ネットで「表現」を禁止しようとする人は(メカAG)

ネットで「表現」を禁止しようとする人は(メカAG)

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

ネットで「表現」を禁止しようとする人は(メカAG)

よくネットで「馬鹿」とか「死ね」とかそういう言葉を禁止しようとする人がいる。そういう人たちは何を嫌悪してるのだろうか。粗野な表現しかできない相手の知的水準だろうか。

まあ確かにそういう表現を多用する人は、あまり知的水準が高そうに見えないし、思慮も浅そうに見える。だからといってそういう表現を使わない人の知的水準が高かったり思慮が深いかというとそうでもないが。

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相手の表現力で足切りしようというのは、たとえば小学生を足切りするのと同じではなかろうか。小学生は語彙が少ないから、どうしてもそういう表現を多用することになる。

んで当然小学生のような知的水準には不向きな場はある。難しい議論の場に小学生がいても当の小学生を含めて誰にとっても得にならない。同じ理屈で粗野な表現手段しか持たない人間は難しい議論の場にいても、当人にとっても周囲にとっても、百害あって一利なし、と。

そういう理屈なら、ある程度わかるのだが、そういう理解でいいんですかね…。それともまた別な理由なのだろうか。

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一応断っておくが、俺は難しい議論の場に小学生がいるべきではないと言ってるのではないので、念のため。著しく議論の妨げないならないなら、むしろいてもいいと思っている。小学生にとって勉強になるしね。また著しく議論の妨げになるのは、なにも小学生だけではないし。

どう表現したらいいかがわからないだけで、小学生でも精一杯自分の頭の中にある「何か」を表現しようとしているのかもしれない。とはいえ会社の会議室や裁判所あるいは葬式会場など厳かな場で小学生が騒がれても困るのは事実。ただそういう場というのは、もともと発言できる人間が限られた場でもある。小学生だからというわけでもないように思う。

もうひとつ気になるのは、小学生を嫌う人でも、自分の味方の小学生は歓迎することが多いという事実。小学生が複雑な議論が理解できないのは同じはずなのだが、たまたま自分の味方になってる小学生がいると喜ぶ。むしろ「この問題を小学生にも考えてほしい」とか言ったりする。でもその結果、自分に同意してもらえないと「この問題は小学生に理解できるような簡単なものじゃない」と手の平を返す。生徒が期待通りの答えを返さないとヒステリーを起こす小学校の先生のよう。

小学生(素人の国民)にも考えて欲しいなら、やっぱ小学生がギャーギャー騒ぐのも我慢しなきゃいけないし、それが嫌なら分別をわきまえた大人(専門家)だけで、小学生をシャットアウトした場で、議論するしかないと思うんだけどね…。それとも大人が望んだ通りの答えを言う小学生を求めてるんですかね。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年09月22日時点のものです。

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