30歳を過ぎて“未経験”の分野にキャリアチェンジ。意識したのは「相対優位性」を考え抜くことーー料理人・寺脇加恵の仕事論
化学調味料や加工食品を一切使わないオーガニックな料理を得意とし、テーブルコーディネートなど会場の装飾もトータルにプロデュースする料理人の寺脇加恵さん。
彼女のFacebookには、日々大量のケータリング用の料理を作る様子がアップされ、あるときは築地で大量の仕入れをし、またあるときはスポーツチームの海外合宿に帯同して食事面でサポートをしている。
彼女がなぜケータリング事業を手がけるようになったのか、錚々たる外資系企業や各国大使館が、こぞって彼女に依頼するのはなぜか、麻布十番にある彼女のアトリエで語っていただいた。
【プロフィール】 寺脇 加恵さん 1976年生。上智大学法学部法律学科卒。大学在学中アパレル輸入事業を立ち上げ、世界50カ国を周り、先々で食文化と調理技術を体得。2006年、世界各国料理のケータリング事業を設立。500人規模の企業レセプションからウエディングまで、イベント趣旨に合わせ、アパレル事業経験を生かした会場装飾等の世界感の作り込みを伴うカスタムオーダー型を得意とする。他、広告メニュー開発、撮影コーディネート、飲食店の立て直し、食を通じた教育プログラムの開発等、食に関するプロジェクトの実績多数。
空手二段! 家にTVがないから本を月100冊読んでいた少女時代
ゆっくりとした話し方で、ふわっとした雰囲気を持つ寺脇さんだが、子どもの頃は通知表に「我が強い」と書かれているような子どもだった。親の影響で6〜20歳まで空手を続け、二段の腕前だ。
小さい頃、家にTVがなくて「TVの代わりに本を読め」と1カ月に100冊くらい読んでいた。中学生になってからは1カ月に2時間だけ、好きなTV番組を録画して見ていいルールができた。月に2時間では連ドラなどは見られず、映画を見るようになった寺脇さん。洋画が多かったこともあり、映画と英語に興味を持って中高校生時代は英語劇の部活に入部した。
「今も何かの世界観を作るのが好きなのは、映画で味わう非日常感や、部活でやっていた舞台が当時から好きで、それを自分で再現したい気持ちがあるんです。料理はその中の一番重要な要素ですね」
その後、上智大学法学部に進学。父親が税理士で、当時はダブルスクールすれば比較的簡単に資格が取れたため、学部で法学系、大学院で経済や商学系を専攻して、跡を継ぐよう言われていた。しかし、入学してみたら法律にあまり興味を持てないことに気づいたという。
当時はITバブルの時代で、同い年の人たちがベンチャーを立ち上げたり、インターンをやったりしていた。自分も何かやりたいと思うものの、IT系には疎かったため、自分の好きなことをやろうと考え始めた。
そんなとき、たまたま行った海外でのアンティークのオートクチュールとの出会いが、起業のキッカケになったのだという。
「昔のオートクチュールのものが美術館で展示されていると思ったら、それと全く同じものが洋服屋さんで売り買いされているのを見たんです。文化的なことや歴史背景のあるモノという意味での洋服を初めて認識して感動しました。最初は自分で集めていましたが、その後仕事で扱うようになりました」
大学3年生で起業したタイミングでは、まだ一生の仕事にしようとは思っていなかったため、親には起業のことを伝えなかった。就活は行きたいと思った外資金融1社のみに応募。最終選考まで残ったものの内定を取ることができず、起業したビジネスを続けるしか道がなくなったとき、ようやく親に伝えた。「すごく怒られました」と笑う。
開業から約10年、従業員が1500万円横領
起業した当時はECサイトなど無い時代だったため、知人でアンティークの服が好きな人からコミュニティを紹介してもらい、展示即売会のようなことを繰り返した。5年目に場所を借りてショップを始め、卸しや委託販売もやっていたという。
アンティークのアパレルは国内外の価格差が大きいため、海外で買い付け、国内で売ることで、かなりの利益が得られていた。
順調に事業を進めていたが、あるとき買い付けでフランスに行っている間に、従業員が店の中で最も高価な商品を含めた在庫の一部と、仕入れ情報や顧客リストを横領。商品は質屋に入れられ、1500万円ほど現金化されてしまう。結果として、在庫がなくなってしまったため事業をたたまざるを得なくなってしまった。
「お金を持っていないから横領したわけで、その人に前科を付けてもお金は返ってきませんよね。だから、警察に突き出さない代わりに、現金化して横領した分を賃貸借契約に直して、月々ちょっとずつ返してもらえばいいから、という形にしたんです。でも、結局どこかに逃げちゃいました」
最終的に1/3程度しかお金は戻ってこなかったという。人が良すぎるように思うが、警察に行くと調書を書くなど時間も取られるし、精神的に何度もそのことを思い出さなければならず、記憶が強くなってしまう、と寺脇さんは語る。
「すごく落ち込んでいたのは3カ月くらい。でも、警察に行っていたら、立ち直るまでの時間はもっと長くかかったと思うので、そういう意味では次のことにすぐ目を向けられたのは良かったかな」
