100年キャリア時代、自分の「武器」は何度変えたっていい――つながりを生む“ポリネーター”西村真里子の仕事論

100年キャリア時代、自分の「武器」は何度変えたっていい――つながりを生む“ポリネーター”西村真里子の仕事論

テクノロジー×デザイン×マーケティングを強みに、企業のアドバイザーやイベントプロデュースから、海外カンファレンスのレポーター、働き方のイベントを企画・登壇するなど、さまざまなシーンに活躍の場を拡げている株式会社HEART CATCHの西村真里子さん。

彼女はどのようにして今の仕事に就いたのか、自分の強みや軸を見つけるために何をしてきたのか、これまであまり語られてこなかった幼少期からの経験を含め、その秘密に迫った。

【プロフィール】

西村真里子さん

株式会社HEART CATCH代表/プロデューサー 国際基督教大学(ICU)卒。IBMでエンジニアとしてキャリアをスタートし、その後Adobeのフィールドマーケティングマネージャー、デジタルクリエイティブ会社バスキュールのプロデューサーを経て、2014年にHEART CATCHを設立。 テクノロジー×デザイン×マーケティングを強みにプロデュース業や編集、ベンチャー向けのメンターを行う。孫泰蔵氏率いるコレクティブ・インパクト・コミュニティーMistletoeメンバー。

ルーツは幼少期の「エンジニアリング・アート・言語」

さまざまな職種を経験し、日々国内外を飛び回っている西村さん。自分でも「私の職業って何だろう?」と言うくらいオンリーワンのポジションを確立している。

そんな彼女のルーツはどこにあるのか、幼少期のことを伺ってみたところ「エンジニアリングとアートと言語」という答えが返ってきた。

「父が理系だったこともあり、家に写真の暗室があったり、電鋸やハンダゴテなど工学系のものがあったりして、父から古くなった電卓を渡され、分解してから元通りにするようなことを遊びの一環としてやっていました。

アートは、 絵画が好きな母の影響が大きいですね。家にジョルジュ・ブラックのリトグラフやポスターですけどカンデンスキーやピカソ、モジリアーニなどが飾ってあり絵画を見ながら母親とストーリーを作り上げるのが大好きでした。

言語に関しては、高校からICUに通っていますが、ルーツは通っていた幼稚園がスペイン系のカトリック幼稚園だったこと。英語とスペイン語を教えてくれる幼稚園で、ゾウが出てくる絵本を見て『Elefante(エレファンテ)!』と指差すような子どもでした」

幼少期に学んだもう1つの大きなことは、祖母から学んだ「笑顔」だ。3〜4歳の頃から「何かあったときでも笑顔でいることが、人間として一番大切だ」と教えられてきた。

西村さんはいつも笑顔という印象があるが、それは祖母の影響が大きい。受験やキャリアで大変なときも、何か嫌なことがあるときも、必ず祖母の言葉を思い出し、笑顔でいるようにしてきたという。

いつも笑顔を忘れない西村さんだが、高校時代はさまざまな挫折があった。

ICU高校は生徒200人のうち、2/3が帰国子女という学校だ。幼少期から英語が得意だった西村さんの自信は入学早々に打ち砕かれた。

「同学年なのに、これだけの差があるのって何なんだろう? とショックでした。英語もそうですが、多様な文化に触れてきた同級生たちと比べ、自分の視野の狭さを感じていましたね。だからこそ、自分の強みは何か? をすごく考えるようになりました」

自分の強みを見つけるため、大学では劇団で舞台照明をやることにした西村さん。一見地味に感じるが、「照明を操れる人は世の中にあまりいない。だとしたら、これが自分の強みになるかもしれない!」と考えたのだという。

舞台照明を選んだ背景には2つ理由がある。1つは父親の仕事の影響で、自宅PCで配線図を書いて遊びんでいたこと。会場で使う照明のワット数などシミュレーションもできる環境があったことと、敢えてニッチ路線に行くことで、オンリーワンを目指そうと考えた。

