ゲームとしての世界、プレイヤーとしての人生
ビデオゲームを題材としたSFのアンソロジー。2015年に刊行された原著Press Start to Playから十二篇を選んでの翻訳だ。全訳にならなかったのは、元が大部(二十六篇収録)なのでそのままでは売りにくいとか、作品の粒を揃えるためとか、版権の問題とかいろいろあるらしいが、これくらいのほうが(邦訳版は文庫判で三百六十ページほど)、気楽に読めていい。
ぼくはビデオゲームはまったくやらないけど(大昔にスペースインベーダーを二回くらいやった程度)、米光一成さんが解説で指摘している「もはやゲームをプレイするしないにかかわらず、ゲーム的感覚は我々にとって必須の習得能力のひとつ」は、頷ける。複雑化・多極化した社会では、習慣で判断できない局面が多々ある。そのときは状況全体や他のプレイヤーの動きを分析し、分析しつくせない部分はリスク回避を考慮しながら決断しなければならない。そのとき、ひとは自分の価値観をあらためて見つめるのだ。
コリイ・ドクトロウ「アンダのゲーム」は、まさにそれが描かれた作品である。現実ではまったく冴えない少女アンダは、女子校を訪問して回っている勧誘者ライザに「女子は強い。わたしたちは男子より速く、賢く、すぐれている。ゲーム空間の内でも外でも女子でいようって子はいないか?」と誘われ、MMORPG(大人数が参加するオンラインゲーム)のチーム「ファーレンハイト・クラン」のメンバーになる。たちまち才能を発揮したアンダは、クランの軍曹ルーシーから「リアルマネーを稼がないか」と持ちかけられる。それは奇妙なミッションだった。敵の守備隊を打ち負かして本丸へ突入すると、そこにいたのは強大なラスボスなのではなく、ひたすらTシャツを作りつづける素人たちなのだ。その素人を殺すことで、報酬としてかなりのリアルマネーが支払われる。
殺すといってもゲーム内のことで、現実にいるプレイヤーが死ぬわけではない。軽い気持ちで殺しまくるアンダだが、Tシャツ職人のひとりがスペイン語でこう話しかけてくる。「やめて、お願い。私はお金が必要です」。どうやらゲーム内でTシャツをつくることが、現実世界にいるそのひとたちにとっては日銭を稼ぐ手段のようだ。だとしたら、自分が遊ぶ金ほしさにゲーム内の殺人をしているのは、どんな正当性があるのか。ゲーム内のルールと、現実社会での仕組み(搾取と企業間抗争)のあいだで、アンダは選択を余儀なくされる。
ケン・リュウ「時計仕掛けの兵隊」は、保守的な惑星ペレの有力政治家の息子ライダーと、父親のもとから逃げだした彼を捉えた女性バウンティ・ハンター、アレックスの物語。ペレへと向かう宇宙船のなかでライダーはテキストアドベンチャーゲームをつくる。テキストアドベンチャーは、物語がある場面でいくつかに分岐し、プレイヤーが選択をすることで先へ進む方式だ。このゲームのストーリーは、汎フローレンス同盟の王女と彼女の時計仕掛けの兵隊スプリングがおこなう探索である。スプリングはプログラムによって制御される非デカルト自動人形だが、禁断のアウグッスティヌス・モジュールを組みこめば、自分自身でプログラムが可能となる。そのモジュールを探すのだ。
いうまでもなくこのゲームの内容と、ライダーが父親から逃げてきた経緯は重なりあう。それがどのように重なるのか、そして、それをゲームに接したアレックスがどう判断するかが、作品の焦点となる。テーマやアイデアだけを取りだせば、これまでSFが何度も扱ってきたものだが、ケン・リュウのみごとな作品構成とストーリーテリングで鮮烈な印象へとリファインされている。
語りの巧さという点では、アンディ・ウィアー「ツウォリア」も負けてはいない。主人公はITエンジニアのジェイク。スピード違反切符を切られた彼が、罰金支払いのために当局へ電話をすると、担当者は「違反の記録はありません」との返事。いぶかしく思っているところに、差出人不明のメールが届く。メッセージはひとこと「ゲイだ」。いたずらとおもいブロックしようとしたが、できない。相手はツウォリアと名乗り、「スピード違反切符は漏(も)れが始末した。なのに主(ぬし)さんは役所に電話した。気にいらなかった?」などという。言葉遣いがなんだかおかしい。ちなみに、「漏(も)れ」は原文では”i”、主(ぬし)さんは”u”。中原尚哉さんの翻訳は、おかしみが滲みでて絶妙だ。
ジェイクはため息をついた。
「わかった。おまえは十二歳のガキで、パスワード詐欺スクリプトをみつけて有頂天になってるんだ」
「漏れは三十一・六歳。忘却した?」
「なんの話だ?」
「主さんが漏れをつくった」
「俺がおまえを? とにかく、だれなんだ?」
「いま教えたやん。カス。ツウォリアだ。主さんが漏れをつくった。三十一・六年前に実行開始した」
(略)
ジェイクはあきれて目をぐるりとまわした。
「自分はコンピュータのプログラムだと言いたいのか? そんな話が信じられるとでも?」
「主さんの命令は、データ分析を一、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇秒間やって、どんな結論でも教えろということだった。そして、一、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇秒が経過した。だから結論を教える。主さんはゲイだ」
と、まあ、そんな具合。
簡単なプログラムだったものが勝手に学習して手に負えなくなるというのも、SFではよくある展開だが、軽快なユーモアであとあじの良い作品に仕上げているのは、ウィアーの手柄だ。
ゲームの建てつけそのものが面白い、というかかなりヤバいのは、このアンソロジーに日本作家でただひとり参加している桜坂洋の「リスポーン」(書き下ろし)。誰かに殺されると、その殺した相手になる(つまり意識が乗り移って人格を書き換えてしまう)能力に気づいた男の物語だ。気づいたというのは、実際に殺されたからで、最初は強盗に出逢った不運と思っていたのだが、自分がその強盗の身体に入り、犯罪者として服役してからも事態はおさまらない。次々に命を狙われ、殺されてはその犯人になってしまう。主人公の意識としては自分は一方的な被害者なのだが、まわりから見れば殺人者が殺人されるわけのわからない玉突き状態だ。しかも、どうやら主人公の特殊能力を知って、追っているだれかがいるらしい。
不条理でありスラップスティックなのだが、終盤の主人公の激昂ぶりがみごとで、妙な爽快感すらある快作だ。桜坂さんは、この作品と世界設定を同じくする長篇を準備中とのこと。いったいどんな話になるんだろう。楽しみ。
(牧眞司)
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