警察が安易に企業を家宅捜査するのはいかがなものか
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
警察が安易に企業を家宅捜査するのはいかがなものか
Googleは結局中国から撤退してしまったわけだけど、おそらく撤退以前からGoogleの中国法人には、アメリカ本社の重要な情報にはアクセスさせなかったと思うのだよね。いくらGoogleの現地法人とはいえ、中国政府の息のかかった社員が紛れている可能性は十分ある。つまりGoogleの中国法人というのは、最小限のサポートをするだけの存在だったろうことは容易に想像がつく。
2011年に韓国の警察はスマートフォンの位置情報を収集した容疑で、Googleに対して家宅捜索を行った。これもこういうことが起きると、Googleは韓国法人に、重要な情報をアクセスさせることは控えるようになるだろう。押収した資料が純粋に犯罪(かどうか知らないが)操作のために使われるかどうか、わかったもんじゃない。技術的な機密情報とかが警察→韓国企業にもれる恐れがある。
つまり中国や韓国のように、というか日本を除くアジア諸国はたいてい政府と企業が癒着しているわけで、犯罪捜査にかこつけて欧米の企業の機密情報を現地のライバル企業とかに横流しされてはたまらないだろう。まあ日本のように技術供与とか、むしろ喜んでライバル企業にホイホイ技術を渡してしまう脳天気な国や企業もあるが。
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で、日本企業は一応欧米の企業から、中国や韓国よりは信頼されているはず。GoogleやMicrosoftの日本法人は、アメリカ本社から(少なくとも中国法人よりは)信頼され、技術開発なども共同で行われている(と思われる)。日本人は情報を横流ししたりしないと信頼されているわけだ。
日本の警察がGoogleに対して家宅捜索を行ったのはSengoku38事件で『Youtube』のアクセスログの提供を求めたのが唯一ではなかろうか。
これも警察とGoogle双方、かなり神経を使った形だったと思う。Googleにしてみれば、現地(日本)の法律には従うが、安易にプライバシーに関わる情報を提供するわけにはいかない。そのため日本企業がよくやる自主的な警察への協力ではなく、あくまで裁判所の命令による強制捜査という形をとらざるをえなかった。
しかし実質的に強制捜査というのは名ばかりで、あらかじめGoogleによって用意された書類を、警察が“押収”するという段取りだったと、当時報道されたと思う。もし本当に警察がGoogle社に乗り込んで、当たり構わず関連しそうな書類を本当に押収したら、その後アメリカのGoogle本社は、Google日本法人を信用しなくなるだろう。
日本というのはつくづく微妙な国だ。明治の初期に脱亜入欧を掲げて必死に欧米諸国の仲間入りしようとしたのに、いまだどっちつかずの中途半端。
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そもそも裁判所が安易に家宅捜索の許可を出し過ぎるのではなかろうか。公園で酔っ払って裸で暴れた芸能人の自宅を家宅捜索したこともあった。まあ麻薬の可能性を疑ったんだろうが、この程度で気軽に家宅捜索されてはたまらないだろう。そのうち立ちションベンや信号無視でも家宅捜索される社会になるのではないか。
風俗店の広告を載せたからといって日刊ゲンダイに対して家宅捜索を行ったこともある。仮にも報道機関にこの程度の犯罪で家宅捜索が許されるものなのだろうか。報道機関はニュースソースを明かさないというのが鉄則であり、それゆえに取材に協力してくれる人もいるわけだ。それが警察の家宅捜索で顕になってしまうようでは、人々は警戒してもう報道機関の取材に答えなくなってしまうことだろう。
オウム真理教のサリン事件ではカッターナイフを持っていただけで信者を片っ端から逮捕した。サリン事件は国家の安全を脅かす非常事態だったからそれも許されたのだ。この事件を機に警察は変わったと思う。それまで歯がゆいぐらい腰が重かったのが、積極的になった。
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とはいえ実際問題として、裁判所に家宅捜索の妥当性の判断能力があるとは思えない。妥当でないという判断ができるのだろうか? となると結局は警察の良心にかかっているということなのだろう。しかしその“良心”が曲者なのだ。
かつて警察は最小限の活動であるべきと言われたものだ。犯罪が起きる可能性があったとしても、実際に犯罪が起きるまで何もしないことが正しいとされた。警察が先手をうち犯罪予防に走ることは逆に警察の暴走を招き危険だとされた。それがいまや完全に逆になってしまった。世論も警察は未然に犯罪を防ぐべきだと考える人が多くなっている。
強大な権限を持ち、それをチェックしたり対抗できる勢力は存在しない“警察”を積極的に活動させるのは、俺は危険だと思うのだけどね。事実、小沢裁判の東京地検特捜部の調書ねつ造や大阪地検特捜部のフロッピーの証拠ねつ造など、問題が出ている。
警察が社会を良くしようと独善に走った場合、その暴走にブレーキを掛ける仕組みがないのだから、その活動は極めて慎重に控えめであるべき。俺の考えは間違っているだろうか。社会を良くするのは、まがりなりにも国民のチェックが働く政治の役目だ。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
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