「”いのち”を犠牲にする発電はやめよう」 全日本仏教会・河野太通会長<インタビュー「3.11」第1回>

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全日本仏教会の河野太通会長

 「原子力発電によらない生き方を求めて」。昨年の12月1日、財団法人全日本仏教会が出した「異例の宣言」が注目を集めた。全日本仏教会と言えば、高野山真言宗や天台宗など伝統仏教の主要59宗派を中心に構成され、全国寺院の9割以上が加盟する日本唯一の連合体だ。その全日本仏教会が原発依存を警鐘する声明を発表したのだ。

 現代の日本人、特に若い世代にとって仏教は身近な存在とは言いがたくなってきている。一方で日本では古来、東日本大震災のような「天変地異」の際に、人々の「こころ」に向き合ってきたのが仏教であり、その教えを伝える僧侶たちだった。仏教は日本人にとって精神的な救いの一つだったはずだ。

 なぜ、いま全日本仏教会は「脱原発依存」を打ち出すことになったのか。そして、これからの日本社会に対してどのように向き合おうとしているのだろうか。「インターネットはほとんど使わない」と話す全日本仏教会の河野太通会長(81)は、臨済宗妙心寺派の管長。ネットメディアとしての取材も初めてとなった。河野会長は、飾らない笑顔と小気味のよい関西弁を交えつつ、”仏教者として今こそ言葉を発しなければいけない”という決意を強く語った。

・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:菅原聖司)

■「本当はもっと『反原発』を明確にしたかった」

――昨年12月1日、全日本仏教会は「脱原発依存」を打ち出した宣言文を発表しました。新聞などでは「異例の宣言」とも報じられましたが、反響はいかがでしたか?

 「よく出してくれた」というものがほとんどで、反対する声は一つもなかったですね。むしろ、「遅すぎる」「具体案を示せ」という指摘もあったくらいです。

――宣言文を出すに至るまでにハードルはあったのでしょうか?

 宣言文を出すこと自体は難しく感じませんでした。私は、全日本仏教会として声明を出すべきだと考えていましたので、全日本仏教会事務総長の戸松義晴(浄土宗僧侶)と相談して発表に至りました。個人的に言えば、本当はもっと「反原発」を明確にして発表したかった(笑)。しかし、政治的中立性の観点を慮った上で、私の最大限のメッセージを伝えさせていただく形となりました。

――震災直後にも被災者の方々へメッセージを発表されていますが、宣言文の執筆に至るまでの間に、より明確なメッセージを伝えたいという思いが強くなっていったのでしょうか?

 いえ、私には最初からメッセージを発したいという思いがあったんです。というのも、2010年の臓器移植法改正によって、本人の臓器提供の意思が不明の場合であっても遺族が了承すれば臓器摘出が可能になりましたね。そのとき、私はこういう「いのち」に関わる問題に全日本仏教会は発言すべきだと思いました。

 しかし、会長就任直後のことで、すぐに対応することができなかった。そのため当時の会報に「忸怩(じくじ)たる思いがする」ということを述べました。それから、全日本仏教会は「重要ないのちに関わる社会問題について発言しなければいけない」と思い続けていました。

 そして、もう一つ大変重要なことがあります。仏教の戦争責任です。かつて、仏教者は宗門の論理を歪めて、第二次世界大戦に加担してしまったという経緯があります。本来ならば、仏教の教えに照らして社会を見つめ、超然とした姿勢から「平和」と「いのち」について発言すべきでした。私には仏教者として懺悔(さんげ)の思いがあります。その悲劇を当然繰り返してはならないのです。

■「『いのち』を犠牲にする発電はやめよう」

全日本仏教会の河野太通会長

――宣言文では、9回にもわたって「いのち」という言葉が使われています。それには、どのような思いが込められているのでしょうか?

 全日本仏教会が原発を問題にしているのは、ただ物理的な被害で人々が苦しんでいるからという理由に留まらず、仏教者として「いのちを大切にしましょう」というところが原点です。仏教は、人権の平等、生命の尊厳を教えの根本理念としています。原子力発電がいかに「人間の『いのち』を粗末にすることになるか」という点から、これに反対せざるを得ませんでした。原発に対しては、それぞれの立場や理由から反対される方がいらっしゃいますが、私たちは「人間の根本である『いのち』を犠牲にする発電はやめよう」という立場です。

――これまで原発に携わってきた人々に対しては、どのような思いを持っていらっしゃいますか?