もう1つは母親の影響だ。絵を描くのが楽しくても、ある程度限られた空間にしか描けない。舞台という大きな空間に色を塗れるのは照明にしかできないというのも、舞台照明を選んだ大きな理由であった。

飲みニケーションというセレンディピティ

当初は家にあったPCで配線図を書いていたが、1990年代中盤に、マクロメディアからFlashを使ってデスクトップ上でステージのシミュレーションができるソフトウェアが発売された。今までは実際に配線図を書いて、リアルなステージで色を塗っていたのが、そのソフトによってPCでの中でステージの演出をするなど遊ぶことができるようになったのだ。

そうしているうちに、「いま使っているMacはどのような構造になっているんだろう?」「インターネットって何だろう?」と仕組みそのものに興味が沸いた西村さんは、新卒で文系でもエンジニアになれる研修制度のあったIBMに入社。

7年の在籍期間中、5年間はエンジニアとして勤務し、ニューヨークの研究所チームと組んで検索データベースの情報分類ロジックで特許を取得。自分の作ったプロダクトを国内外のチームにプレゼンテーションする機会があり、西村さんは「自分の作った仕組みを人に拡げるほうが楽しい」と感じるようになる。

「これはエンジニアではなく、マーケターのスキルではないかと思いましたが、IBMの中で社内異動のチャンスは当時少なかったんです。どうしようか考えて、それまで接点のなかったマーケティング部長の参加する飲み会に勝手に行って、『何か面白いやつがいるぞ』と印象づけて異動させてもらいました。飲みニケーションからの異動で(笑)、2年間マーケティングを担当しました」

晴れてマーケターになった西村さんだが、IBMのような大企業で担当できるのはほんの一部分。それをもどかしく思っていたものの、部長や専務クラスになってからやるのでは、時間がかかりすぎる。そう考えたときに、もう少しコンパクトな会社で、マーケターとしての幅を広げたいと思い始めたのだという。

そんなとき、たまたま新橋の立ち飲み屋で隣同士になった人が、マクロメディアの日本のマーケティング部長だった。ちょうど彼女が メンバーを探しているタイミングで、大学時代からマクロメディア製品に触れており、転職を考えている話をしたところ、「じゃあ来る?」と言われたという。

「出会った翌週には、サンフランシスコの本社と電話会議で面接させていただく機会もいただき、面接を重ねて転職することになりました。

IBMを辞める際、『なぜこんないい会社にいるのに、リスクを取って小さな会社に行くのか?』と引き止められましたが、一度小さいところでチャレンジしたいと思ったら聞く耳持たず、新たな道にむけて突き進んでいました」

異動も転職も飲みニケーションのおかげが多いんです」と西村さんは笑う。

そして、マクロメディアの「STUDIO 8」というプロダクトのマネージャーとして入社。その後Adobeに買収されてからも含め、5年間在籍した。

順調にマーケターとしてのキャリアを積んでいた西村さんに、大きな転機が訪れたのは2010年4月のことだった。

それまで、FlashはPC上での普及率が99%という当たり前のものだったが、スティーブ・ジョブズが「新しいiPhoneには、もうFlashのような古いテクノロジーは乗せない」と発表した。

つまり、西村さんが愛着を持って担当していたFlashというコミュニティが、今後iPhoneの世界に行けなくなるという断絶が起きたのだ。

「世の中の流れが変わると感じながら、今までのつながりがあるから、給料がいいからといっても、一度チャプターが切れた気がしたんです。その状態のまま、Adobe社員で居続けるのはちょっと違うなと感じました。

それまで親しくさせていただいたFlashクリエイターの皆様にも、これからはモバイルの世界がくる、新しいことが起きるんだと伝えていかなければならないという勝手な使命感もありました」

業界内では「Adobeの西村さん」と認識されており、Adobeを辞めた後のキャリアについて不安だったという西村さん。しかし、Adobeの看板がなくなっても生きていける人間でないと本物ではない、と思い、半年以上悩み抜いた末に退職を決意した。

