逆ジョブズと退屈な人生(中村拓磨 × Takuma Nakamura)
今回は中村拓磨さんのブログ『中村拓磨 × Takuma Nakamura』からご寄稿いただきました。
※この記事は2015年7月4日に書かれたものです。
逆ジョブズと退屈な人生(中村拓磨 × Takuma Nakamura)
故スティーブ・ジョブズは言った。過去を振り返って点を繋げと。
ジョブズは学生時代、自分のキャリアと全く関係ないと思えたカリグラフィ(飾り文字)の授業に興味だけで飛び込んだ。それは後にMacのフォント形成に大きく貢献した。以下はこの経験をもとに言ったことだ。
「未来を見て点と点を繋げることはできない。できるのは過去を振り返って繋げることだけだ。だから一見ランダムな点も、将来なんらか意味があるものに繋がっていくと信じなければならない。信じるものは、自分の気合いだとか、運命、人生、カルマ…何だってあり得る。ランダムな点がこの先繋がっていくと信じることは自分の本能に従う自信をくれる。たとえそれが、よくある出世コースから外れる選択であってもだ。それが全ての違いを生む」(意訳、以下原文)“Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something – your gut, destiny, life, karma, whatever, because believing the dots will connect down the road will give you the confidence to follow you heart even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.”
おもしろいと思ったものに後先考えず飛び込む。なんと楽しそうな人生なことか。ふと、僕の人生はこの真逆を行く実に退屈なものになっているんじゃないかと考えた。僕は以前にこのブログでも書いたことがあるが(アメリカの大学院へ行く*1)、子供の頃からNASAに行きたかった。NASAに行きたいからアメリカの大学院を目指した。アメリカの大学院へ行くために日本の大学に入ろうとした。そして大学へ行くために高校は進学校へ行った。僕が今ジョージア工科大学で博士課程をやっているのは、10年近く前に自分が打った点の一つに過ぎない。これが俗にいうレールの上を歩く人生というやつだろうか。
*1:「アメリカの大学院へ行く」 2013年6月22日 『中村拓磨 × Takuma Nakamura』
http://takumanakamura.net/?p=300
さて、こんなことを考えるきっかけになったのは先日受けたQualifying Examination(以下クオル)という博士適性試験だ。先日この試験に受かったので今回はコレの説明とその過程で考えたことを中心に書く。
アメリカの博士課程は大きく卒業まで3ステップだ。
・Qualifying Examination(適性試験)
・Proposal(博士論文の内容の提案)
・Defense(博士論文の最終審査)
クオルはその3ステップのうちの最初の1つということになる。この3ステップに加え、授業を大量に取る必要があるし(修士号を持っていなければ最初の2年は授業で大半の時間を奪われる)、ジャーナル論文を3本程度書く必要もある。クオルは大学・学部によってシステムが随分と違うので以下に書くのはジョージアテックの航空宇宙工学科についてだと思ってほしい。もっと一般的な話を聞きたい人は、米国大学院学生会*2の留学説明会に来てほしい。全国の大学で行う。僕は東北大学と大阪府立大学で登壇予定だ。事前登録はこちら*3。
*2:『米国大学院学生会』
http://gakuiryugaku.net/
*3:「2015年夏期 海外留学説明会 事前登録」 『米国大学院学生会』
https://docs.google.com/forms/d/115nkvoh-JDricyAk3SXv75ycU1KMfvrklEGe3CR6MtA/viewform?c=0&w=1
