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芥川賞作家・柳美里が再びガジェット通信に降臨 ~借金して鎌倉から南相馬へ引っ越しました~

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2014年10月、芥川賞作家の柳美里(ゆう・みり)さんが、月刊誌『創』(つくる)の原稿料未払い問題をブログで告発して話題になった。柳さんは当時、テレビ局などの取材をすべて断る中、ガジェット通信のみに真相を語っている(以下のURLを参照)。

芥川賞作家・柳美里に直撃インタビュー 〜月刊「創」原稿料未払い事件を語る〜
http://getnews.jp/archives/686281


先ごろ、困窮生活と原稿料未払い問題を赤裸々に綴(つづ)った新刊『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』[リンク]を出版。

新刊出版と軌を一にして、神奈川県鎌倉市の自宅を引き払って福島県南相馬市へと転居した。なぜベストセラー作家が困窮生活を送り、そして敢えて首都圏から福島へと引っ越したのか。柳さんが心境を語る。(聞き手=荒井香織/フリーライター)

「貧乏に不服なし」。野垂れ死にが理想

――2014年10月、原稿料未払いが大きな話題になりました。『創』から提示された当初の単価だと未払いは1136万8078円、『創』執筆者への通常の原稿料だと未払いは174万6200円です。11月初頭、最低見積もり額から源泉所得税や著者献本代金などを差し引いた140万8706円を『創』が支払い、未払い問題は決着しました。

柳美里:未払い問題が大騒ぎになったのは、芥川賞をとった有名な作家が、なんでそんなに貧乏なんだ、という驚きからですよね。でも、出版業界では、芥川賞を受賞したからといって、原稿や印税収入のみで食って行けるわけではないというのは常識なんです。それどころか、芥川賞受賞後、5年10年と売れ続けることは至難の業(わざ)です。受賞後に書けなくなって転職した人もいますよね。

そもそも純文学はそれほど多くは売れません。芥川賞受賞作は数万部から数十万部売れるケースもありますが、受賞後の作品はそんなに売れません。歴代芥川賞作家の初版部数の平均って5000部がいいとこじゃないでしょうか。幸いなことに、わたしの初版部数はもうちょい上なんですが、著者が受け取る印税はだいたい販売価格の10%です。わたしが最新小説『JR上野駅公園口』を出版したのは2014年3月ですが、それから1年間本は出していません。我が家は、家族3人と4匹のネコがいますから、1冊の本の印税で生活できるのは、どんなに切り詰めても、3、4か月でしょうね。「作家=優雅な印税生活」というイメージは幻想に過ぎません。余裕のある生活を送りたいと願う人は、作家という職業を選ばないほうがいいと思います。

――柳さんはこれまで『ゴールドラッシュ』や『命』をはじめとするベストセラーを出してきました。『命』については累計100万部を突破しています。「あの時の印税をプールしておけば良かった」とは思いませんか?

柳:まったく思いません。書くことを仕事に選んだ18歳の時から、「宵越(よいご)しの金は持たない」と公言してきました。出した本がベストセラーになって印税がたくさん入ってきた時は、意地になって使っていましたね。貧乏人の家に生まれたので、貯金があると逆に不安になるんです。なんだかとてつもない悪事を働いてるみたいな心持ちになって……。

現在は、貯金ゼロ、借金1億円以上という経済状態で、生活は不安定ですが、精神は安定しています。先のことは考えません。だから、先行き不安になんかならないのです。老後なんて全然怖くありません。理想的な死に方は野垂(のた)れ死にです。所持金ゼロで、胃の内容物が何もない即身成仏のような状態で、誰にも看取(みと)られずに息絶えたいですね。

一般的に安心安全だと思われる生活に嵌(は)め込まれると、わたしの精神は逆に不安定になるんです。気が付くと、いつも背筋が寒くなるような際(きわ)を走っている。そして、時々落っこちます。金銭的にも困窮します。それでいいんだと居直っているわけではないんです。でも、悪いとも思っていない。こういう生き方しかできないんです。だから、不服もなければ、不満もありません。「貧乏に不服なし」です。

――柳さんは15歳の時に高校を中退し、人生の師匠・東由多加(ひがし・ゆたか)さんが率いるミュージカル劇団“東京キッドブラザース”に入団しました。東さんのポリシーは「副業をするな」だったそうですね。もし大学の文学部から「教員になってください」と副業の誘いがかかったらどうしますか?