ちょうどその頃は、投資家のスタートアップ投資が日本でも加熱し始めた時期でもある。スタートアップ市場がホットなときに、一度自分の身を置いてみたいと思った西村さんは、GROUPONに出資している投資家に誘われ、入社することになった。

炎上マーケティングを経験し、自分のやりたい仕事に気づく

GROUPONに転職したのは34〜35歳のとき。当時、フラッシュマーケティングやソーシャルメディアマーケティングが加熱し始めてきた時期で、GROUPONもWBSに取り上げられたりしたという。

シニアマーケティングマネージャーとして、コミュニティマーケティングとソーシャルメディアマーケティングを見ていた西村さんは、その後の「おせち事件」で炎上した際には眠る間も無くリカバリーに必死だったという。

日本にスタートアップを持ってくる際、投資家がどのようにブランドを確立するのかを間近で見ることができ、スタートアップの熱は感じることができた。しかし、急速に伸びたために、本来大切にすべき「Quality Assurance(品質保証)」が担保できなくなっていったという。

「それまでIBMではエンジニアとして自分でものを作り、Adobeではクリエイターと一緒に仕事をする中で、いかに丁寧にもの作りをするかを大事にしてきたのに、その当時のGROUPONでは今までのキャリアで培ってきた美学を貫くことが難しかったのです。もちろん丁寧に粘り強く進めていけば進めていけたかもしれないのですが、当時の会社の方針である勢い&成長を第一とするのは自分の進むべきじゃないと体験することにより学ぶことが出来ました。賢い選択する方はそもそもそういう道を選ばないのかもしれませんが、私は実際に体験して自分の感情が動くことにより気づくコトが多いのでGROUPONでの体験は自分のキャリアを考える上での大事なキーポイントになりました」

半年ほどGROUPONで働いた後、Adobe時代から付き合いのあったバスキュールの取締役から「バスキュールが新しいチャレンジをするので来ないか?」と誘われ、ここでもセレンディピティを生かして転職を果たした。

「セレンディピティだけで生きているみたいな感じですよね(笑)。ただ、『時代の波』はちゃんと読もうと思ってアンテナを張ってはいます」

バスキュールはWebやスマホの技術を使ったクリエイティブで、企業の広告キャンペーンなどを制作する会社だ。西村さんはプロデューサーとして入社。社長の朴正義氏のダイナミックなビジョンの元、Webやスマホでのインタラクティブな体験や、テレビとソーシャルメディアをつなげるテレビ番組やwebプロジェクトに従事した。

女優 壇蜜の身体にプロジェクションマッピングし視聴者参加型にしたテレビ番組「Bloody Tube」は、世界最大級のクリエイティブフェスカンヌライオンズ2014」で金賞を受賞。その後もTVをインタラクティブにするプロジェクトを担当し、その流れからHEART CATCH独立後の活動にもつながる日本テレビ『SENSORS』にもつながっていく。

他人の看板ではなく、自分自身で勝負する

バスキュールでの仕事は本当に楽しかった、と西村さんは当時を振り返る。それでも独立を選んだのは自分で一からブランドを作ってみたいと思ったからだという。

「自分の人生を振り返ったときに、IBMやAdobe、バスキュールなど社長や全世界の多くの仲間が培ってきたブランドを借りて講演したり、派手なことをやったりしているけど、それって結局は生身の「西村真里子」で勝負してないなぁってあるとき思いまして。これから先も仕事を続けていく上では、自分で一からブランドを作って市場認知を獲得できることこそ働きがいある挑戦だな、と思い会社を作ることを決めました」

西村さんはIBM時代、上司とのキャリア面談で自分がロールモデルにしている先輩を1人挙げるよう言われた際、尊敬する人はいても「この人みたいになりたい」という人は全く挙げられなかった経験がある。それを素直に上司に伝えたところ「モデルケースがいないなら、自分で作るしかないよ」と言われて、腹落ちしたのだという。目指す人が居ないなら、自分でそのアイコンを作っていこうと。