 日本は原子爆弾を2度も落とされた国ですから、原子力というエネルギーについては神経質なほど十分な安全対策をするべきでした。しかし、原子力の開発には日本の優秀な頭脳が関わってきながらも、一般には「危険である」と国民には知らされてきませんでした。

 なぜかと言えば、その職業に携わる人々のいろいろな「ご都合」があったからです。その「ご都合」とは、社会全体の福祉と調和しない利潤の追求だったのです。科学技術の発展に病んだ「こころ」が関わっていたと思います。地震や大津波は不可抗力の天災ですよね。では「原発の事故が不可抗力なのか」、そこには人間の「こころの貧しさ」があったと思います。

 だから、これまで原発に携わってきた方々には、原子力発電に頼らない社会を作るために、再生可能なエネルギーの開発の研究と「こころを豊かにすること」に力を注いでもらいたいと思っています。

■科学技術による繁栄の裏で抱える「こころの病」

福島第1原発4号機の様子(2012年2月20日)

――東日本大震災が起き、これに伴う大津波で多くの方が亡くなりました。さらに、東京電力福島第1原発で事故があり、放射能に対する不安・不満を抱いている人々もいます。そのような中で、改めて仏教が果たすべき役割は何だとお考えでしょうか?

 現代の私たちは、科学技術の発達でたくさんの恩恵を受けており、電気はその最たるものです。恩恵は恩恵として感謝しなければいけませんが、一方で被害をもたらしている。私たちは肉体的にも精神的にも、今日的な「こころの病」を抱えている。これは、科学技術による繁栄の恩恵の裏側にあるものです。

 その点を反省しながら、私たちは豊かな世界を築かなければいけません。その豊かさとは単に経済的・物質的な豊かさだけではなく、「こころの豊かさ」が重要なのです。人間が幸福であるためには、「健康」と「ある程度のお金」、そして「こころが安定」していなければいけません。しかし、この3拍子すべてが揃う人生はなかなかない。

 お金があり過ぎることによる不幸があります。あるいは、自らの肉体を満足させることを求め過ぎて間違いを犯すこともあります。しかし、「こころが豊か」であれば、たとえ病気でお金がなくても、幸福になることはできますし、現にそういう人たちがいるわけです。

 被災した方々には、物質的・経済的な支援とともに、「こころの支援」をする必要があります。「こころの支援」に一番関心を持って、お手伝いしなければいけないのは、私たち仏教者だと思います。

■「電気を消すときは、『原発反対』『反原発』と言ってから消す」

全日本仏教会の河野太通会長

――河野会長は「こころを豊かにすること」の重要性を説かれるわけですが、そのために今、仏教者として伝えなければいけない言葉や祈りはどういったものでしょうか?

 祈り。その問題は大事なことですね。一般的に、仏教は「自覚の宗教」で、キリスト教などは「祈りの宗教」だという区分があります。これは私は間違いだと思います。仏教は「自覚の宗教」であると同時に「祈りの宗教」なのです。お経を唱えたあとで回向(えこう)という祈りの言葉を必ず唱えることになっています。仏教にとっても、祈りはとても大切なんです。人間には全く不可能なことが沢山あります。祈らざるを得ません。祈ることによって安らぎを得ることができる。

 私たちは、大自然の恵み・社会の恵み・人々の恵みに対して感謝するとともに、「その恩恵の下できちんと生きているか」と懺悔をし、恩恵へのお返しを祈るわけです。それは、互いの「いのち」を大事にするということを意味します。

 私が今一番大切に思っている祈りは「一大事とは、今日、只今のことなり」です。一大事と言えば、勤めている会社が倒産することなどもありますが、やはり自分自身の「いのちを失うこと」ですよね。死ぬのは何年先になるか分かりませんが、「今だよ」と教えてくれる。私たちは今生きている一瞬一瞬、実は「いのち」を失っているわけで、だから今このときの「いのち」を大切にしなきゃいかんということの連続なんです。

 自然・社会・人々それぞれの「いのち」を大事にしながら、今この時を生きる。そのようなとき、放射能の影響は「いのち」を阻害するものだと思うんです。私たちは原子力発電による電気の恩恵を当然のことのように享受してきた姿勢を反省し、それに頼らない社会を目指さなければなりません。

 だから私は弟子たちに言うんです。「電気を消すときは、『原発反対』『反原発』と言って消せ」とね(笑)。そうすれば、電気を消すことにも意義が生まれるでしょう。無反省に恩恵を受けてはいけない。原発に依存しない社会こそが、次の世代に贈るべき社会です。

■「頑張れ」ではなく「頑張ろう」

全日本仏教会の河野太通会長

――河野会長は1995年の阪神淡路大震災で被災されています。その際、周囲が「頑張れ」という言葉を発したことに対し「半ば腹立たしい思いを感じた」とおっしゃっています。東日本大震災以降、会長が「頑張ろう」という言葉を口にされているのはなぜでしょうか?

