「尾木ママがBPOの委員だった」 アナログ停波特番(2)
アナログテレビ放送が2011年7月24日正午に終了したことを受け、ニコニコ生放送では、「アナログ停波特番『テレビはどこへ行く』」を放送した。テレビ関係者らによる議論がBPO(放送倫理・番組向上機構)の存在意義と、それによって番組がどう変わってきたかに及ぶと、フジテレビの元プロデューサー・吉田正樹氏は「BPOは敵ということはない」と、現在では比較的BPOとの関係が良好であると語った。吉田氏によると、現在バラエティ番組等に出演している”尾木ママ”こと尾木直樹氏も、かつてはBPOの委員だったという。
池田信夫氏「アナログテレビのほうが先に死んでしまった」 アナログ停波特番(1)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91588
以下、番組を全文書き起こすかたちで紹介する。
■「BPOがテレビをダメにした」のか?
津田大介氏(以下、津田): ちょっと、その辺の90年代でテレビっていうものがたぶん変わっていくみたいなものを語る前に、歴史だけ先におさらいしちゃうと、2003年に東京、名古屋、大阪の3大都市圏で、2003年からついにNHKと民放が一斉に地上波デジタル放送を開始しました。そして、2004年には茨城、富山で地デジが開始され、地デジの余った帯域を使ってやるみたいなところで、携帯端末向けの地上デジタル放送ワンセグも2006年に開始して。2008年にはデジタル放送。ずっともめていた地デジですね、この「ダビング10」という録画の新ルールが開始されたのが2008年で、2011年に地上アナログ放送が終了。
・・・1995年以降の歴史がかなりざっくりというか、かなりやる気がない感じ(笑)。最初のころはやる気があるような感じ(の資料)だったのが、スタッフが途中で力尽きたのかなという感じなのですが。宇野さんはどうですか。さっき吉田さんのほうでは「アナログで80年代はイケイケで」みたいなところがあって。80年代のテレビ番組って。
宇野常寛氏(以下、宇野): 80年代は・・・うち結構、両親が頭の固い人だったので、彼ら彼女の基準だと「全員集合」と「加トちゃんケンちゃん」はOKで、「ひょうきん族」はNGみたいなんですよね。でもその辺がまたちょっと僕の憧れでもあったんですよね。フジテレビってすごく80年代の東京の一部ではすごい輝いているものがあって、イケイケどんどんで。それこそ「おもしろくなければテレビじゃない」というキャッチコピーとか、これは当然僕は当時知らなくて後から知ったんですけども、まさにそうだったなと。そんな憧れの対象だったんですよね。それが、94年から97年まで高校の寮に入ってるいんですよ。寮に入って出てきたら、結構がらりと空気が変わっていて、何かテレビというのも、僕の知っていた民放のカラーというのがだいぶ変わってきちゃってるなという印象がすごく強かったですね。
津田: さっきずっと90年代になるまではフジテレビは圧倒的に視聴率でも強かったんですけど、一時期、日テレさんがガーッっと伸びていって抜かれるということがあったと思うんですけど、あれはどういう風に、フジテレビの中にいて評価されてましたか。「何で負けたんだろう」ていう。
福原伸治氏(以下、福原): どうでしょう。(吉田正樹氏に)どうですか?
