震災報道のジレンマ 朝日新聞記者らが語る被災地最前線
「震災の過酷な現実をどこまで伝えるべきなのか」――。東日本大震災によって様々な被害を受けた被災者への取材を通して、それを伝える新聞記者たちも苦悩していた。2012年3月29日夜に放送されたニコニコ生放送<ニコニコ動画×朝日新聞「被災地最前線からの報告~記者たちが探し出した『真実』~」>では、震災発生後に現地に赴き、現在も被災地で取材活動を行っている朝日新聞記者5名を招き、自身の取材を通して見た被災地の現状や、それを「新聞記事」として社会へ伝えることの難しさについて、実際に報道された紙面を交えつつ議論した。
■「記者に家を貸すぐらいなら、被災者に貸す」
東日本大震災によって大きな被害を受けた被災地では、地理的な理由から新聞社の支局自体がない地域もあり、そこでの取材活動を行うにあたっては、まず「活動の拠点」を確保することが困難であったという。岩手県大槌町駐在記者の東野真和氏は
「大槌というのは(震災によって)ほとんど住む場所がないため、私に貸すぐらいであれば、他の被災者の方に貸すと(言われた)。現に、1LDK、1DKのところに7人住んでいる人(被災者)もいる」
と語り、不動産屋に問い合わせた数日後にようやく、一般の民家へ「下宿」という形で駐在する場所を確保できたという経緯を明らかにした。
また、宮城県南三陸町駐在記者の三浦英之氏は、震災による津波の被害を免れ、被災者の避難先となった観光ホテルに、たまたま単身者用の小さな宿泊部屋が残っていたため、そこに駐在の拠点を確保することができたという。ただ、南三陸町は水道の復旧が遅れた地域でもあったため、駐在開始から数ヶ月の間は、トイレなど日常の生活面でかなりの支障があったことを語った。
■「災害遺構(震災遺構)」は残すべきか?
被災地域の復興を推し進めるうえで、ほとんどの自治体が「災害遺構(震災遺構)」の取り扱いに苦慮しているという。現存する災害遺構として代表的なものが、広島市にある『原爆ドーム』などだが、それらと同じように、今回の震災で被害を受けた建物や建造物を保存し、後世に記録として残そうという動きがある。
しかし、この問題は、住民の復興に関する考え方や、被災者自身が置かれている立場(特に、震災で身内を亡くした遺族であるか否か)によって意見の隔たりが大きく、一部では、災害遺構が「観光資源化」してしまうのではないかと危惧する声もある。このことについて、朝日新聞石巻支局長の川端俊一氏は、
「その地域で暮らしていく人にとっては、そういう(津波の)無残な跡をずっと見続けていくというのはなかなか難しいと思う。ただ一方で、津波がこれだけ大変なものだということの”記憶”というのは、何らかの形で残されなければいけないので、どういう風にそこの折り合いをつけていくか、これからまさに議論していかなければいけない」
と述べ、災害(震災)遺構の今後について、建設的に議論を行っていくべきとの考えを示した。
生放送視聴者へ向けたアンケートでも、「災害遺構を残すべきか?」との問いに対して、「残すべき」が34.9%、「残すべきではない」が31.1%、「わからない」が33.9%と、意見がほぼ等しく3分の1ずつに分かれ、この問題に関する心情的な複雑さが垣間見える結果となった。
■「命」という字に込められた本当の意味
ある被災家族を継続的に取材してきた南三陸町駐在記者の三浦氏によると、取材現場で立ち会った「死」と「生」のふたつのエピソードから、「命」という文字がなぜ「人を叩く」と書いて成り立つものであるかという、その言葉の意味について、自身の体験から深く考えさせられたという。
「震災直後、(遺体が発見された)瓦礫の中や遺体安置所などで、多くの人が遺体を叩いているんです。頬を叩いたりとかですね。『起きてくれ、起きてくれ』と泣きながら遺体を叩いているのを見て、ああ、これが『命』のひとつの現場なのかなと思った。他方で、(取材した女性の)出産に立ち会ったとき、(赤ちゃんが)生まれるときに『人を叩いて』出てくるというのが、僕の中では非常に印象的だった」
と三浦氏は取材当時を振り返り、まさに「命のリレー」と呼ぶべきものが、絶望的な状況下においても連綿と続いていたことを語った。また、これらを記録し、継続的に発信していくことが、ひとつの被災地からのメッセージであるとも述べた。
■「人の不幸をメシの種に」というジレンマ
大槌町駐在記者の東野氏は、新聞記者として被災地の復興を取材する過程で「人の不幸をメシの種に取材をしている」という後ろめたさを常に感じていたと語り、新聞紙面に記事として掲載を行う以外の方法で、取材した記録を残していくことを思いついたという。東野氏は、
「生きている人の話はこれからいくらでも聞けると思ったが、亡くなった人についての話というのは、たぶん消えていくだろうと(思った)。普通の生活が一瞬にしてなくなったという『その瞬間』を、改めて保存することで、(亡くなった方の)生きた証しを残したいと思った」
と述べ、亡くなった方に関するできるだけ多くの取材記録を役場などに提供していくことで、今後の防災対策を含め、何らかの役に立つのではないかと思案し、取材記録を保存していく活動を始めたことを語った。その後、東野氏のこの取り組みを知った同僚記者の賛同をきっかけとしてその活動が広まり、最終的には百数十人の「生きた証し」の記録が集まったという。
そのような活動をしていくなかで、聞き取り調査を行った遺族の中から「それ(生きた証しの記録)をぜひ新聞に載せて欲しい」という声が上がり、許諾が得られた100名について、実際の朝日新聞紙面に掲載する運びになったという。
■瓦礫の中のギターから生まれた曲『歩きましょう』
番組の最後では、岩手県大槌町吉里吉里(きりきり)地区で、震災後にカフェバーを開業させたという兄弟の弟が作曲した『歩きましょう』という歌が、震災直後から現在までを振り返るスライド写真、映像と共に流された。この曲は、岩手県内ではCMソングとして流れていて、震災直後の瓦礫の中から掘り起こされたギターを用い、避難先でたき火を囲みながら作った歌だという。
・[ニコニコ生放送]瓦礫の中のギターから生まれた曲から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv86825969?po=newsgetnews&ref=news#2:46:00
曲と共ににスライド写真と映像が再生されると、流れて来る視聴者コメントの雰囲気が変わり、
「(被災者の)笑顔があるのがうれしい」
「くじけてもいいから。生き続けて欲しい被災された方々」
「被災した人は耐えずに思い切り泣いて欲しい」
「行方不明者は何処に居るんだろうか?早く見つかってもらいたい」
などと、通常のコメントに加えて、被災者を心から気遣うコメントも見受けられた。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]「被災者の”生きた証”を残したいと思った」から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv86825969?po=newsgetnews&ref=news#2:33:32
(内田智隆)
【関連記事】
「一つの型にはめない復興まちづくりを」 都市工学・東大教授・大西隆インタビュー
大賞は「橋下徹研究」と「オリンパス事件の追及」 雑誌ジャーナリズム賞
震災前後で激変 「パラグライダーカメラマン」が撮影した被災地いわき
「”間違いを伝えることでパニックになること”を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>
震災後の「後ろめたさ」から目を逸らしてはいけない 映画監督・森達也<インタビュー「3.11」第3回>
ウェブサイト: http://news.nicovideo.jp/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。