仙台の中心部のビルの8階に居た人とコンタクト成功 地震発生直後を語る
3月11日14時46分頃に発生した東北地方太平洋沖地震。地震発生当時、宮城県仙台市の中心部に居たという人物とのコンタクトに成功した。言うまでもなく、ここは被害が非常に大きかった場所の一つでもある。この男性は地震発生時にビルの8階で働いていたという。そのときの模様を電話にて語ってくれた。
要約を文字に起こしてみたが、詳しい内容は記事後半の動画を聞いていただければと思う。
※インタビューの男性は、記者の古くからの知り合いのため、やり取りが多少フランクな話口調になっております。あらかじめご了承下さい。
男性 職場がビルの8階で仙台の中心部なんです。
記者 かなり揺れたんですか?
男性 かなり揺れましたね。デスクワークなんですけど、引きだしが飛び出して電機もすぐ消えてパソコンもすぐ消えて停電になった。
記者 みんなすぐに外に出たんですかね。
男性 そんなにパニックにならなくて、8階なんですけど階段とか混むじゃないですか。落ち着いて地震対策の係の人が誘導するまで待ってました。その後帰り支度して帰って行きました。帰るまで信号とか消えててビルも外壁が崩れてたりガラス割れてたりしてました。私自転車なんですけどそれで家まで帰ったんです。
記者 家はどんな状態だったんですか?
男性 家は冷蔵庫が1メートルくらい吹っ飛んでいて、ラックも倒れてテレビも倒れて、本も全部出てて……。
記者 本当に(テレビの)映像で観るような状態で。
男性 ええ、本当に酷い状態ですよ。
記者 電話が通じないと言われてましたが。
男性 地震発生直後は繋がったんですよ。数分したら繋がらなくてネットも繋がらない。
記者 数日は繋がらなかったんですかね。
男性 今仙台から引き上げてるんですけど……。
記者 今どこに居るんですか?
男性 今は山形です。仙台では全く繋がらなくて。
記者 そちらは電波そのものがやられてるんですかね。
男性 (宮城)県外から県内にも通じないんです。
記者 わかりました。ありがとうございます。
以上の様に宮城県は報道とたがわぬ状況だったのが文中(音声)からもわかる。この男性は現在山形(実家)に移動し避難している。ちなみに仙台から山形の道路はなんとか通じていたとのことだ。
また地震当日は避難所に行ったが、居場所が無く引き返し車の中で一夜を過ごしたとのことだ。
現在、31万人余りが避難しているとの情報がある。避難している方々の生活が、早く復活することを願うばかりである。
仙台の中心部のビルの8階に居た人とコンタクト成功 地震発生直後を語る(ニコニコ動画)
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