2度目の起業、30歳を過ぎて未経験の分野にキャリアチェンジ
その後、現在のケータリング事業を始めることになる寺脇さん。一見ものすごいキャリアチェンジのように見えるが、そうではない。
アパレル業界では新しい店ができると、ほぼ必ずレセプションパーティーがある。海外の自由度が高い&素敵なレセプションにも出席したことがある寺脇さんは、国内のパーティーは出てくる料理のレベルも自由度も低いと感じていた。
アパレル業界にはコネクションもあるため、レセプションなどのパーティーであれば自分でもできるかもしれないと思った寺脇さんは、さっそく事業を始めることにした。
「誰かを雇ってマネジメントしているだけだと、その人がいないと事業が成立しません。だから自分が技術者になって、ゼロからモノを生み出すようなことをやってみたいと思ったんです。それまではブランドを買い付け、マーケットの一部を動かすことで利益を得る形でしたが、食材を加工して付加価値をつけて売るということをやってみたかったんです」
一般的な家庭料理はできるものの、料理人としての修行は何もせず、いきなり起業したというから驚きだ。開業資金も親に頼るなどせず、政府系金融機関から借り入れた。
アパレルと飲食は業界こそ違うが、アパレル事業をやっていた頃はブランドやその世界観や、本物のデザインを生み出す人たちの商品を扱っていたため、ケータリングで世界観を作るのも同じことだと考えているという。
「企業のブランドをどうやって高めるか、来たお客さんにどうやって非日常感や世界観を味わってもらうか。そのためには、どういう動線で、何にコストをかけてどうするかを徹底的に考えます。その仕組みはファッションも食も一緒なんですよ」
ケータリングの仕事は30歳を過ぎてから始めた。33歳頃には、もともと知り合いだったシェフとコラボレーションした料理教室を開催。中華やイタリアン、フレンチのシェフや寿司職人、20人くらいと一緒に、材料集めやメニューを決めるところから一緒に立ち会った。
「世の中でこれくらいのお金をもらって感謝されるシェフの仕事のクオリティがどれくらいか、そのシェフは弟子に対してどう接しているか、弟子は何を求めてその人の下についているのか。トップシェフの仕事を間近で見ることで、目指すべきところが分かりました。あとはいろんな国に行って料理の本を買ってきて、ひたすら独学で技術を身に着けていきました」
本から学ぶのは幼い頃からの読書習慣が役立っている。とはいえ、30歳を超えて未経験の分野にチャレンジするのは、かなり勇気がいることだ。
「当時を振り返って思うのは、それ以外にやれることがなかったということ。アパレル事業が順調な状態で、飲食に完全に切り替えてゼロからやれと言われたら、たぶんできませんでした。当時は背水の陣というか、このビジネスに集中するしかありませんでしたから」
開業当初は全部1人でやっていたが、時間の見積もりが甘くて寝られないこともたびたびあった。ケータリングは「毎回引っ越しをしているみたいな感じ」と寺脇さんが語るとおり、準備が非常に大変だ。ここ数年は、例えば100人分14品作る際、ようやく見積もった時間内で作れるようになったという。
人脈づくりはせず、クオリティ向上に時間を割く
寺脇さんのケータリングの客はリピーターが多い。アパレル以外にも外資系企業のケータリング案件も多く、ほとんどが紹介で受けたものだ。
外資系企業は新たな取引先の口座を開くのが煩雑なため、担当者はなるべく毎回同じところに発注したいという要望がある。
一般的なケータリング会社は、予算を鑑みて選べるものを提示することで効率化を図っているが、寺脇さんは商品を提案するところからやるのに加え、テーブルコーディネートも提案できるという強みがある。
全部まとめて1社に発注でき、担当者の負担も軽減、テーブルコーディネートとセットで提供するため見栄えも良く、それがクチコミで広がっているため、特に営業はしていないという。
紹介やリピーターが多いと伺って、人脈づくりに何か工夫があるのではと思ったが、「私、すごく人見知りなので、名刺交換をした後に会話が続かないんです(笑)」と寺脇さんには、人脈に対する独自の考え方があり、人脈づくりを目的とした食事会などには一切参加していない。
「自分と相手の実力があまりにも違う場合、こちらにメリットはあるけれど、相手に得はないですよね。そこに食らいついていくのは恥ずかしいなと思って、あまり好きじゃないんです。
それよりも、その会で使う時間を自分の技術向上のために使って、『ちょっとこの人、面白いな』って思ってもらえるようになったほうが、結局は相手との距離を縮める近道なのかなと思います」
リピートしてもらうために意識しているのは、「至らなかった点」を聞くこと。
開業当初は、自分の中での至らない点がありすぎて聞けなかったが、最近は金額に対してのパフォーマンスについて、事故が起きない限り100%を必ず超えられるようになってきたため、ヒアリングする余裕が出てきたという。
寺脇さんが語るケータリング事業の良い点は、普通の飲食とは異なり、仕入れから調理、配達、客が食べている現場に常にいられる、つまり上流から下流の工程を全て担えること。