悩んだ末にバスキュールを退職し、2014年にHEART CATCHを設立。現在は企業のコンサルティング・プロジェクトベースのプロデュース・執筆業など複数ポートフォリオを掲げて「ニッチでオンリーワン」な事業を展開している。

「新しい分野にチャレンジしたいけど、いきなり大手企業に依頼するのはお金もかかるし、どこかと協業するにしてもいきなりではリスクが高い。企業が本格的に勝負する前の助走期間フェーズで、最適なプロトコルを作るお手伝いをすることが多いです。

あとはライターとして物書きをしたり、イベントプロデューサーとして参加する案件があったり。シリアルアントレプレナーの孫泰蔵さん率いるコレクティブ・インパクト・コミュニティーMistletoeでは、21世紀型の働き方やエコシステムをデザインするお手伝いもしています」

新しいプロトコルやシナジー、エコシステムを作るデザインをしているが、いわゆる一般的なデザイナーとはイメージが異なる。

普段は収まりがいいので「プロデューサー」と名乗っているものの、「私の職業って何だろう?」と西村さんは笑う。

そこで最近編み出したのが「ポリネーター」という呼び方だ。ポリネーターは、ハチや受粉する人を指す。この言葉はイギリスの「Eden Project」からヒントを得た。「Eden Project」では、植物園の中にいる解説員が、通常の解説をするのではなく、サルなどの動物になりきって解説を正しく伝えている。

ある種演じながら、しっかり情報を伝えるのがポリネーターという職。西村さんはそれがしっくりきたのだという。

「人と人をつなげた結果、実は仕事になっていたと後日聞くことがよくあります。それがもっと可視化されたほうがいいかなと思っているんです。カタリスト(触媒)も似ているかもしれませんが、私は触媒よりもうちょっと積極的に動いている気がするので(笑)、『ポリネーター』と呼ぶことにしました。

それまで違う分野にいた人たちが出会うことで化学反応が起こせる。それを可視化し、つながりを生み出す人たちを積極的に前に出していくのは、本当に大事だと思うんですよ」

西村さんが自分の強みに気づいたのは、Adobe時代にさかのぼる。

あるクリエイターの会社で新製品の説明をしているとき、キラキラしながらクリエイターが自分の話を聞いている目が今でも忘れられないのだという。

「その目を思い出すたびに、職は変われども、クリエイターや新しいことに挑戦する人たちに、何か新しくて価値のあるものを、ちゃんと伝えていきたいなと思ったんです。丁寧に新しいことを起して、それを伝えていくことがミッションなのかなと思っています。

強みというより自分が勝手に思っているミッションですね。でも、私はそれをすごく大切にしています」

最初は思い込みかもしれないけれど、それが仮説として行けると思うなら走り出す。それが西村さんのやり方だ。

2015年12月には、「技術を持っているスタートアップには、デザインとマーケティングが必要だ」という仮説のもと、双方をつなぐイベント「HEART CATCH 2015」を開催し成功を収めた。今は次の大きな仮説を何にしようか、探している最中だ。

「どうせやるなら、誰もまだ気づいていないけど『確かにそういうのが必要だよね』というようなことを伝えたい。だとしたら、いま何が足りないんだろう? と常に考えています。

上手くいくかどうか分からないし、どこまで続けられるか分からないけど、いい意味で自分の生き方そのものが実験というか、キャリア的にも面白いなと思うんですよね」

西村さん自らはオンリーワンになれそうなところを狙いつつ、周りの人たちに言われることで気づかされることも多いという。

「自己分析は難しいから、周りの人に聞いていいなと思ったものをピックアップするのがいいと思います。強みって変わってもいいじゃないですか。2018年3月時点の強みが、2年後に変わってもいい。今はコレだと思うものを、強みだと思って生きていけばいいんじゃないかなと思います」

周りの意見を受け入れられるのは、西村さんのしなやかさがあってこそ。

今日も西村さんは世界のどこかで、飛び切りの笑顔で駆け回っているに違いない。

文・筒井智子 写真・壽福憲太 撮影協力・エイベックス

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