柳:この性分で、大学という組織に所属するのは難しいでしょうね。そもそも、中卒の人間を雇う大学なんてないでしょう。でも、この歳になって、高卒認定試験を受けて大学に入りたい、大学で勉強したいとは思ってるんですよ。思ってるだけじゃなくて、毎日少しずつ勉強をしています。2014年7月に英検3級に合格したんですよ。快挙です。

『ゴールドラッシュ』の続編や『8月の果て』の続編など、いま構想中の作品を全部書き切ったら、何年か執筆活動を休止するのもいいかもしれませんね。その間は大学生として勉強したり、ヒマラヤや南極やガラパゴス諸島など行きたい場所に行ってみたい。

鎌倉の自宅を売却して南相馬へ引っ越す理由

――柳さんは2002年に神奈川県鎌倉市に新居を構え、14年間にわたって鎌倉で生活してきました。この春、柳さんは家族3人で福島県南相馬市へ転居し、息子さんは地元の県立高校に入学しました。もう鎌倉へは戻ってこないのですか?

柳:鎌倉へは戻りません。鎌倉の家は既に売りに出しています。

『Twitter』で、南相馬移住を発表すると、何故、東京電力福島第一原子力発電所から20数キロしか離れていない南相馬市に、15歳の息子を連れて移住するんだ、という批判のメンションが押し寄せました。「狂ってる」「虐待じゃないの?」「自ら人体実験しに行くとしか思えない」「子供が気の毒だ」「まさに特攻隊」という、南相馬で暮らしている親御(おやご)さんや子どもたちに余りにも失礼な言葉まで浴びせられました。

南相馬に移住する理由をご説明いたします。

わたしは2012年3月から、臨時災害放送局“南相馬ひばりエフエム”で『柳美里のふたりとひとり』という番組のパーソナリティを毎週務めてきました(以下のURLで過去の番組も聴けます)。今まで150回放送し、300人もの南相馬の方々にご出演いただきました。

南相馬ひばりエフエム番組ページ: 柳美里のふたりとひとり
http://bit.ly/1J7n5pf

この仕事は、無報酬で、交通費や宿泊費も出ません。

つまり、自分でお金を工面(くめん)しなければならないのですが、わたしの仕事は定期収入があるわけではないので、借金をして南相馬までの往復の交通費を工面したこともあったのです。

臨時災害放送局というのは、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生した場合に、その被害を軽減するために役立つことを目的とする、あくまで災害時に臨時に機能する放送局です。

『ふたりとひとり』という番組を担当することになった2012年1月の時点では、1年後には閉局されるだろう、と思っていたのです。まさか、3年も続くとは思っていなかった。しかし、わたしは「臨時災害放送局が続く限り、この番組を続けます」と約束をしました。わたしは武士ではありませんが、二言はありません。閉局まで続けなければならないし、続けたいと思っています。しかし、経済的には、非常に厳しい。

転居すれば、交通費と宿泊費はかからないな、と――。

もう一つ、20年間休眠している“青春五月党”を南相馬で再結成したいな、と思ったのです。

“青春五月党”は、わたしが18歳の時に旗揚げした演劇ユニットです。演劇ユニットというのは、劇団のように固定メンバーにあて書きするのではなく、まずわたしが戯曲を書いて、その戯曲に合った演出家を起用し、役者をオーディションするというスタイルなのです。南相馬に通い、南相馬の人々と知り合ううちに、南相馬で芝居を上演したいなと思うようになりました。