クオルでは自分の専門分野の教養、基礎的な知識が中心に問われる。受験できる回数が決まっていて、僕の学部だと2回不合格で博士課程から退学だ。その場合でも修士は取ろうと思えば取れる。クオルは入学から2年目に受けるのが一般的で、最初の1年はクオルで中心的に問われる授業を履修する。ただ、受けた授業の内容だけカバーすれば言い訳ではない。例えば制御工学の場合、現代制御論は大学院の授業でおおよそカバーされるが、古典制御論は学部の頃の教科書を引っ張って来て勉強する。
6分野(制御、設計、燃焼、流体、材料、構造)から2分野を選択する必要があり、僕は制御と設計を選択した。僕の場合研究に使うのはほぼ制御のみで、設計の分野が研究に関係することは今後もないだろう。とは言えど、そもそも自身の研究とクオルの勉強が全く関連していない学生とかもいるわけだ。そこは博士課程の教養を求めているということだろう。博士への適性が、研究と全く関係ない分野で判断されることに関しては学内でも賛否両論だ。僕はいいんじゃないかと思っている。あまりにも偏った人間ができなくて済むし。
クオルの合格率は低い。アメリカの大学は入学は楽だが卒業は難しい、と多くの人が思ってるだろう。(別に入学試験が簡単だったとは思っていないのだが。)博士課程の場合、卒業ができない理由は色々あるが一番の要因はクオルじゃないだろうか。少なくとも僕はそう思っている。クオルに受かるのは受験者全体の半分ほどと言われていて、1度で受かる人間はそれよりもさらに少ない。残りの半分の学生は不合格を2回もらい大学を去る。同じ研究室で働いていた学生も2人それでいなくなったし、日本人の友人も何人かこの夏に大学を去る事になった。僕の周りだけ見れば落ちて大学を去る人間の方が多いほどだ。
試験は口頭試験だ。教授3:学生1の形式で質問攻めに合う。まず問題用紙を渡され、その問題をホワイトボードを使いながら解答・説明していく。解答を書いている際は終止「なぜその数式を使うのか?」「この定理を使える前提条件は?」「お前は本当に俺の授業を取ったのか?」などという横槍が入る。大抵は一瞬で解けるような問題になっていないので少しずつヒントをもらい進めて行くことになる。こういう形式で、1時間半ぶっ続けでフルボッコにされる。この試験を2分野で3時間、計6人の教授と行う。
口頭試験は当然だが全部英語だ。教授達はかたくなに否定するが、どう考えても英語力の差が出る。「文法を聞いているのではないので英語力は関係ない」とは言うが話すのも遅いし、語彙も限定的な非ネイティブにはやはり辛い。しかし、ひどすぎる英語を話す留学生は一定数存在し、正直アメリカの博士には値しない気がする。だから、暗黙の英語力フィルターとして機能していたとしても僕は異論ない。
試験は何も持ち込みできないが、暗記力を問うような問題は基本的に聞いてこない。もちろん最低限は覚えていないと駄目だが大事なのは本質や定義の理解だろう。例えば、僕がこの3月に受けた試験で実際聞かれた1問目は
“Show if A is asymptotically stable, A is similar to a dissipative matrix”
「行列Aが漸近安定ならば、Aは散逸性行列との相似変換で表せられることを示せ。(日本語訳あってるかな?)」
と言ったものだった。論理的思考と基本的な定義を抑えているのかが重要。他にも
「フリスビーが均衡点近傍で静的安定なことを説明せよ」
「アメリカンフットボールが安定して飛ぶのに必要な回転速度を計算せよ」
など、制御工学と飛行力学の融合問題も多く出る。あと時間制限がかなり厳しい。上の問題で言えば1問10分以内に終わらせないと全問完答は無理だろう。7~8割ほど答えれば受かると言われている。
試験準備には2~4ヶ月ほど使うのが一般的。クオルを受けるセメスター、あるいはクオルを受ける前のセメスターは授業を受けずに受験勉強に使う。僕は3ヶ月前から準備を始め、最初の1ヶ月半はクオルの準備半分、普段の研究半分のスケジュールで進め、残り1ヶ月半は全て試験勉強に当てた。教授達もクオルが厳しい評価なのは知っていて、大抵試験前には研究を中断して受験勉強に全ての時間を充てる事を許す。僕も可能な限りの時間をクオルの勉強に使った。オフィスや図書館での勉強はもちろんだが、友人とディスカッションをしたり、公園で遊ぶ子供たちのフリスビーを見ながら必要な回転速度を考え、ひとりブツブツと口頭試験の練習をした。夢にまで教授が出て来て質問攻めにされた。本当に辛い生活だった。1度で受かって本当に良かった。2度目は体力が持たなかったかもしれない。クレジットカードの請求はレッドブルに埋め尽くされていた。
