嫌われる相手のことを考える

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レジデント初期研修用資料

今回はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。

嫌われる相手のことを考える
製品の開発であっても、サービスであっても、何か新しいものを作るときには、誰かに好かれるようなものよりも、むしろ誰かに嫌われるようなものを探していくと面白いような気がする。

大手からシェアを奪いに行くときには、どこかに“敵”を設定すると上手くいくのだという。大昔のペプシは、“ペプシジェネレーション”というキャンペーンを行って、高齢の世代を“敵”であると定義した。ペプシジェネレーションは若さの象徴になって、ペプシは高齢の世代から嫌われて、その代わり、若い世代と、“まだまだ若い”人たちからの支持を勝ち取った。

・嫌われている人に学ぶ
誰かから“嫌われている人”を探して、その人から学ぶといいのだと思う。

どの世代からも支持されるような人はたくさんいるけれど、そういう人からは学べない。あの人たちは、単に“素晴らしい人物”だから支持されているだけで、そこから何かを学ぼうとしたところで、“世の中には、すごい人とそうでもない人とがいる”という以上の知識は得られない。

学ぶべきは“嫌われている人”であって、たとえば“若い人からは支持されて、高齢世代からは徹底的に嫌われている”誰かを探して、その人の振る舞いや、持っているものを学ぶのがいいのだと思う。“徹底的に嫌われている”ということは、無視よりも圧倒的に優れた資質であって、その人が持っている特別な何かこそは、恐らくは“そんなにすごくない人”でも、学習して真似るに値する。そういう人たちの身なりや振る舞いは、そのままファッションとして商売の種になる。若い人はそれを支持するし、高齢の人もまた、“嫌うぐらいに無視できない”そうした何かに、どこかひきつけられるだろうから。

・嫌われ者の空白がある
高齢者から嫌われるブランドというものは、世の中にたくさんある。若者に向けてつくられた商品というのは挑発的で、高齢者の反発を買って、若者に支持される。そうした商品はしばしば、高齢世代のある種の人からも支持されて、結果として世代を超えた人気商品になる。

ところが高齢者にむけた商品というのは、どこか薄味というか、お上品な万人向けに企画されたものが多くて、若い人たちは、高齢者向けのそういう商品を見ても、前を通り過ぎるだけで、それを嫌悪しない。

“誰からも嫌われない”商品というのは、同時にたぶん、高齢者からも好まれない。それしかないからそれを使う、という消極的な支持こそ得られるけれど、若い人たちから嫌悪されて、高齢世代にフックする、若い世代のある種の人達も、それを嫌いつつ、どこかそれを使いたくなるような、そういう“嫌われ者”は、あまり見ない。

“これからの高齢者はトライクだ”というキャンペーンというか、仕掛けが行われたことがある。実際に道路を3輪バイクで走っている年配の人を見かけたことがあるけれど、あれは寒そうだった。筋骨隆々とした人でないと、トライクはそもそも似合わないし、田舎の吹きさらしは本当に寒いから、厳しそうだった。

大学時代、部活動の遠征中に、『ランチアラリー037』にぶち抜かれたことがある。一生懸命追いついてみたら、白髪の老夫婦だった。あれはうらやましくて、かっこよかったけれど、『ランチアラリー037』は誰から見てもかっこよくて、敵対するのとは少し違った。

綾小路きみまろや、毒蝮三太夫みたいな芸人は高齢世代に支持されるけれど、若い人たちはスルーする。あの人たちは、おむつカバーみたいな何かであって、ある種の人に必要なものではあっても、それが不要な人にとっては、興味の対象として認識されない。

うたごえ喫茶の復活とか、ああいう懐古趣味的なのもちょっと違う。若い世代があれを見ても、通り過ぎるだけで反応しない。それだと今度は、高齢の人も、懐古を身につける意味がない。

どこかで敵と味方を割るだけの力を持たないブランドは、一定以上の支持を得られない。

・敵に信頼されるには敵を作らないといけない
“敵との信頼関係を作る” *1 ことが大切なんだという。

*1 :ugan95さんのツイート 『Twitter』
http://twitter.com/ugan95/status/27924417220710400

“敵から信頼される”ためには、まずは敵を明確にする必要があって、“俺はお前達の敵だ”なんて胸を張れるだけの何かを持っていない人は、たぶん当の“お前達”からは、絶対に信頼されない。

政治家が誰かをたたいて、それがどこかうそくさく聞こえるのは、“みんなの意思”みたいな、どこにも敵が見当たらない何かを仮想しているからなのだと思う。公務員たたきにしても、起業家たたきにしても、政治家は、“みんなの意思”に基づいてたたく。その政治家が誰の利益を代表して、どういう理由で相手を“敵”だと認定するのか、それを定義できなければ、たたかれる側の信頼も、味方の信頼も得られない。

政治家の人たちに、「あなたは誰の味方ですか?」と尋ねれば、たぶん10人が10人、「国民の味方です」と答える。逆に「あなたは誰の敵ですか?」という質問に、はっきり答えられる人は、もしかしたらそんなにいないような気がする。

「俺は◯◯の敵だ」とはっきり公言しつつ、当の◯◯の中の人もまた、宣言をスルーできず、歯ぎしりしつつそれを信頼する、そんな状況というか、敵味方の切断面を見出すことが、何をするにしても大切なのだと思う。

執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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