運命に逆らう二人の”ゆかり”の道中記〜山本幸久『ふたりみち』
自分と同じ名前の主人公が出てくる小説があったら読みたくないですか? 私は読みたい。「ゆかり」は決して珍しくはないけれど、小説にひんぱんに登場するような名前でもない。自分と同年代だったら「陽子」や「明美」、最近だったら「彩香」や「結衣」などのランキングで上位になるような人気の名前とは違って、本の中で見かけることはめったにないのだ。
そんな(私にとって)貴重な小説が本書、『ふたりみち』である。なんと主役のふたりが”ゆかり”なのだ。主人公は、昔1曲だけヒットを飛ばしたことのあるムード歌謡歌手・野原ゆかり(芸名:ミラクル・ローズ)。現在、北海道は五稜郭の近くにスナックを構えている。ちなみに67歳(私より17歳上…。当時としてはけっこうキラキラネームだったのではないだろうか)。ゆかりが北海道から青森へ向かうフェリーの甲板で凍えそうになっているところから物語は始まる。全国ツアーと銘打ったドサ回りに出発したばかりのゆかりとひょんなことから一緒に旅することになったのが、中学校に上がったばかりの森川縁(昔、「SHOW ME」というヒット曲を歌い、現在は布施明夫人である歌手・森川由加里を思い出す)。初めてふたりが出会ったときの縁は、中学生になったかならないかくらいで連れもなしにフェリーに乗っており、いかにもワケあり風な様子だった。いったんは八戸駅で別れたふたりだったが、次のツアー予定地である仙台にひょっこり縁が現れた。ゆかりがフェリーで往年のヒット曲「無愛想ブルース」を歌ったのを聴いて、もっと彼女の歌が聴きたいとやって来たのだという。
ドサ回りに出ると決めてから、昔もらった名刺を頼りに三日半を費やして片っ端から電話をかけたにもかかわらず、ゆかりがステージの約束を取り付けられたのは5か所だけ。それでも自分を奮い立たせて北から順に会場を訪れるも、思いがけないハプニングが次々と彼女を見舞う。そんなゆかりを支えるのが孫ほどに歳の離れた縁だ。気が弱りがちなゆかりに元気が出るような言葉をかけ、的確なアドバイスをし、インターネットなどを駆使して手助けをする。傍目には、できがよく優しい孫がかいがいしく祖母の世話を焼いているように見えるだろう。だが、縁自身もゆかりに助けられているのだ。50以上も年齢は違うけれども、ふたりは友だちである。ゆかりにとっては、人生の半ばもけっこう過ぎてから訪れたリア充期だ。
桁違いにポジティブか果てしなく鈍感でもなければ、「我が生涯に一片の悔い無し」と言い切れる人はほぼいないだろう。ゆかりも、夫や子どもと寄り添って生きる人生もあったかもしれない、あるいは憧れていたシャンソンを歌って脚光を浴びる歌手生活を送れたかもしれないとしんみりすることもある。だが、「こうすればよかったとかああ言えばよかったとか思うこともあるけれど、まあまあいい人生だった」と思えれば万々歳ではないだろうか。ゆかりの生き方を知ることで、読者たちは自分の歩んできた日々を肯定していいんだという気持ちになれると思う。ただ、そのためには防戦一方という心構えでいいわけではない。運命に逆らえ。これはゆかりが窮地に陥ったときに聞こえる、自らの心の声だ。私たちも、いくつになっても、決心するべき瞬間がやってきたら尻込みしていてはいけないということを忘れないようにしなくては。
「ゆかり」たちが主人公でなかったら見逃していた可能性もあったと思うと、それこそ縁もゆかりもどこにあるかわからないなとつくづく感じる。自分の名前が出てくる小説を読みたい「ゆかり」さんは必ず、そして「ゆかり」さん以外のみなさんも、ぜひお読みになってみてください! あまりにもひねりのない言い方で恐縮ですが、ほんとにいい小説だったから。
(松井ゆかり)
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