客の感想だけでなく、発注者側の感想もリアルに聞けて、それをすぐ取り込むことができる点、1つの案件の受注から納期までの期間が非常に短い点もメリットだ。
1週間に10件以上、忙しいときは月50件もの案件を手がけるため、PDCAを短期間で高速に回せるので、要望や改善点を取り入れやすいのだという。
「1日に3案件はよくあること。ベトナム料理のケータリング、桜餅200個、イタリアンやフレンチの料理を提供するなど、全然違うものを作ることも多いので、こなすコツは『早く動くこと』(笑)。うちの価格帯の飲食業界の人の中では、仕込みのスピードなど3倍くらい速いと思いますよ。だから自分の単価の高さを保ちつつ、事業として成り立つんです」
毎回ヘトヘトになるが、もともと好きなことだし、充実感はあるので苦にはならない、と寺脇さんは笑う。
財団法人の活動を通じて見えた、自分の「相対優位」
寺脇さんは自分の会社とは別に、9年前に「一般財団法人International Women’s Club JAPAN(IWCJ)」を設立し、副理事を務めている。ここでは、月1回いろいろな国の大使館と組んで、子ども向けに国際教育のイベントを実施している。
設立の背景には、中高生の海外留学率の減少に対する危機感がある。財団の代表理事はもともと留学雑誌の編集者で、当初はNPOとしてスタート。中高生よりもっと小さい頃に、さまざまな国の文化に触れたほうが、将来的に留学など日本の外に出て、いろいろなものを学びに行きたいという動機づけになるのではと考え、子ども向けのイベントにシフトしたという。
イベントの内容は、座学だけでは子どもが飽きてしまうため、その国のご飯があったほうが良いということになった。当時はケータリング事業をやり始めたばかりだった寺脇さんだが、「やったことはないけど、やりたい」と申し出て、そのイベントで提供する料理を担当することになった。現在、のべ70カ国以上の大使館とイベントを開催している。
なぜ世界各国の料理が作れるのかというと、アパレル事業で買い付けに行く際、もともと食に興味があったので、日本でいう築地のようなところに毎回行っていたからだ。
食材やスパイスを買い、その国の有名なシェフの本を買って帰り、実際に作ってみることが好きだったのだという。主要な国々の食事をリアルに食べた舌の記憶があるため、本があれば再現は可能だった。
もともとボランディアで始めた財団の活動だったが、途中から「いろいろな国の食事を作れること」が自分の特色になるのではと考え始めた寺脇さん。
「自分の『相対優位』がどこにあるのか、他の人と違う特色をいかに持つか、すごく考えました。ケータリングを紹介メインでやっているのも、1人で動いているから、営業や宣伝をしなくてもお客さんが来る方法を考えようと思ったから。『自分しかやっていないこと』と、同業他社のやり方を見て、それと違うコストパフォーマンスを追求したり、飲食業だけではないコンテンツを入れたりして、差別化を図ってきた形です」
財団の活動は、寺脇さんにとって「自分が子どもの頃にこういうものがあったら良かったな」と思えるもの。自分の仕事の2割くらいを、自分が働いている業界の次世代の人たちに貢献できるような仕組みづくりに使いたいと考えているのだという。
「仕事をすることは、自分の成長だけでなく、自分のいる業界や周囲の人たちに貢献する仕組みを作ることも考えたほうがいいと思うんです。自分が成長してから貢献するのではなく、ヒヨッコの頃からやっていると、いずれ楽しくなるんだろうなって最近実感しています」
実際、IWCJでの活動も利益を考えずに始めたが、結果として「70カ国以上の大使館へのケータリング実績がある」という寺脇さんの「相対優位」にもなっている。
そして今後は、飲食業界の働き方について、新しい仕組みを作りたいと考えている寺脇さん。
「飲食業って本当に長時間労働で、低賃金。それでも利益がほとんど出ない店が多いんです。今、飲食業界で働く人がどんどん減ってきていて、人材難で店が潰れるケースも出てきました。それを変える仕組みが欲しいと考えています」
飲食業は「生産」と「消費」が分断されている業態だ。生産されたものが東京に届き、店で仕込んだものが出されるが、寺脇さんは「ゼロから仕込む必要はない」と考えている。
生産地である程度加工し、それを東京や大阪に送って組み立てることで、人件費も圧縮できる。料理人の高等技術は最終工程で使ったほうが上手くいくのではないかという仮説だ。
現在、地方の農家、加工工場と組み、その仕組みを実践する場を作っているところだという。
さらに、加工工場でできたものは寺脇さんの会社にも送り、ケータリングで使用するという実験を行なう予定だ。
「これが上手くいけば、コスト構造も変わります。今までほど大変ではなく、かつ高い利益が出る仕組みができるはず」
と寺脇さんも期待に胸を膨らませている。
これからも寺脇さんは、業界の未来に目を向けつつ、築地や世界各国を飛び回るに違いない。そう、「3倍速」のスピードで。
文・筒井智子 写真・五十嵐鉱太郎関連記事リンク(外部サイト)
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