試験の合否は、試験終了の当日に飲み屋で聞くことになった。一緒にクオルを受けた友人達とビールを飲んでいるところに、僕の教授が登場し結果を告げられた。そしてそのまま宴会に突入し、その後友人の家に寄ってさらに飲みまくった。
以上が僕が受けたクオルの説明だ。この試験を無事に終え、現在は本格的に研究活動に取り組んでいる。クオルの説明はこれぐらいにして、最後にジョブズの点を繋ぐ話に戻りたい。
逆ジョブズと退屈な人生
ずっと同じ道を歩いていると、いつの間にかこの先もこの道を歩くんだろうなって思ってしまう。自分で選んだ道のはずが、誰かに歩かされている様に思ってしまう。最初に隅に打った布石を無理矢理生かそうとして崩れてしまう囲碁のような、伏線を回収しようとして話がむちゃくちゃになる2流の推理小説のような。過去の自分が打った点にしがみつく、ジョブズがいう過去を振り返って点を繋ぐのとは反対の生き方。
なるほど、未来に点を打つ人生とはつまらないものだ。
辛いときはこういうネガティブな思考になる。「なんで四六時中クオルの勉強しなきゃいけないんだよっ!!」などと考える日もあった。10年も前の自分が打った悪手の尻拭いをしている、などと考えながら勉強していた。よく受かったものだ。さて、合格してから心に余裕ができて思うのは、本当にこれはジョブズがいう生き方と大差あるのだろうか?ということだ。
まず、僕にも過去を振り返って繋がる順ジョブズ的な点を見つけた。飛行機だ。好奇心から飛び込んだ鳥人間コンテスト。大学入学当初はそもそも飛行機がなぜ飛ぶのかさすら知らなかった。自分達の手で人力飛行機を作り、自分の足で琵琶湖の空を飛んだ経験から多くを学んだ。その1年後パイロットになった。振り返ると鳥人間コンテストの経験はパイロットライセンスの取得にかなり役に立った。僕がパイロットの飛行試験に合格したのはパデュー大学から去る2日前だった(空を飛ぶという事*4)。鳥人間の経験がなければ間に合わなかったかもしれない。そして、先日受けたクオルでは飛行機についているセンサーについての問題があった。パイロットでなければ答えられなかったかもしれない。
*4:「空を飛ぶということ」 2012年6月3日 『中村拓磨 × Takuma Nakamura』
http://takumanakamura.net/?p=113
とまぁそれっぽく書いてみたが全て都合のいい様に繋げてみたに過ぎない。だが、これこそがジョブズのいう過去を繋ぐということじゃないだろうか?都合のいいのは僕だけじゃない。ジョブズにしたってカリグラフィ以外の授業も聴講していたことだろう。彼は全ての授業に対して意義を説明できるのだろうか?無理だろう。そんなことは無視して都合のいい”点”を引っ張って来て結ぶのだ。アナログな世界に生きているのに離散的な”点”を使うなんて都合よすぎだろ。あと、未来に点を打たないというのも嘘だ。パソコンが作りたいから会社を作り、仲間を募り、勉強をしたのだろう。このプロセスは僕が空に憧れNASAを目指し、アメリカに来たのと同じはずだ。
ジョブズの言葉を前向きに使って捉えてみよう。彼のいう過去を振り返り点を繋ぐというのは、能動的に自分の過去を有意義にする能力のことなんじゃないだろうか?無駄な時間を過ごしたな、と後悔するのではなく積極的に経験を正当化していくこと。こう考えると僕もジョブズも大して変わらん(笑)。退屈な人生ではない、素晴らしい人生ではないか。(いいね!いい人生だよ!)
という訳で僕はまたモチベーション全開で楽しく研究活動に励むというわけだ。
今回のブログはコレで終わり。プレッシャーに押されて卑屈な思考になったところから、合格して楽観的になるまでの都合のいい経過を読んでくれてどうもありがとう。
執筆: この記事は中村拓磨さんのブログ『中村拓磨 × Takuma Nakamura』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2015年8月30日時点のものです。
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