吉田正樹氏(以下、吉田): 金属疲労ですよ。つまり、あらゆる勝ってる番組とか勝ってる局は自壊する。責められて負けるということじゃなくて、自ら負けていくということですよね。個々の番組はうまくいっていたんですよ。「スマスマ」もすごく視聴率をとってたし「めちゃイケ」も大成功してるのに、全体としては負けるという。コンテンツ論とはまさに・・・。
宇野: フジテレビの番組を見ているのではなくて、SMAPの番組を見ているとか、(ダウンタウンの)松本さんの番組を見ているって感覚だと思うんですよね。それまではチャンネルをここに合わせてとか、「この時間はこのチャンネルに合わせてお茶の間にいよう」とか、何かチャンネルを決めるということが、その時間を通して好きなことと直結してたと思うんですよ。そうじゃなくて、録画とかエアチェックの技術とかも進んでいて、なにかこう特定の固有名詞の方が強くなっちゃって、「フジテレビ」という固有名詞よりも「松本さん」という固有名詞の方が強くなってるという動きが、たぶんインターネットの影響なんかもあって、その後どんどん強くなっていくんでしょうけど。たぶんその時期ってそういうことだと思うんですよね。
津田: 今ちょっと「めちゃイケ」の話が出たので、テレビが社会に影響を与えたエピソードっていくつかあるんでそれを紹介すると、結構テレビには、いろいろ社会的に波紋を投げかけたものがいくつかあってですね。一つは、「めちゃめちゃイケてるッ!!」が2003年の3月から2月にかけて放送された人気コーナーの「七人のしり取り侍」の罰ゲームが「いじめを助長する」とBPO(放送倫理・番組向上機構)にクレームが入りました。これによって、コーナーが打ち切りになりました。今さっき、ニコ生のコメントのほうでも「BPOがテレビをダメにした」みたいなそんなようなコメントもありましたけど、これってどう思われますか吉田さん。
吉田: 僕、当事者としていましたから、まあ、別にそれで打ち切りになったわけじゃなくて、まあいろいろ考えた末、そのコーナーを止めただけですけども。BPOってもともとはね、管理されるという放送から自分たちを守るために、自分たちで作った自主規制ですから。そんなに「BPOは敵」ってことはないわけです。僕もよく行っていましたよ。そのBPOの青少年委員会という会議に。まあ、怒られたこともあったし、どう思っているのかということを率直に話し合う。今では制作者と比較的BPOの皆さんとちゃんと話をできてるんですよね。だってその時の委員の先生が、今をときめく「尾木ママ」(尾木直樹氏)ですからね。尾木先生が委員で、「吉田さん、こんな番組作ってていいと思ってんですか」って。「あんた、今出てんじゃねえかよ」っていう・・・。この間お会いした時に「僕、ずいぶん前に怒られましたけど」って言ったら、「いや、バラエティっていうのはおもしろいですね。」って、尾木先生がおっしゃってましたけどね。
津田: 池田(信夫)さん。BPOが出来たことでのテレビへの影響って、どういったものが。
池田信夫氏(以下、池田): 僕のころはBPOってね、存在はしてたかもしれないけど、そんなに影響力はなかった。だから、僕が辞めてからの話ですね。もともとBPOっていうのは、今おっしゃったように検閲、例えば、アメリカなんかではFCC(連邦通信委員会)が罰金を科したりするわけですよ。そういうのされちゃかなわんから「自主規制でお上が出てこないようにしよう」っていう自衛措置として始めたんだけど、だんだんその自衛措置がかなり官僚的に運用されるようになっちゃって。皆さん、それを恐れてるという感じに今はなってきているみたいですね。
津田: なるほど。もうひとつありましたね。「おネプ!」ですね。「おネプ!」というテレビ朝日の1999年から2001年までの番組で、このコーナーの「ネプ投げ!」というのが話題になりました。「出演者が番組宛てに応募してきた団体の希望により、柔道の巴投げをかけて願いを成就させる」という企画で、ただ若い女性をターゲットに巴投げをしていたために、まあパンチラというか下着が見えるということもあって、これが「放送と青少年に関する委員会」からクレームが入り、コーナーは打ち切りとなりました。うーん、これは何でですか。何でですかって言うのもあれですけど。時間帯の問題ですか。
吉田: この時代は、やっぱり制作者とBPOの先生方とコミュニケーションがまったく取れてなかった。いや、本当に。
津田: そういうパンチラがどうたらこうたらって言っても、別に深夜って結構、昔エロい番組たくさんありましたからね。
池田: だって、昔の「11PM」なんて、おっぱいもろ出しのお姉ちゃんうろうろしてたよ。
津田: お正月とかってエロい番組必ずやってましたよね。
福原: もちろんドラマでもね。
津田: 「土曜ワイド劇場」は必ず出てましたからね。
宇野: たぶん、ドリフのコントでヌードデッサンをネタにしたコントがあって、おっぱい、乳首出してた。
津田: :出してた出してた。
宇野: 解禁だっだんです。
池田: あれはいつ頃から・・・。
津田: あれはあっちの「ドリフ大爆笑」のほうとか普通に出てました。
吉田: 徐々にダメに・・・。でもね、それは時間帯によって考慮するのは当然だと思いますよ、今となっては。
■特撮に登場する怪人も「コンプライアンスを守っている」
池田: 世界的にみると、当時の80年代の「11PM」なんて、海外から来た人はびっくりするわけ。テレビであんなにおっぱい丸出しにしている国って普通、先進国では無い。まあ、それはしょうがなかったかな。
吉田: 今朝、(「FNS27時間テレビ」で刷毛でくすぐられている女性を当てる)「ハケ水車」をやってきたわけですけれども、「ハケ水車」って別におっぱい一切見せないわけ。裸も出さない。ただイマジネーションで、どこに誰がハケが当たってるのかっていうのを想像する空想力のコーナーだから、そういう風にして工夫すれば、ちょっとエロチックなことも出来るという成功例だと思いますけど。
津田: (コメントで)「この人が犯人です」って言われてます。エロに関しては、それなりにちょっとずつ少なくなってきたというのは、時代の流れとしてもあるでしょうね。
池田: 何か特にきっかけがあったわけじゃないのね、徐々にダメになっちゃったんですか。
津田: なんとなくの雰囲気がやっぱりそういう・・・。
吉田: いやいや、(きっかけは)あったと思います。だからそれはBPOができたりという節目節目であるんですね。
津田: でも昔のね、エロい番組みたいなものって、クレームっていうのは当然視聴者からはあったんですよね。それは、テレビ局はどう処理してたんですか?
