ジョン・レノン愛用のロールス・ロイス・ファントムVが7月末に英国で展示、その歴史をプレイバック

労働階級の街リバプールで生まれ育ち、初の公認の伝記で、「エキセントリックな大金持ちにずっとなりたかった」と語っていたザ・ビートルズの故ジョン・レノンにとって、長年愛用していた特注のロールス・ロイス・ファントムVはその象徴だったのかもしれない。
1964年にこの高級車を注文した時、レノンは既に世界的なスーパースターだった。彼は運転免許を持っていなかったが、ファントムは運転手が運転する仕様だったので問題はなかった。この頃のボディーカラーは伝統的なリムジンのような漆黒で、巨大な後部座席にはレコードと8トラック・プレーヤー、無線電話、冷蔵庫を完備。1965年にザ・ビートルズがMBE(大英勲章第5位)を受け取りにバッキンガム宮殿を訪れた際に乗って行ったのもこの車だった。
1966年に戦争コメディー映画『ジョン・レノンの僕の戦争』の撮影中に少しダメージを受けたファントムを修理に出したレノンは、今度は車内にテレビをつけたり、後部座席がベッドにもなるよう改造させた。
そして外見にも大幅に手を加えたカスタマイズの全貌が明らかになったのは翌年の1967年、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が発売される少し前だった。黄色のベースに、ロマニー・ジプシーのキャラバンや占星術の十二宮図にインスパイアされたカラフルな花と模様がデザインされたその姿は、過激で画期的なアルバムだった『サージェント・ペパーズ~』のサイケデリックなジャケットと合わせたかのようで、現在も見ることができる。
1969年にレノンは再びこの車に乗ってバッキンガム宮殿を訪れたが、以前授与されたMBEをエリザベス女王に返却するためで、英国のナイジェリア内戦への軍事介入や、ベトナム戦争のアメリカへの支援に抗議してのことだった。
『サージェント・ペパーズ~』発売50周年の今年7月末、ロンドンでこのレノンの車が展示される。ファントムVIIIの発表を記念し、ロールス・ロイスとオークション・ハウスのボンハムズがコーディネートする自動車デザイン・エキジビジョン“The Great Eight Phantoms”が開催される予定で、1920年代から続いているファントム・シリーズの一例としてラインナップに加わることになっている。この展示会では他にも、フレッド・アステアが所有していた1927年型ファントムIも展示される。
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