返ってくる吉野万理子『南西の風やや強く』

10代の気持ちが返ってくる吉野万理子『南西の風やや強く』

 12歳、15歳、18歳。本書では、それぞれの年齢のときの主人公・狩野伊吹が描かれており、章のタイトルにもなっている。物語の始まりは夏の夜。小6で12歳の伊吹は近所の星月夜天神で誰かが木の枝に結びつけていったおみくじをほどき、さらに大吉だったそれを真っ二つに破いた。伊吹は父親と同じ聖慶学園を受験しさらに東大を目指すことを期待されていて、母親からは「他人に勝たないと一流になれない」と言われている。おみくじを破くのは「自分よりもラッキーな人を世界から一人でも多く減らす努力」なのだ。もう1枚、とほどいた中吉のおみくじを破ろうとしたとき、同級生の石島多朗から声をかけられる。伊吹も同じように「いっつも百円払うのはもったいねーから」「ここに結ばれたやつから、一個選んで明日の運勢を占って」いるものと多朗に勘違いされて、同じクラスでもほとんどしゃべったことはなかった彼らが打ち解けていく。そして、多朗も大吉のおみくじを引き(というか、結わえられているものをほどいて)、それぞれの『方角』の項目に注目する。伊吹のは『早急に南方へ歩けば道は開ける』、多朗のは『今すぐ西へ向かうと吉あり』だった。そこで唐突に多朗が「南西を目指さねえ?」と言い出す。夏休みにどれだけ実力がついたかが判定される重要な塾の模試を翌日に控えていたが、伊吹は突拍子もない多朗の話に乗る。歩いて行けるところまで(目標は鎌倉を出発して伊豆半島まで)行ってみようと、夜の十時半に小学生二人は南西に向かった…。

 15歳の伊吹は中学3年、18歳の伊吹は高校3年で、いずれも受験の年を迎えている。しかし、受験生は勉強のみにて生きるにあらず。部活に恋愛、そして家族との関係など、10代には10代の切実な悩みがあるのだ。神社での奇妙な出会いの後、本来あまり共通点があるように思われない優等生タイプの伊吹とややヤンキー風味の多朗はずっと友だちだった。がむしゃらに反抗するのではなく、まだまだ子どもである身ではできることとできないことがあるということに気づいていく彼らの成長の過程が素晴らしい。伊吹や多朗は、その年齢にしてはかなりしっかりしていると思うが、それでも6年間でほんとうに大人になる。それでいて、がむしゃらに南西を目指した12歳当時のまっすぐさも持ち合わせている。彼らが進んでいく道の先に、希望が待っていることを切に願う。

 12歳だったり15歳だったり18歳だったりした頃、50歳の自分など想像もできなかった。だが、それはある意味しかなたいといえる。まだ経験していないことなのだから。問題は、50歳の自分が10代の頃の気持ちを簡単には思い出せなくなっていることなのだ。人間はどうしても目先の問題やトラブルに気をとられるものだし、そうすると子どものときに考えていたことなど、どんどんどんどん記憶の彼方へ遠ざかっていってしまう。親子間のごたごたなどはまさに、こういった各々の世代の想像力の欠如によるものがほとんどだろう。親子の間が険悪な雰囲気になったら、いったん親は子どもだった自分がどんな風に思っていたかを思い出してみるといい。「こんな風に頭ごなしに言われたって反発するだけだった」「一方的に禁止するばかりではなく、なぜダメなのかという理由を説明してほしかった」という子の気持ちを汲み取り、冷静に話を進められるだろう。そうした話し合いを試みたうえで、それでもなお我が子が理不尽な要求を突きつけてきたら(←往々にしてある)、今度は遠慮なく叱り飛ばせばいいのだ。子ども時代の思いをよみがえらせることは、別に親子げんかに応用するという目的だけに限らない。今の自分を作り上げているのは過去の自分の考え方や行動基準であり、その当時の感情を思い出すことは己を知ることでもある。

 思い通りにならないことばかりのように思える子ども時代だが、真剣に考えて行動したり周囲にしっかりと思いを伝えたりすれば、現状を打破できることもある(残念ながらかなわないこともあるが)。「いつか」のために「いま」を犠牲にするとしか感じられないのだったら、現在この瞬間はつらいものでしかないだろう。でも、「いま」を懸命に生きることが「いつか」につながると思えれば、「いま」と「いつか」は分断されたものではなくなる。若者たちはもちろんだが、もはや人生も半分を過ぎた我々も、そう考えて生きていけるとよくないですか? 自分の「いま」は、常に「いつか」のためにもなっている。いつだって私たちには未来がある。たとえ次の瞬間に命が尽きたとしても、未来に向かって生きる意志を持っていたのとそうでないのでは、まったく違うんじゃないだろうか。『南西の風やや強く』は、私たちをすぐに10代の頃に戻してくれる。

(松井ゆかり)

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