吉田: 昔は、電話に出て「バンッ」と切ってましたよね?
津田: おっと。
福原: 切りはしなかったんですけど、でもそんなに今も極端に規制しているという感じってあんまりないですよ。
吉田: 今は誠実に聞きますよ。
福原: いやいや、そのエロとかいう点で。時間帯によっては例えばそういう風なものもやっているようなところもあったり。
宇野: でもですね、ドラマがすごく好きなんですけど、今の「月9」って、昔の野島伸司)さんの脚本って必ずレイプがありましたよね。なんかこう、そういう「えっ」と思うようなことがあったけれど、今はまったくないんですよ。例えばこの前やっていた稲垣伍郎とか上戸彩のドラマ(「流れ星」)とかも、昔の月9だったら、絶対に吾郎ちゃんはヤっちゃってたんですよ。暴走してたんですね。ところがなんかね、中途半端にいい人になって終わっちゃうんですよね。なそういった表現レベルでの、具体的に乳首が見えるか見えないかとかではなくて、おそらくストーリーとか物語自体の過激さみたいなところも・・・。
津田: でも「ラストフレンズ」とかでもそういうのあった。
宇野: 「ラストフレンズ」も、錦戸(亮)君が松葉杖で瑛太をめった打ちぐらいが限界ですよね。
津田: でもそういうシーンがあった。
宇野: まあまあ近いところはあったけれど、昔に比べると・・・。
吉田: テレビが直接的に助長したかどうかは別として、やっぱり国民とのキャッチボールだから、いろんな意見をもらうって、とってもいいことなんです。そういう中で、われわれも反省したり、学んだこともいっぱいあるわけ。その「ごっつええ感じ」で東野(幸治)の頭がちりちりっとパーマかけてたから、あんかけをかけて「あんかけ焼きそば」って言ったらえらい怒られて、僕も謝りに行ったことはありますけど。それは冷静になって考えてみると、意見があってクレームがつくってことはいいことなんです。今でもそうでしょ。前夜に寄せられたクレームは、全部社員のところにメールで来て、「こういうような意見がありました」ということは共有できるわけじゃない。だから、自ら直す。
宇野: 特撮番組とかでも、怪人が人をなかなか殺さないんです。殺すシーンがない。なんとなく抽象的に街がイメージ的に破壊されるというシーンになっているんです。
津田: 怪人もコンプライアンス(法令遵守)を守っているわけね。
津田: 意外と怪人は律儀なんですよ。
吉田: それをコンプライアンスだという考えは、そもそも間違っている。
■初めて「やらせ」という言葉が使われた番組とは
津田: もう1つ、情報番組だけではなく、バラエティではなくて、もう少しこれは真面目なクレームというか社会問題になったのがこれです。テレビの「やらせ・ねつ造問題」。結構この「やらせ・ねつ造」とテレビの歴史は古くて1965年から85年にやっていた「アフタヌーンショー」(テレ朝)では、ディレクターが少年らにリンチを依頼、暴行を教唆。こんなことあったんですね。知らなかった。
池田: これは「やらせ」という言葉が使われた初めての事件。
津田: そうなんですね。こういうことがありました。でも、こんな事件があったわりには結構長く続いたんですかね。これは終わったんですか、これで。
池田: (番組の)最後のころではないかな。
津田: ああ、なるほどね。
池田: 85年くらいだったから。なんでこれが印象に残っているかというと、「やらせ」という言葉は放送業界の言葉ではない。
津田: ほうほう。
池田: 要するに新聞がテレビの番組を叩くときに使った言葉なんです。
津田: 「やらせ」。
池田: 僕らは、少なくともNHKでは「やらせ」という言葉を普通の業務の中で使うことは全然ないし。
吉田: うん、ない。
池田: 民放でも「やらせ」という言葉は使わない。
吉田: 攻撃用語ですよね。
池田: あれは要するに、最初から非難する意味がこもっているわけで、いかにも業界用語みたいに見えているけど、全然業界用語ではないんだよ。
