できごとの断面を点綴し、宇宙史の大きなうねりを示す

できごとの断面を点綴し、宇宙史の大きなうねりを示す

 1979年発表のデビュー作「137機動旅団」以来、谷甲州が取り組んできた《航空宇宙軍史》シリーズの最新作。単行本としては22年ぶりの新刊とあって、まさにファン待望の一冊である。遠未来を扱った『惑星CB-8越冬隊』も《航空宇宙軍史》の延長線上にあるようだが、シリーズの主流をなすのは人類が太陽系諸地域へと進出した時代だ。植民国家と地球−月連合との軋轢は根深く、そのなかで後者側の警察・保安機構として「航空宇宙軍」が組織された。シリーズ名はこれから採られている。

 いままでこのシリーズにふれたことのない読者は、《航空宇宙軍史》の名称をハードルに感じるかもしれない。宇宙でドンパチを繰りひろげる軍事SFなの、そういうのはどうもなあ、と。しかし、まったく違う。スペースオペラのケレン味やミリタリーもののアクションやタフ自慢とはまったく無縁。むしろこれほど抑制の効いた—-良い意味で地味な—-SFは珍しい。

 細かな部分に独自のアイデアは埋めこまれているが、それを向こう受けするように強調はせず、たかだか物語の隠し味程度に収めている。派手なギミックもない。英雄的なアクションもなく、正義や良識もうたわれず、喜怒哀楽の人間ドラマやカタルシスの演出もない。俯瞰的な状況説明もなく、登場人物は限られた視点で事態と向きあうだけだ。その事態がゆくゆくは歴史の屈曲点になるとしても、そのときは身の丈で判断・対処するしかなく、なにが起きているのかも判然としない。

 状況の一断面だけをクローズアップして描き、それを積みあげて歴史のうねりを示す。そんな構成だ。独立した七篇からなる連作短篇集とも見なせるが、ぼくは第二次外惑星動乱の開戦までの裏面史を扱った長篇として読んだ。

 第一章「ザナドゥ高地」は、土星の衛星タイタンの政府査察官ナムジル退役大佐の視点で語られる。彼はかつてタイタン防衛宇宙軍の軍人として、地球−月連合陣営の航空宇宙軍と戦った経歴の持ち主だ。その戦いは敗北に終わり、現在のタイタンは再軍備にさまざまな制限が課せられている。制限の基準である「平和協定」は航空宇宙軍が監視しているが、個々の現場(軍事転用可能な技術や生産の施設)の査察はタイタン政府が担っている。ナムジルは自身の職務として、制限違反の施設があれば調査し報告をおこなう。プロフェッショナルとしてゆるがせにしない。しかし、タイタン政府は、軍事力による戦後体制からの脱却をもくろんでいる。つまりナムジルはダブルバインドぎりぎりの、微妙な立場にあるのだ。

 そんな人物を物語の視点に据えるのが、谷甲州の独自性だろう。黄金期アメリカSFのヒーロー/テクノクラートでも、そのカウンターとしてのアウトサイダー/パンクスでも、眉村卓が提唱したインサイダーでもない。ナムジルが現役時代に搭乗した機種の思い出がかすかな情緒を漂わせるものの、ストーリーそのものは大きな起伏がなく、タイタン辺境のプラント基地が隠蔽していた軍事開発にナムジルがふれるところで終わっている。そこには是でも非でもない、ただキナ臭い事態の予感だけがある。

 第二章「イシカリ平原」では、小惑星マティルドの研究施設にたったひとり駐在しているの民間企業研究員、玖珂沼(くがぬま)が主人公。新規開発の光学センサの評価試験のふれこみで、他企業から女性研究者がやってくるが、彼女の身のこなしはとても民間人とは思えない。やがてマティルドの表面が壊滅するほどの危機的状況が勃発するが、玖珂沼は経緯がまったくわからず、いやおうなく事態に巻きこまれてしまうだけだ。

 第三章「サラゴッサ・マーケット」は宇宙空間にある漂流艦船のサルベージを生業にしている男が主人公。破天荒なサルベージを依頼され、いちおうミッションは果たすのだが、この物語のなかで目覚ましい成果が得られるわけではない。第四章「ジュピター・サーカス」は航空宇宙軍の軍人が主人公だが、その任務は木星大気圏内に侵入する未登録船を取り締まりであって、大きな軍事作戦に関与するわけではない。しかも、未登録船の拿捕を試みるものの、あえなく逃走されてしまうところでストーリーは終わる。第五章「ギルガメッシュ要塞」は警備システム突破を専門とする中堅の女性フリーランサーが主人公。タイタン防衛宇宙軍ガニメデ派遣基地への浸入を後方からサポートする案件を請けおうが、浸入が失敗して安全圏にいたはずの彼女にも危険が及ぶ。ここには思想も信条もなく、具体的な目標もわからない。たんに基地にあるらしい新兵器を盗みだして航空宇宙軍に売りつけようという計画だった。第六章「ガニメデ守衛隊」は、第五章の物語を逆の視点(基地側の指揮官代理)から描く。この物語はけっきょく浸入側にとっても防衛側にとっても勝利と呼べぬ結果に終わり、「あらゆる戦闘は無意味なものだ。だからといって、それを声高に喧伝する気はない」との奇妙な独白で締めくくられる。

 最終の第七章「コロンビア・ゼロ」では、地球衛星軌道上の軍港コロンビア・ゼロが奇襲される。これにより航空宇宙軍は予想外の損害をこうむるが、奇襲作戦そのものの鮮やかさよりも、第一章から第六章までのできごとがすべてこの奇襲(第二次外惑星動乱の幕開け)の背景をなしていることに驚く。それは物語の伏線といった単純な辻褄ではなく、多くの要素が組みあがるモザイクのようだ。この歴史観こそ《航空宇宙軍史》シリーズ最大の魅力だろう。

(牧眞司)

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