ガジェット通信 GetNews

見たことのないものを見に行こう

体験を伝える―『ガジェット通信』の考え方

面白いものを探しにいこう 本物を体験し体感しよう 会いたい人に会いに行こう 見たことのないものを見に行こう そしてそれをやわらかくみんなに伝えよう [→ガジェ通についてもっと詳しく] [→ガジェット通信フロアについて]

ポテトチップスができるまでを見学してみた

コイケヤでポテトチップスができるまでを見せてもらった

 今では圧倒的な認知度を誇るポテトチップスが、アメリカで生まれたのは160年前。日本では50年前にコイケヤが量産化に成功した。にも関わらず、ポテトチップスがどのように生まれ、なぜ日本に渡り、どのように作られているのか知らない人は多い。そこで、コイケヤの製造工場を訪れ、特別にその内部を見せてもらった。

・[ニコニコ動画]映像で見る「ポテトチップができるまで」
http://www.nicovideo.jp/watch/1325557940

■「客のクレームから生まれたポテトチップス」

――ポテトチップスができた歴史を教えてもらえますか?

コイケヤ: ポテトチップスが生まれたのは1853年です。今から160年も昔の話ですね。アメリカのニューヨーク州にありますサラトガ・スプリングスのホテルが、お客様にフライドポテトを提供していたところ、あるお客様から、ポテトが厚すぎるとクレームが出たそうなんです。自慢の料理にケチをつけられたコックのジョージ・クラムは、自分の料理の腕をみせるために、とことん薄いフライドポテトを皮肉の意味も込めて提供してみたそうです。そうしたら、これがお客様に大好評。この、とことん薄いフライドポテトの評判はたちまち広まり、ついにはコックのジョージ・クラムは独立して、ポテトチップス屋まで作ってしまったそうです。ポテトチップスが、お客様のクレームから生まれたことは、あまり知られてないお話ですね。

■「ポテトチップスはかつて高級珍味だった」

――アメリカで生まれたポテトチップスは、どのように日本に来たのでしょうか?

小池和夫氏

コイケヤ: アメリカでは、その後もポテトチップスは人気で、一般流通品になるまで広まったそうです。1945年、戦後まもない時代ですが、それまでハワイでポテトチップスを作っていた日系二世ハマダオトジロウさんという方が、日本にやって来てポテトチップスを作って売り出しました。その名も「フラ印のポテト」。これが国産第一号のポテトチップスだと言われています。その頃、アメリカ兵が本国から持ってきたポテトチップスを日本国内でも見かけるようになりました。当時のポテトチップスは、アメリカ兵が立ち寄るオシャレなバーに置いてある高級珍味という存在だったらしいです。当時、お好み揚げという揚げ菓子を作ってヒットを出していたコイケヤの創業者・小池和夫は、「仲間と飲みに行った」バーで初めてポテトチップスを目にして口にしました。そして「これは美味い!」と感動した小池和夫は、家に帰ると、その日のうちに芋を買ってきて、同じように薄く切り、油で揚げて、自作のポテトチップスを作ったそうです。これが1950年代後半のお話になります。

【ニコニコ動画】ポテトチップ工場を見学してきた【ニコニコ動画】ポテトチップ工場を見学してきた

■コイケヤを作った男

――どのようにしてポテトチップスを売り始めたのでしょうか?

昭和34年小池工場での釜揚げ

コイケヤ: 小池和夫は長い時期ポテトチップスの開発に費やし続けていました。問題は、アメリカ人にとっては馴染みのあるポテトチップスでしたが、ほとんどの日本人はまだ食べたことがなかったのです。誰も知らないポテトチップスを世間に広めるにはどうすればいいのか? だいぶ考えたみたいです。1958年、小池和夫は小池商店から株式会社湖池屋に名称を変更して会社を設立しました。すでにお好み揚げ、かりんとうのように油で揚げる商品は日本にもあり商売も軌道にのっていましたが、ジャガイモを油で揚げて食べるという習慣が日本人にはなかったのです。

初期のパッケージ

 そして1962年、試行錯誤の末に生まれたのが、日本人に馴染みのある海苔を使った「のり塩」でした。ちなみに海外では海苔味のポテトチップスはありません。アメリカで見かけるのは、塩味か、ビネガー味か、バーベキュー味。今でも海外では日本のように、たくさんの味を見かけることはありません。「のり塩」が発売された頃、時代は高度成長時代の真っ只中でした。アメリカっぽい雰囲気が、日本ではカッコイイと付加価値になっていた背景も後押ししまして、ポテトチップスは徐々に売り上げを伸ばして、店頭にも並ぶようになりました。その頃は、まだ釜に油を満たしてジャガイモを揚げていたのですが、手釜揚げで作るには生産が間に合わないほどの人気となっていきました。

■日本で初めて量産に成功

――日本で初めてポテトチップスの量産に成功したのがコイケヤですよね?

コイケヤ: はい、そうです。ポテトチップスが美味しいと評判になり、世の中にも認知されてきた頃、湖池屋以外にもポテトチップスを作る家内工業の会社が増えてきました。そんな中、小池和夫はいち早くポテトチップスの量産化を考え、機械化導入に踏み切る決意をしました。すでにポテトチップスを量産していたアメリカに下見に行くと、スーパーマーケットで大量に置かれたポテトチップスの山がありました。それを見て、小池和夫は「絶対に日本でもポテトチップスは売れる!」と確信したそうです。1967年、コイケヤはオートフライヤーを導入しました。しかし、機械化はそう簡単ではありませんでした。アメリカと同じ機械を日本で作っても、なかなかうまくいきません。相当な数の失敗作を揚げては捨てを繰り返したそうです。それでも開発努力のかいあって、徐々に商品は店頭に並びはじめ日本人がポテトチップスを食べる機会が増えてきました。

1 2 3 4次のページ
ニコニコニュースの記事一覧をみる
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

山寺宏一&高木渉で『ポプテピピック』

GetNews girl / GetNews boy