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舞台芸術集団『地下空港』主宰・伊藤靖朗インタビュー 「舞台は観客を空間の中へ導き入れる」

伊藤靖朗さん

舞台芸術集団『地下空港』主宰の伊藤靖朗さんにインタビューを行いました! 伊藤さんは『地下空港』での演出・脚本を手掛け、9月15日に自身の処女作『巨人たちの国々』を出版されました。演劇を始めたキッカケや、映画と舞台の違いなどを聞いています。

中野でインタビュー!

―自己紹介をお願いします。
伊藤靖朗と申します。舞台芸術集団地下空港という団体を主宰していまして、脚本・演出、たまに出演もしています。地下空港は1999年に国際基督教大学(ICU)で結成した団体です。

―演劇を始めたきっかけは何ですか?
母がとても演劇好きで、幼い頃から、『チャップリンの独裁者』や『オズの魔法使い』『ウエスト・サイド・ストーリ―』などを家で見ていました。他にも、紙芝居や影絵を作ったり、母は英語教師でもあったのでキリストの生誕劇をやったり、とにかく創作することが好きでした。

意識したのは高校の時ですね。母校の静岡高校では年に1度、「仮装」という、全クラス対抗で無言劇を行う文化祭のような行事があります。運動場約30m×30mのスペースに大きなセットを運び込み、7分間音楽をかけて行うんです。 それで1年生の時『桃太郎』をやったのですが、約30クラスある中で10位前後に入って、1年生では快挙だったんです。それに味をしめて、「仮装」にはまりにはまってしまって、とにかくその時期になると夢中になってやっていました。 高校時代は仮装と空手部の活動しかやっていなかったですね。あとは寝てました(笑)

そういえば高校の先輩で、漫画家のしりあがり寿さんも4コマ漫画で「仮装」について描かれていました。自分も、深夜の公園でダンスの練習をしたり、友達の家で徹夜で準備したりして、それがとても楽しかったんです。

―高校時代の経験が地下空港の原点ですか?
社会をにらみながら劇を作る、ってのが地下空港のスタンスでもありますが、これは高校時代からも影響を受けていると思います。高校生なりに社会問題を織り込んで無言劇を作っていましたので。 あとは、劇が楽しい、そのお祭り的なウキウキを存分に味わったのは大きかったです。

―本格的に演劇を始められたのはいつですか?
大学では1年の春にサークルに入る波を逃してしまった。中学ではバスケ、高校では空手とスポーツをやっていたので、テニスでもやった方がいいのかなぁと 思ったのですが、試しに練習に行っても全然ピンとこなかった。秋になり、ICU歌劇団というミュージカルサークルが『ジーザスクライストスーパースター』をやるというのでエキストラで参加しました。それが大学ではっきりと始めた演劇活動です。そのミュージカルは、キリストという一人の人間を巡って、周囲の人々の様々な愛が交錯する筋書きの舞台なのですが、自分は先輩の演出に納得がいかなかった。違う、そうじゃないと感じ、これは自分でやるしかないな、と思って演出への道を辿り始めました。

先輩が外部でやっていた劇団の役者を経験したり、学内のモダンダンス公演の舞台監督をしたりして、演出の修行を積みました。そして地下空港を、0から人を集めて立ち上げ、3年の時に公演を行いました。メンバーは半年以上かけてゆっくりと探しました。こんな役者さんが欲しいなとノートに人物画を描いて、それに当てはまる人をひたすら探しましたね。「崇徳天皇みたいな人」とか「蛇のような女」とか。

社会問題を演劇で表現します

―社会問題を意識したきっかけは何ですか?
実は中学生の頃、静岡市青年海外派遣事業の静岡市中学生代表として選ばれて、カナダでのホームステイを体験したんです。そこで大きなカルチャーショックを受けました。 当時の自分の、日本の学校に対するイメージですが、指定の制服を着て、授業では先生の話を黙って聞く、という形が一般的だと思っていました。ところが自分が行ったアルバータ州エドモントン市では、なんと小中学校から選択制授業が行われており、もちろん生徒は自由な服装で過ごしていたんです。さらに、学校の売店でお菓子を売っていることにも驚きました。これは僕のいた小中学校では考えられないことで。けれどもそのカナダの学校では、授業中にお菓子を食べる子が一人もいなかった。こんなに自由なのに誰も食べていない。それにびっくりしたんです。

要は、カナダの学校は自由度が高い一方、自ら規範を身につけます。学校や先生に規制されてルールを覚えるのか、自ら考えてルールを覚えるのか。ルールと人の関わり方が日本と大きく異なっているんだ!というのが大きな発見でした。 他にも例を挙げると、たとえば理科の実験。日本の場合、実験の手順や結果が全て教科書に書いてある。けれどもカナダでは、実験の手順や過程自体を、自分たちで考える授業だった。

基礎知識の習得を第一とする日本とは異なり、自ら考える力の土台を築こうとする教育なんだと思います。そういう子供たちが、大人になって、社会と自分の利害や責任を考えて、選挙で候補者の投票へ行き、選ばれた議員が議会で話し合って政策を決定する。つまり民主主義の基本がしっかりと成り立っている。 と、当時の自分にはそんなエドモントン市がとても理想的に見えたんです。そんなカナダでの経験から、高校時代には、日本はこのままじゃ駄目だ、何か始めないと! と思い、新聞を作ったり、先生と議論を交わしたりしました。日本と外国との差を感じ、 そこから何かを考えたり主張することの必要性を感じたんです。社会を分析する視点はそこから始まったと思います。そういった、社会問題を感じて提起することと、幼い頃から大好きだった演劇や音楽などの表現が大学で繋がりました。

―地下空港では、社会問題を独創的な世界感で演劇として表現することはそこに繋がっているのですか?
そうですね。高校時代に新聞を作ったのは、意見交換の場を作りたかったからなのですが、みんな読んでくれるけど、なかなか意見が集まらない。仕方なく新聞を読んでもらうための手段として新聞の隅に4コマ漫画やミニ小説を書いたりもしました。それで、ああ、社会的な意識をぶつけるだけでは駄目だな、と感じたんです。問題意識も大事だけれど、楽しくないといけない。だから演劇が持っている力を使って、自分がやりたいことを総合的に作りたいという思いがあります。

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