「宝くじを買う人は愚か者」説の真偽を確かめ、ついに最終結論を得た(ココロ社)
今回はココロ社さんのブログからご寄稿いただきました。
「宝くじを買う人は愚か者」説の真偽を確かめ、ついに最終結論を得た(ココロ社)
宝くじ研究家(研究しすぎた結果、買わなくなるほどの本物の研究家)のココロ社より愛をこめて……
「宝くじは愚者の税金だ」という言葉を知っているにもかかわらず、わたしは何度か宝くじを買ったことがある。そのうちの少なくとも一回は、どうせ当たらないのだから、当選したかどうかを確認するのは時間の無駄と思って、確認しないまま捨ててしまったので、その意味で、まさにわたしは愚者税を払ったのかもしれない。しかし、愚かであるというハンディキャップを持ちながら健気に生きているのだから、そこを評価してもらい、むしろ賢者から税金を取ってわたしのような愚者に再配分した方がよいのでは、と思ったが、よく考えてみると、それは世に普通に存在するZEIーKINそのものではないか……ということに気づくのにも時間がかかってしまったので、わたしは筋金入りの愚者なのかもしれない。
―そんな感傷はさておき、「宝くじは愚者の税金」論を語る人の多くが、その根拠に、期待値が低いことを挙げている。宝くじ当選金の期待値は1枚につき150円程度で、それに1枚300円を費やすのは愚かである云々……。
「期待値の定義を確認する」という遊びをしよう
「期待値」という言葉は中学数学で習う概念で、「その試行の結果の平均値」である。たとえば、サイコロを振ったときに出る目の期待値は3.5である。しかし、一般的に「期待値」とは「ある事象が起こってほしいと願う強さの度合い」を示すことが多い。ぼくは「期待値が上がる」などと、無理に数学的表現を使うのではなく、単純に「期待する」などと表現すれば事足りると思ってもいるのだが、細かい人と言われるのも癪なので、誰かが「『今度飲みに行きましょう』って言ったら『行きましょう』と返事されたので、ついつい期待値が上がってしまうものだよねぇー?」と問いかけられたとしても、「それで本当に期・待・値が上げられるなら絶対ノーベル賞がもらえるよ」などと嫌味を言ったりはしない。空気を読んで、「よっぽど嫌いでない限り『行きましょう』と答えるよ。このあと日程を調整するときに『忙しい』を連発されるかもしれないけど」と答えることだろう。
話を宝くじに戻すと、宝くじの当選金の期待値は1枚あたり約150円であるといわれている。つまり1枚当たり150円を捨てていることになるのだが、期待値だけを基準にして行動するのであれば、人生における期待値は家も持てず仕事に苦しみ……なので、頭のいい人は大学を出たあたりでさっさと首を吊るものであり、生きている者は全員愚か者だ、ということになってしまうが、そうしていない人の方が多い。つまり期待値の多寡は行動のキーにならないこともあるのである。
憂鬱になるようなたとえは措いておき、より宝くじに近いケースを考えてみよう。
200円で販売されているシベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケットがあったとして、
(1)じゃんけんに勝ったら250円もらえるが、負けたら何ももらえない、シベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケット
(2)8桁以下の数字のうちから1つ選び、値が一致すると20億円もらえるが、一致しなければ何ももらえない、シベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケット
のどちらかを買わねばならない。もし買わなかった人は、誘拐して耳にスピーカーを埋め込む手術を施され、日本の歴代総理大臣の喘ぎ声を絶え間なく流し続けるぞ(ただし初代総理大臣伊藤博文~11代総理大臣桂太郎の喘ぎ声は、音声が残っていないため、写真からコンピューターで計算して出力したもので代用)、と脅迫されたらどうするだろうか。(1)の当たり金額の期待値は125円で、(2)の当たり金額の期待値は20円。単純に期待値の大小で決めるのであれば、(1)を選ぶはずだが、この条件なら(1)を選ぶ人は少ないはずだ。つまり、確率が低くても、当選した時の金額が大きければそのくじに魅力を感じることもある。
その意味で、宝くじを買う人が言う「買わなきゃ当たらない」が、それなりに妥当ではあるのだった。
なお、宝くじの当選と交通事故を比較する人のことは好きだが、変態だと思う