しかし、芝居をするとなると、稽古(けいこ)をしなければならないし、初日から楽日まで劇場に居なければなりません。他県での公演も視野に入れています。そうなると、3、4か月は鎌倉の自宅に帰ることができなくなるわけです。息子は15歳、思春期です。単身赴任は避けたかった。そこで息子と話し合いを持ちました。息子は、中学1年生の頃から“福島昆虫ファウナ調査グループ”の一員として、福島県内の“虫屋”たちと共に泊まりがけで福島県中通りや会津(あいづ)地方の昆虫を採集して歩いています。福島には知り合いが多いんですね。息子は意外とすんなりと南相馬の県立高校を受験する決心をしたようです。

わたしは、息子を出産する30歳までは十数回の引っ越しをしてきました。10代、20代の頃は、戯曲や小説を書く時には必ず旅に出て、書き上げるまでは帰宅しない、と決めて温泉宿で何か月も自主缶詰めになっていました。ひとところに腰を落ち着けて暮らすことは、もともと性に合わなかったんです。40代半ばになり、肉体の衰えと共に安定志向のようなものが芽生え、鎌倉での生活に慣れ親しみ、自宅の家や庭に愛着を覚えつつあることに、危機感を抱いていました。

鎌倉の自宅を売ると決めた瞬間、気持ちがとてもラクになりました。鎌倉の地に伸びていた根っこを引っこ抜き、再び根無し草として漂泊することになったわけですが、晴れて自由の身になった、というのが実感ですね。南相馬ライフ、楽しくてたまりません。南相馬は食材が豊かで、安くておいしい店がたくさんあるので、この2週間で3kgも肥(ふと)ってしまいましたが、引っ越し荷物の片付けが済んだら、ランニングを再開して減量するつもりです。わたしの南相馬移住を「狂ってる」とか「特攻隊」などと揶揄(やゆ)する方々のご期待には沿えませんが、わたしたち家族は非常に健(すこ)やかで、笑顔の絶えない日々を送っています。

奇跡的に見つかった築60年超の一軒家

――南相馬の新居は、ずいぶん急なタイミングで入居が決まったそうです。

柳:息子が自転車通学できる場所にある家を借りることができたのは、奇跡です。現在の南相馬には賃貸物件は皆無なんですよ。原発事故によって避難区域に指定された自治体から転居してきている人も大勢いますし、原発の収束作業や、除染や、津波被害の復旧工事に従事する作業員寮も全く足りていないのです。

“南相馬ひばりエフエム”ディレクターの今野聡(こんの・さとし)さんが桜井勝延(かつのぶ)市長に掛け合ってくれて、復興支援者という扱いで仮設住宅の空き室を貸していただけることにはなったんですが、仮設では動物の飼育は禁じられているんです。我が家にはネコが4匹います。どのネコももうじき10歳で、人間の年齢に換算すると還暦ぐらいですかね。いつ何時、病気になったり死んだりするかわからない年齢なので、ひとに預けるわけにはいきません。

仮設住宅から息子を通学させながら賃貸物件が空くのを待つにしても、ネコ飼育可の物件はまず出ないだろうな、と頭を抱えていました。

その時、閃(ひらめ)いたんです。『ふたりとひとり』に出演してくださった石川建設工業の石川俊さんです。石川さんの会社は、原発事故直後、自衛隊や消防隊が行方不明者の捜索を行う前に、道を塞(ふさ)いでいた瓦礫(がれき)を除去する作業を担当し、現在も復旧工事を行っています。作業員宿舎として確保している一軒家があるのではないかと思ったのです。

石川さんに事情を説明したところ、前日にお父さまが亡くなられたという最悪のタイミングだったにもかかわらず、「なんとかがんばってみます」というお返事をいただきました。

