ピアノの音が聴こえてくる物語〜恩田陸『蜜蜂と遠雷』
芸術の晩秋(←ギリギリ秋…。いや、厳しいか)! ”音楽本スペシャル”第4回をお届けします。今年はほんとうに音楽を題材にした本が多いという印象。第1〜3回につきましては、10月26日・11月9日・11月30日更新のバックナンバーをお読みになってみてください。
本を読んで音が聴こえる、という体験をこの小説で初めて体験した。いや、正確に言うと、音楽が思い浮かんできた本はこれまでにも読んだことがある。しかしそれは、私があらかじめ知っている曲について書かれたものだったので、ある意味当然のことだった。しかし、今回私が知っている曲はほとんどなかったので(私はほんとうにクラシック音楽に関して無知だ)、私の頭に浮かんだ曲の再現率がどの程度のものかはまったくわからない。それなのに、風間塵が、栄伝亜夜が、高島明石が、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールがどんな風に演奏したのか、わかった気がしたのだ。
上にあげた名前はすべて本書の登場人物で、第6回芳ケ江国際ピアノコンクールの出場者である。3年ごとに開催される芳ケ江国際コンクールは近年期待の新星を発掘する場となっており、国際的な評価も高まってきた。本書は彼らがただひたすらピアノを引き続ける物語といっても過言ではない。映画やラジオドラマなどであればまだ話はわかる、音は聴こえるのだから。でも小説でその手は使えない。そんな話がどうしてここまで読者を魅了するのか。私もうまく説明できないないし、そもそも本文を読んでいただくしかない。
子どものようにイノセントでありながら驚くべき演奏技術を持つ塵、天才少女だが母の死後最初のコンサートをすっぽかして表舞台から姿を消していた亜夜、妻子のいるサラリーマンで最年長出場者の明石、実力もルックスもすべて兼ね備えたマサル。4人の主要コンテスタントのみならず、彼らの指導者や審査員たちも個性派揃い。塵の亡き師であるユウジ・フォン=ホフマンは、塵の存在が『ギフト』であると同時に劇薬でもあると綴った推薦状を遺していた。その言葉と塵の演奏に翻弄される彼のかつての教え子たち(コンクールの審査員である嵯峨三枝子やマサルの師であるナサニエル・シルヴァーバーグなど)の姿にも胸を打たれる。
さて、コンクールであるからには勝者が誕生する。最終ページに審査結果が掲載されているので、先にそれをご覧になってしまわないようご注意を(奥付を確認しようと思って、うっかりそのページを開いてしまった私は負け組)。
二段組みで500ページ超え、雑誌連載は7年にも及んだ本作。著者の恩田陸氏も並々ならぬ熱の入れようだったと思う。小学館のPR誌「STORY BOX」2016年12月号のインタビュー記事によれば、なんと「優勝者どころか予選結果も決めずに書いていったため、主要登場人物でさえ常に当落線上にいた」「誰を落とし誰を残すのか、苦渋の選択の繰り返しだった」との驚きの告白が。それ以上に困難だったと語られる「演奏シーンのバリエーション」はもちろん最大の読みどころ。存分にご堪能あれ。
(松井ゆかり)
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