「必死になってやっている」被災者がみた若者ボランティアの姿

ボランティアのための募金活動を行う三浦さん

 東日本大震災2日後に、がれきの風景が広がるなか自らが経営するガソリンスタンドを再開した人がいる。宮城県南三陸町の歌津地区の三浦文一さんだ。震災から9ヶ月たった現在も、地域住民やボランティアの支援など復興に向け精力的に活動している。その原動力の影には「若者ボランティアの姿」があった。

 歌津地区は、津波や地震によって全建物の55%にあたる780戸が被災したことが南三陸町の調査で判明している。同地区でガソリンスタンドを経営している三浦さんは、震災から2日後の3月13日に店を再開。ガソリンスタンドの建物が崩壊し、電気やガスなどのインフラも復旧していない状況にもかかわらず、手動のポンプを使いガソリンを給油し続けた。あたり一面はがれきだらけ。6人いた従業員は全員辞めた。自宅も被災し、仙台市から車で3時間かけてガソリンスタンドに通う日々もあった。それでも、「志があれば必ず復興できる」と店は決してやめなかった。

「あの頃は目が血走って、とにかく明日がみえない時だった。そこで、もがき苦しんで。店だってやられたし。でも今は見えている。一番したいことはこの町を本当に真から復興したいことだなぁ」

震災から約1ヶ月後のガソリンスタンド(2011年5月撮影)

と震災直後の様子を振り返る。骨組みだけが残り、がれきで埋まっていたガソリンスタンドの建物は、現在では新しく建て替えられ、洗車場も再稼働している。建物の看板には、「三浦石油」の文字が大きく描かれていた。

 12月下旬、町に復興の光が灯った。ガソリンスタンドから車で約5分の伊里前地区で仮設の商店街「伊里前福幸商店街」が13日、オープンした。スーパーや魚屋など食料品店のほか、衣料品店や理容室など7店舗が立ち並び、あたり一帯が店の明かりで包み込まれている。

「うれしいね。街並みに真っ暗いときにうちの店だけがポツンと明かりがあるより、集落全体に明かりがついて。そこに生活の匂いが出てくるというのは最高にいいね。ようやく現実になった。町の再興を夢見て、夢見て・・・」

■ニックネームは「歌津の鈴木宗男」

現在のガソリンスタンド(2011年12月撮影)

 三浦さんもまた新たな一歩を踏み出す。仮設住宅で生活を送る住民に向けて1月中には近所に銭湯をオープンするという。

「仮設住宅の風呂は狭くて、足も膝も曲げてでしか入れない。週に1回くらいゆっくり浸かってもらいたい」

 銭湯だけではない。仮設住宅へ畳を配るためにも動く。整体師の資格を所有していることから、南三陸町に支援のため訪れたボランティアへのマッサージも定期的に施している。

 「歌津の鈴木宗男」。三浦さんは、その精力的な活動で新聞記者から、こうあだ名をつけられたという。彼がこれほどの行動を起こす力の源泉は何なのか。そこには、精力的に活動するボランティアにきた若者の姿があった。

「震災1ヶ月たったころから、ボランティアが皆、大挙して押しかけてきた。震災直後は、女房、子供どうしようと俺の気持ちに余裕がなかった。でも、(ボランティアの人たちは)店の向いにある山で、命綱を張って瓦礫やゴミを片付けるわけ。この店の中で自分は落ち込んでいるけど、ボランティアは必死になって頑張っている。若者の『町を復興したい、がれきを片付けたい』気持ちが見えてきた。なんだこいつら、盗賊か? 海賊か? と思ったわけ。若い連中なんて愛情がない、感情がない、気迫がない。でも、必死になってやってる。こいつら本気だな、腰を据えてるなと思った」

「だったら何かしないといけない。泣いてたっていけない。自分にとって何かが変わる。また人生が変わることがあるんじゃないかと思った」

 三浦さんは、この思いを糧に今日もまたガソリンスタンドを拠点に南三陸町を支え続ける。

(松本圭司)

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