なお、この話とは直接関係ないが、宝くじの当選確率の低さを「交通事故よりも低い」と表現する人がいるが、そのたとえを持ち出すことは不適切であると指摘しておく。たしかに、1年のうちに、交通事故で死ぬ確率は、4500人/127080000人で、交通事故の方が確率が高いし、感覚的にとらえても、交通事故で亡くなった知人の1人や2人はいることを考えると、宝くじの1等の当選確率は極めて低いので、言っていること自体は正しいのだが、不幸な事柄である交通事故と幸福な事柄である宝くじの当選の確率を比較し、不幸なことが起こる確率の方が高いことを示しても、気が滅入るだけではないだろうか。
それでもなお、わたしは宝くじを買わないだろう
以上、「期待値が低いから、宝くじを買うべきでない」説に欠点があることを横道にそれながら考えてきたが、それでもなお、わたしはもう宝くじを買わないと思う。
理由は簡単で、「宝くじのようなものを毎日無料で引いているから」だ。
人は、無意識にさまざまな試行を行っている。ざっと考えただけでも下記のような試行があるだろう。
・ある日、会社の社長が料亭で食べたふぐの白子に元気で紐に似た寄生虫がいて、白子が好きな社長はそれを丸呑みした。会社で社長とすれ違ったとたん、社長の脳を新居とした寄生虫が口蓋の神経に触れ、はからずも「キミよく頑張ってるね。お小遣いとして7億円あげよう」と社長が発音することに……「まあ自分の意志でないような気もするが、言ってしまったものは仕方ない」と渋々7億円を給与振込口座に振り込んだとさ。
・話があると言われて実家に帰ったら、玄関を開けた途端にガソリン臭にむっとした。もしかしたら一家心中のお誘いだったのか?とヒヤリとし、まあ自分自身人生うまくいってるわけでもないし、一家で同時に絶命するなら寂しくないからいいのかも……などと思いながら話を聞いてみると、家の庭から石油が噴出しているとのこと。本格的な採掘を依頼したら小規模ながら油田があったとのことで、その先お金に困ることはなかったとさ。
・漬物をよく見たらキリストの像が……ただちに冷凍してオークションに出したら1億円の値がついたのだが、そのオークションの落札画面を薄目で見たら、これもまたキリストの像に見える!そのスクリーンショットをテレビ局に売るとともに出演もしたのだが、出演しているシーンもまた薄目で見たらキリストの像に……と、永遠にキリスト像に見えるループに嵌まってしまい、けっきょく自分自身がキリストの再来であると噂されるようになって無限の富を得ることとなったとさ。
・山道を歩いているときに猛烈な便意に襲われ、これはたまらんと思って林の中に入って用を足したら、足元に、お寺のマークに似ているがなんとなく逆な感じの胸騒ぎのするマークが……もしやと思って掘ったら、マジックで「ヒトラー私物 開けるな」と書いてある金庫で、間違いなくナチスの財宝。7億円相当の中身を全額手に入れる権利を法的に得たものの、これをそのまま受け取って悠悠自適というのは倫理的にどうなの……と思っていたら、みのもんた氏や板東英二氏が、「権利は主張すべきだし、財宝を受け取ることを恥じてはならない」と番組で援護してくれたので、世間から後ろ指を指されることなく大金を手にすることができたとさ。
・雨の日に近所を歩いていたら、びしょびしょになった柴犬を発見。柴犬って毛足が短いから、濡れたときのみすぼらしさは大したことないなー、ヨークシャテリアとか体積が半分になっていて即保護しようと思うけど……などと頭では思いながらも身体は正直で、柴犬を持ち帰って飼うことになった。ある日、家に帰ってきたら犬がレシートを持って手としっぽで数字を表現しようとしている風で、その数字はなんと各レシートの合計金額と合致!計算ができる犬であり、特に平均的には頑固であるとされる柴犬だったものだからテレビにひっぱりだこで、たちまち犬はスターになり、大金を手に入れたとさ。
ネタが尽きたのでこのあたりでやめにしておくが、このような事象が起きるくじをわれわれは毎日引いているはずで、ただ、毎回当選していないからくじを引いていること自体に気づかないだけなのだ。もちろんこれらの事象が起きる確率は極めて低く、起きることはないと断言してもいいくらいだ。まさに宝くじが当たったかのような話である。
以上のように考えて、「宝くじを買う人は愚か者ではなく、お金持ちである」という結論を得た。
わたしは、毎日無料で宝くじ状のものを引いているのに、それに加えてわざわざお金を出して宝くじを買う必要はないのでは、と思い至って、宝くじを買うのをやめるのに成功したのだった。
しかし、今日もさまざまな宝くじ状のものを引いて外れたと思うが、早く何か当たってほしいと思う。
わたしは先進国に生まれる宝くじに当選しただけで終わってしまうのだろうか。そう考えるとまあいいやという気もするが。
執筆: この記事はココロ社さんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年12月26日時点のものです。
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