津田: 確かに新聞とテレビはずっと対立しているところがありましたもんね。そういう意味での、新聞側からのテレビへの攻撃用語として「やらせ」というのがあったのだと思いますが、87年にもありました。87年から92年にやっていた、またこれもテレ朝。「素敵にドキュメント」。これは女性の性行動をテーマにした回で、一般人として紹介した女性が実は無名のタレントだったという。これはそんなに問題なのかという気もしつつも、これが発覚して問題視されたということですね。もう1つ、これはちょっと重い。フジテレビ98年から99年の「愛する二人別れる二人」という番組で、出演者がスタッフからやらせをもちかけられたと遺書に残して自殺という。これは(吉田氏と福原氏の)どっちに聞けばいいですか。福原さんにうかがっていいですか。
福原: 自殺ってありましたっけ?
吉田: ここに書いてあることが、まったく正しく事実であるとは、僕は思わないけれども、そこに関連性があるかどうかは別として、事実としてそういうことがあったとは思うんです。
津田: なるほどね。
吉田: (自殺)という形で取り上げられたという話であって。
津田: そうですね。
吉田: これに書いてあることが全部事実としてあったかどうかは・・・。
津田: そうですよね。
吉田: という問題になったということでしょ。
津田: そうでしょうね。そもそも「やらせ」をもちかけられて、なんで死ぬんだという、その因果関係がわかりづらいところがありますが。
吉田: それはまさしく・・・。
津田: ただその、関係者の方が自殺したという事実だけはあるということなんでしょうね。
吉田: あるんでしょう、なるほどね。
池田: ここに書いてないけど、1993年には「(奥ヒマラヤ禁断の王国・)ムスタン』やらせ事件」というのがあって、「NHKスペシャル」でネパールの奥の国でこんなことがありますという番組で、奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン)、石が落ちてきて大変だみたいなことをやっているのが、実は石を落としているのがスタッフだったとかいうのを朝日新聞がバラしてしまって、(NHKの)会長がNHKの歴史上初めて訂正放送というのをやって、「あの番組は間違いでございました」という15分の番組をやって、会長が頭を下げるというのがありましたね。
津田: なるほど。そして、あとは1992年に読売テレビがエキストラを看護婦と偽らせて出演させた。これは大した問題ではない気もしますが。あと、皆さん覚えている人も多いでしょう。「発掘あるある大事典II」(関西テレビ)で、これはたぶん「やらせ」というのですごく言われましたが。納豆の効能を・・・。
池田: これは「ねつ造」だよね。
津田: 「ねつ造」ですよね、「やらせ」というより。ねつ造したデータを「健康とかダイエットに効果があるよ」ということでやったら、実は全然違っていたということで番組内で紹介し、これは番組自体が終了するくらいの事件になりましたね。そして、2008年には「真相報道バンキシャ!」(日本テレビ)が岐阜県の土木事務所が架空工事で裏金を捻出していたと出演した男性が証言したものの、実際は証言内容が虚偽だったということで、これも(やらせに)なりましたと。これ「あるある」に関してはどうですかね。情報番組というか、また情報バラエティみたいなもののその扱い方の難しさというのもあったのですが。
池田: いや僕あれを観ていて、この種のものって、もう今だから言うけど、こういうことを全然やっていないテレビ局の人は1人もいないと思いますよ。
津田: 「過剰な演出」の範囲なのかということですかね。
池田: つまり、例えば海外ツアーなんかに行って、思う通りに取れなかったインタビューを、吹き替えで潰して適当に狙い通りにしちゃうということは、今だから言うけど僕もやったことがあるし。
津田: おおっと。
池田: こんな「あるある」みたいにまったく根も葉もないことはやらないよ。でも、ちょっとニュアンスが違うよなというのを、わりと断定的な吹き替えで。だって(音声を)潰しちゃうからわからないわけ。それは率直に言ったら、やっていない人はまずいないんじゃないかな。
津田: まぁ演出の範囲というか、時間のない中でたぶん作っていかないといけないというとこで、しょうがない部分もあると思いますけど。
福原: だからいつも、どこまでが演出でどこまでが…というのは、本当に悩むところなんですよね。
津田: はいはい。
■「”やらせか否か”は常につきまとう問題」
