輝かしい未来を取り戻すために、ぼくができること
二十一世紀になっても世界はダメなままだ。というか、どんどんダメになっていないか。核兵器は廃絶されていないし、地球温暖化にも歯止めがかかっていないし、アタマの悪い排外主義者や民主主義を踏みにじる政治家がのさばっていて、さまざまな差別が蔓延っている。どうしてこんなことになってしまったのだろう? 二十世紀にひとびとが夢見た未来はどこへ行ってしまった?
「すべてぼくの責任だ」と、この物語の語り手トム・バレンはいう。じつは輝かしい二十一世紀は実現しており、トムはそこで生まれて、繁栄と自由を享受しながら成長した。ユートピアのような未来を成立させたのは、1965年7月11日から稼働を開始したエネルギー発生装置ゲートレイダー・エンジンだ。全世界のエネルギー需要が手軽にまかなえるようになったことで、社会が安定し、ひとびとは労働から解放された。2016年の段階で、仕事といえば創造的な領域—-つまり芸術や発明、新しいことへの挑戦がもっぱらだ。
トムの父親は天才科学者で、時間旅行の研究をしていた。ところが息子のトムは凡才で、どんな仕事も長続きしない。けっきょく、父のコネで時間航行士のチームに加わるのだが、あくまで正式な航行士にトラブルが生じたときのサブ要員だ。時間旅行には繊細な調整が必要で、航行士が交替する場合は遺伝子配列が適合しなければならない。トムは正式な航行士のペネロピーとたまたま遺伝子適合性が高かったのだ。
はじめての時間旅行実験の直前、ペネロピーの妊娠が発覚する。しかも、トムがその相手だ(不注意で避妊を怠ったせいだ)。妊婦を送りだすことはできないので、トムが急遽、代役として実験を引き受けることになる。関係者はみな複雑な思いだ。しかし、厳密に計算して決定した計画を変更することはできない。行き先はゲートレイダー・エンジン起動の数分前だ。
トムは目にもカメラにも見えなくなっているが、ゲートレイダー・エンジンから発した光との作用で不可視フィールドが無化されてしまう。トムの姿を見て驚愕したライオネル・ゲートレイダー(マシンの発明家)が、操作を誤ってしまい、マシンがメルトダウンをおこす。この事故で時間線が大きく変わる。
時間旅行装置には非常用機能があり、過去に異常があったとき航行士を自動的に未来へと引き戻す。しかし、過去が変わってしまえば未来も変わる。トムが戻ったのは、見知らぬ2016年の病院だ。まわりの者は、あなたはジョン・バレンという名の建築家であり、建築現場で倒れたのだという。
SFはタイムパラドックスを避けるために、さまざまなロジックを考案してきた。たとえば時間は分岐しており、時間旅行者は平行する世界線に移ったのだというような説明だ。『時空のゆりかご』では「時間抵抗」という新しいロジックが用いられる。
ぼくはいわゆる時間のいかりなのだ。ぼくが存在しているという事実が年表をゆがめたのだ。ぼく抜きだったら出来事の軌道がどうなっていたかはどうあれ、その後の出来事はぼくをここに生じさせるように並んだ。ぼくが向こうにいたあいだについても同じだ。専門用語—-失礼、ぼくが無意識に証明した架空の用語—-でいう時間抵抗だ。(太字部分は原文では傍点)
つまり、剛性的な因果でいえば、未来のトムが遡って過去を変えれば未来も変わるので、過去を変えに行く未来のトムも存在しなくなるのだが、『時空のゆりかご』の時間旅行のメカニズムでは、未来のトムを存在させるように、過去から未来までの因果が無理やりでも帳尻をあわせるのだ。
トムが(いまはジョンだが)、「すべてぼくの責任だ」というのも、ただ過去を変えたからだけではなく、彼が2016年に存在するように歴史がゆがめられてしまったからだ。
たんに時間SFのロジックとしてみれば風変わりな発想というくらいだが、物語として重要なのはトムがいっそう切実に「世界の重み」を背負う点である。アイデア・ストーリーのバランスで考えると、トムが過去を変えるまでの経緯(天才科学者のうだつのあがらない息子としての生活だとか、ペネロピーとの情事に至る機微とか)が長すぎるのだが、トム自身の人生についての物語と捉えれば、この部分に意味がある。
変わってしまった世界線の未来は、世界こそ泥濘のようなありさま(つまりいまわれわれが生きているこの世界だ)だが、トム(ジョン)自身は建築家として成功していて、変わる前の人生よりも輝いている。その成功にもからくりがあって、ジョンはトムが暮らしていたユートピア的2016年の建築物をパクっていたのだ。
なんらかの方法で過去を修復すべきか、それともこのままジョンとして生きていくか? 過去を修復すれば2016年は元どおりの輝かしい世界になるが、こちら側の2016年に生きているひとびとは消えてしまう(あるいは同じ人間でも運命は変わってしまう)。その逡巡に輪をかけたのは、こちらの世界のペネロピーとの出逢いだ。彼女はペニーと呼ばれる書店経営者で、トムは彼女に惹かれ、彼女もトムに好意を寄せる。
物語が大きく動くのは、ゲートレイダー・エンジンの発明者であるライオネル・ゲートレイダーがまだ存命だとわかってからだ。エンジンの事故によって表舞台から退いた発明家は、ひそかに時間旅行の研究をしており、彼は彼なりの理由によって(それにも愛情関係が深く関わっている)過去を変えたがっていた。
トムとライオネルの利害関係はかならずしも一致せず、局面はつぎつぎに変わるのだが、そのあいだもトムは世界と人生の選択を悩みつづける。
面白いのは、トムにとってそれまでの記憶がなんだか遠いもののによう感じられるようになり、目の前にいるペニーの存在こそが唯一の現実に思えたりするところだ。たんに時間旅行のアイデアをパズル的に扱うばかりではなく、自分が生きる世界の現実感をしっかり織りこんでいる。
愛情関係が重要な焦点になることも含め、新海誠監督の大ヒットアニメ『君の名は。』にちょっと似た感じを受けた。ただし、わかりやすいカタルシスに逢着する『君の名は。』に対し、『時空のゆりかご』のトムは簡単にユートピアを取り戻せない。
(牧眞司)
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