 今回、被災地の現場に立ったとき、私は「頑張ろう」と言いました。それは私にとって祈りの言葉なんです。「頑張れ」は一人に向けた言葉ですが、「頑張ろう」は「私も一緒に頑張る」ということです。「私はあなたとともに生きる」。つまり、共生するという思いが込められているんです。

 阪神淡路大震災で、私は自分のお寺が大きな被害を受けただけでなく、親しくしていた後輩の命を失いました。彼だけでなく、奥さんと息子3人が建物の下敷きになって亡くなり、高校生の娘さんだけが生き残りました。そのとき、娘さんが家族の棺桶が並ぶ部屋で3日3晩過ごす様子を見守りました。彼女は涙一つ見せませんでしたね。歯を食いしばって頑張っているんです。でも、そんな彼女に周囲は「頑張れ」と言う。それ以上に「頑張れ」と言うのは過酷でした。「頑張れと言うのはもういい」という思いでした。

 私は、気丈に耐える彼女をしっかりした子だと思っていました。でも、家族の遺体が火葬場に出棺されるとき、棺にしがみついて慟哭したんです。私は言葉を失いました。「頑張って」などとは、とても言えなかった。

 先日、宮城県気仙沼市にある地福寺を訪ねました。本堂の柱と屋根以外、すべて津波で流されてしまったところです。「何か言葉を書いてほしい」とお願いされました。和尚からは「『頑張れ』と書いてほしい」と言われましたけれど、私は「地福寺さん頑張ろう」と書きました。

■「己自身をいかに豊かな人間に仕立てるかを心がけて」

全日本仏教会の河野太通会長

――「こころの豊かさ」や「いのちの大切さ」を忘れないために、個人は内面において何を意識する必要があるでしょうか?

 「忍辱(にんにく)」ですね。昔からある言葉で、「我慢するという功徳(くどく)を知らなければいけない」という意味です。お釈迦様は、理想的な社会に到達するために必要な6つの方法があるとおっしゃった。その6つを「六波羅蜜」と言いますが、私はこの中の一つ「忍辱」に解決の道を探るんです。

 人は生きている中で、常に何かを我慢をしている。もちろん、ここで意味しているのは単に我慢することではありません。「忍辱によって己の人格を完成させよ」ということです。現代は、そうした鍛錬に対する意識が希薄な時代になってしまっています。

 人間はもともと欲望を持った弱い存在です。しかし、その欲望ある自己を見つめ、磨き、充実した立派な人間になっていくことを、誰も勧めることが少なくなりました。産業革命以来、欲望をどんどん満足させることを追求した結果が、原子力発電に行き着いたと私は思っています。その反省をしなければいけません。

――最後に、時代を担う若者たちに期待することをお聞かせ下さい。

 特に若い人たちは、物質的・経済的に豊かな生活だけを求めるのではなく、「己れ自身をいかに人格的に豊かな人間に仕立てていくか」ということを心がけてほしい。それが幸福になるコツだと思うんです。自分自身を完成させようという思いなしに、社会を良くしようとしても、それは叶わないことだと思います。

 いま私はボランティア活動もしていますが、理想論を言えば、自己を完成させた立派な人々が増えることで、いずれはボランティアさえいらなくなるような、そんな社会になればいいと思います。

(了)

■河野太通(こうの・たいつう)

 1930年、大分県生まれ。花園大学卒業。花園大学学長などを経て、臨済宗妙心寺派第33代管長、財団法人全日本仏教会会長。著作に『”無常のいのち”を生きる』『禅力』、共著に『闘う仏教』『覚悟の決め方』など多数。

◇関連サイト
・財団法人 全日本仏教会(全仏) Japan Buddhist Federation – 公式サイト
http://www.jbf.ne.jp/
・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:菅原聖司、写真:山下真史)

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