福原: インタビューだって、やり様によっては「それは誘導質問」とか言われたりすることもあったりするし、「再現(ドラマ)」だってあれも演出ではなくて「やらせ」という風に解釈されることもあるし。これは本当に常に付きまとう問題なんです。
津田: 僕も「ズームイン!!SUPER」にツイッターの本を出した直後に出て、「ツイッターのことを喋ってください」と言われてツイッターの良いところを25分しゃべって、でも質問で「悪いところはどこですか?」というのを執拗に聞いてくるので、5分くらい「ここが問題ですね」と言ったらそこしか使われなくて、僕はすごくツイッターに否定的な人みたいに使われたということがありましたからね。でもそれは「やらせ」ではないんですよね、これは。
吉田: まあ、今日は別にそのことを議論するつもりはないけど・・・。
津田: そうですよね。
吉田: 1つだけ言えるとしたら、「ないことを作る」のはやっぱりダメですよ。
池田: そうそう。
吉田: それは、どのテレビマンもちゃんとわかっているわけ。だから、そういうことをした人は罪に問われたり、それこそ社長が辞めたり、番組が飛んじゃうという重大なことになっているわけ。ただ、そのさっき言ったようにグレーなところは、本当はあるんですよ。「たまたま今日はない」とかね。雨が降っていて、今日は「綺麗だね」という絵が撮れなかったとき、それを別の日に撮りにいくのが良いか悪いかというのは、番組の質によりますよね。
津田: たぶんこのニコ動とかを観ていたり、新しいメディア、ネットメディアとかを観ていたりする人というのは、テレビの仕方なくそういった部分というものに対して、「やっぱり嘘がある」「信用できないのではないか」と思ってテレビを批判したり、ネットでメディアを観ていると思うんですけど、そういうものに対してはどう答えるかですが。
吉田: だって、嘘のことを本当のように描くのはダメじゃないですか。だけど、タレントが(ロケに)行っているとき、ずっと雨が降っていましたと。「でも本当はこういう絵なんですよ」と、別の日に撮りに行ってそれを別日ですといって流すのはいいわけ。
津田: だから、そこら辺も含めてもう信用できなくなっているというのが、ネットにはすごくあると思うんですけど、その辺、宇野さんはどう思っていますか?
宇野: これは、テレビがどういうメディアだったかというのが問題だと思うんです。さっき津田さんが、新聞とテレビというのはずっと仲が悪いと、対抗意識があると。それって、新聞というのはすごいカッチリと取材もして文字で確定情報を出してしまうメディアで、テレビというのは中継で何が起こるかわからないけど、とりあえず今起こっていることを流しますという、わりと今でいうところの「だだ漏れ」感のあるメディアだったわけですよね。だからそういう緊張関係でずっとやってきたのに、まさにこの80年代や90年代に、いつの間にかテレビこそ何かキッチリと作り込まなければいけない、完全にディレクターやプロデューサーがコントロールしてメッセージを視聴者に与えなければいけない、完成されたメッセージを渡さなければいけないという風になっていた。
気が付いたらインターネットが出てきて、インターネットこそまさに、このニコ動なんかそうですけれど、「だだ漏れ」して視聴者が好きなようにコメントをつけて、あと判断を視聴者のほうに預けるメディアというのが出てきた瞬間に、テレビは益々硬直化しているという、少なくともそういうイメージを、インターネットが当たり前にあるような年代に生まれて育った人達が持ってしまっている。こういうことだと思うんですよね。
吉田: それはすごく幼稚な議論だと思います、あえて言えば。だってテレビに放送法というのがあるんだもの。虚偽のことを言ってはいけないわけで、そのインターネットのように嘘を言っても(ネットメディアは) 罰せられないでしょ。テレビは、それはちゃんと放送を最後に出すものが両方やらないといけないとか決まっているわけ。
津田: でも、そこがやっぱり、テレビ局と総務省が「なあなあ」だから完全に罰せられてきていないのではないかという不信感もあるんじゃないですか。
吉田: 罰せられたじゃない。
池田: それ以前の問題で、はっきりいってこの番組みたいに人を集めて話をするというだけだったら、簡単なんですよ。それはもう本当に手間がかからないわけ。
津田: 確かにね。