そして、原発事故直後に作業員たちが寝泊まりし、その後空き家になっていた一軒家を月6万円の家賃で貸していただけることになったのです。築60年以上経っているため、わたしたちが転居したら取り壊すということで、ネコ4匹と一緒に暮らしてもまったく問題ありません。

下見に行った時、なんと勝手口の木戸が開けっぱなしになっていたんですよ。そのせいで、雨風が吹き込み、動物が侵入していた形跡もあり、畳はかなり傷んでいました。ふすまや障子(しょうじ)は破れ、窓ガラスは割れ、床も一部抜けていて、天井にも穴が開いていました。風呂釜(がま)も壊れて使えませんでした。人が住める状態にするために、多額のリフォーム代がかかりました。

――リフォーム代以外に引っ越し費用もかかります。経費はどうやって工面しましたか?

柳:息子の高校の制服代や学用品代やその他の費用を含め、信頼する知人に借金をしました。

「生きる時間を生き抜き、書ける時間を書き抜くしかない」

――新刊『貧乏の神様』の中で、柳さんはご自身のことを「原稿執筆労働者」と表現しました。

柳:日中原稿を書いている時も歯を噛(か)み締めていますし、眠っている時も、切迫感や焦燥感が抜けないんでしょうね、やっぱり歯を噛み締めてるみたいです。毎朝、カリカリッ、カリカリカリッっていう自分の歯ぎしりの音で目覚めるんですよ。寝てる間に歯を歯で噛み砕いちゃうんでしょうね、朝目覚めると、口の中の歯の破片をペッと吐き出すこともあるし、歯のエナメル質が磨(す)り減って冷たいものを飲むとしみるんです。歯茎も相当やられています。これ以上悪化すると、歯を抜いて、入れ歯にするしかなくなるので、3年前からマウスピースをつけて寝てるんですが、そのマウスピースも、半年も使わないうちに穴が空いちゃうんですよ。

執筆生活30年にもなると、長時間座り続けているから椎間板(ついかんばん)ヘルニアを患(わずら)い、何度もぎっくり腰で起き上がれなくなっています。実は、今回、ヤバいんですよ。引っ越し、本の段ボールだけで150箱ですよ。ぎっくり腰、秒読みです。くしゃみをするのにも柱や手摺(てすり)につかまり体を支えなければならないほどの痛みなんです。あと、膀胱炎(ぼうこうえん)にも悩まされています。膀胱炎を患ったのも30年前、10代からの長いお付き合いになりますね。

“青春五月党”で最初の6本は自分で書いて演出したんですよ。稽古(けいこ)中、役者は自分の出演シーン以外の時にトイレに行けますが、演出家のわたしが席を立ったら、稽古が中断されてしまいます。おしっこ、極限まで我慢してましたね。20代半ばから小説に軸足を移したんですが、常に締め切りに迫られていましたから、トイレに行く時間を惜しんで書き続けていました。膀胱炎を患ってばかりいるから腎臓はボロボロでしょうね。出血性胃炎と十二指腸潰瘍(かいよう)で喀血(かっけつ)して、何度も入院しているし、ね。

まぁ、生きる時間を生き抜き、書ける時間を書き抜くしかない、とわたしは思っています。

柳 美里
ゆう・みり 1968年茨城県土浦市生まれ。高校中退後、東由多加率いる劇団「東京キッドブラザース」に入団。役者を経て、86年に演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田國士(くにお)戯曲賞を最年少で受賞。97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。著書『フルハウス』(泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞)、『ゴールドラッシュ』(木山捷平〈しょうへい〉文学賞)、『命』『8月の果て』『自殺の国』『JR上野駅公園口』他多数。近著『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』。

写真撮影:小島愛子

【参考】芥川賞作家・柳美里に直撃インタビュー
〜月刊「創」原稿料未払い事件を語る〜(2014.10.22)
http://getnews.jp/archives/686281 

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