池田: それはだって、いわばローカル局でスタジオがあるだけでできてしまうわけだけど、例えばドキュメンタリーを作ろうということになると、こうやって人を集めるというだけではまったくできない。
津田: そうですね。
池田: あるものだけを撮ったって、それはもうニュースの映像みたいなものしか撮れないわけ。だからドキュメンタリーとしてちゃんと作ろうと思うときには、例えば昔「新日本紀行」なんて番組があったけど、ロングの絵からずうっとズームインをしたら、おじいちゃんが向こうから歩いてくるなんて、そんなおじいちゃんがタイミング良く歩いてくるはずないんだから、それは「はい、お願いします」と(合図の)キューを出すに決まっているわけですよ。つまりドキュメンタリーというのは、ある種の物語をやっぱり作らないといけないわけ。まあ、民放はどうか知りませんけど、僕なんかがNHKでおそらく一番大きな訓練を受けたのは、どういう風にそういう状況を再現するかというとこが、ある意味で腕の見せ所なわけ。
津田: うん。
池田: 例えば、新聞の記事だったら誰々さんは何月何日、ここをこう行ってこういうことがありましたと、字で書くのは簡単だけど、それをテレビでそういう状況を再現するのはものすごい手間がかかるわけ。こういう風につまり、ネットメディアがいま気楽に作れているのは、こういう風にただ集めるだけで成り立っているからですよ。これを、ああいうストーリーのあるドキュメントなり、あるいはドラマなりを作ろうと思うと、格段にコストがかかる。そこにさっきの作為がいっぱい入ってくるわけ。それはいけないといったら、もうほとんどそいういうものはできない。
津田: 宇野さんも僕も「いけない」という風に思っているのではなくて、単純にリアリティを感じなくなっているネットユーザーがたぶん多いと思うんですよ、それは。
吉田: これは報道の話なんですか、ワイドショーの話なんですか、ドキュメンタリーの話ですか、バラエティの話ですか、どこの話? その「嘘」とかなんとか言っているのは。
津田: たぶんインターネットで叩かれているのは情報バラエティとか、あとはニュース番組。
宇野: つまりこれ、カメラを回していて映像はそこにあるんだから、「これは結構そのまま映していますよ」「本物ですよ」というメタメッセージをテレビというのは常に出しているわけですよね。それにもかかわらず、そこに作意が露骨に入っているということに対する不信感というのは、たぶん強まっていると思うんですよ。なので、何かカメラがそこにあって状況をただ映しているというのは、やはりだだ漏れのリアリティみたいなものに頼るしかないと思うのです。そこでディレクターだったりプロデューサーの意図だったりとかストーリーというのを必要以上に大きくしてしまうと、何かおかしいことになってしまう。
池田: でも、それでやれるのは本当に限界があるよ。つまり僕らも一時期、作り過ぎのドキュメンタリーに対する反省というのがあって、「あるがままに撮りましょう」と。特にENGといわれるビデオカメラができた初期、80年代の後半くらいというのは、昔のフィルムというのは3分で切れちゃうから本当に徹底的に作り込んでセッティングして撮らないといけないんだけど、ビデオはわりと「だだ漏れ」というか回しっぱなしで撮れてしまうから、比較的演出なしでカメラを据えっぱなしで撮ったりしていた。そうすると、しばらくやってみてわかったけど、やっぱりそれはものすごい手間がかかる。
言ったら悪いけど僕ら「仕込み」といっているけど、「仕込み」でやったら1時間くらいでできることをほとんど1日くらいかかってしまう。さすがにENGで比較的昔よりは撮れるようになったけど、そうはいってもやっぱり「仕込み」はないと、どうやってもある程度の完成度の番組はできない。
福原:この話だけでたぶん2~3時間・・・。改めてどこかでやっていただいて。
吉田:先生、それはダメです。いま「仕込ん」ではダメ。
池田:ダメなの?
吉田:仕込んじゃダメだと僕は思いますよ。
「ゴールデンに出ようとは1ミリも思わず深夜番組を作った」 アナログ停波特番(3)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91612
(協力・書き起こし.com)
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