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赤いアフリカの覚醒ーLuanda, Angola(アフリカさるく紀行)

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今回はSusumuAfricaさんのブログ『アフリカさるく紀行』からご寄稿いただきました。
※すべての画像が表示されない場合は、http://getnews.jp/archives/614077をごらんください。

赤いアフリカの覚醒ーLuanda, Angola(アフリカさるく紀行)

アンゴラはコンゴ共和国とコンゴ民主共和国に挟まれた飛び地カビンダとコンゴ民主共和国の南部に位置する本土に二分されています。私たちはコンゴ共和国からカビンダ、コンゴ民主共和国を経てアンゴラ本土に入るルートを選択しました。

カビンダの休日

コンゴ共和国のポアントノワールから1時間ほどでカビンダのボーダーにたどり着きます。カビンダは海岸線が200kmに満たない、アンゴラ本国と比較するとかなり小さい飛び地ですが、この海岸線に点在する油田のために重要視されています。

コンゴ共和国とのボーダーからおおよそ半日でコンゴ民主共和国へのボーダーへたどり着きます。カビンダの道路は比較的上等に舗装してあり、快適なドライブでした。海岸線にはマングローブの木々が折り重なるように葉を茂らせていました。その林の先には石油採掘プラントが見えます。

コンゴ民主共和国へ到着しカビンダを出国しようとしたところ、なんと祝日と週末のために3日間出国できないことがわかりました。なぜ入国できたのか、よくわかりませんが、この小さな飛び地で袋小路になってしまいました。

カビンダでは路上で少量の玉ねぎ、トマト、チリを売っている以外は、マーケットのようなものを目にすることはありません。ときたまバーがあったり、ガソリンスタンドに併設されている小さなお店くらいしか現金が流通する場はないように思います。

この国境での休日はなかなか貴重な体験でした。私もメンバーもポルトガル語を話せる人は一人もいないので、ジェスチャーや片言のリンガラ語で会話することになります。国境にポツンと立っている小さなバーでリンガラ・ポップスとコーラ(私はお酒は飲めないので)に酔いしれました。また、近所のおばちゃんがコンロを貸してくれたり、料理を見せてくれたりと、珍客を手厚くもてなしてくれました。

そんなカビンダの国境に3日もいるとなんだか別れが名残惜しくもなってきます。はっきりいってバーと税関以外には何も建物が見当たらない味気ない場所ですが、この地で毎日生きている人の生活を教えて頂き、招いて頂き、一緒に酒(私はコーラですが)を酌み交わし、踊った思い出は一生忘れないと思います。
地図の上では小さな小さなカビンダですが、そこには石油バブルにより高騰するアンゴラ経済とは無縁の、慎ましやかに、でも日々の生活を全うしている人々がいました。地図だけでは見えてこないアフリカの姿を少し覗けた気がします。



(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
http://px1img.getnews.jp/img/archives/2014/07/016.jpg
http://px1img.getnews.jp/img/archives/2014/07/025.jpg

アンゴラをゆく

コンゴ民主共和国のマタディを抜けてアンゴラ本土へ入ると、しばらくして熱帯雨林地帯から乾燥帯へと変わっていきます。道路も粘土質の赤土跳ね返るオフロードから、砂埃舞うハイウェイに変わっていきます。

下校中の生徒たちはみなお揃いの白衣を着ています。ひょこひょこ歩く年少の子まで、みな小さなお医者さんのような格好です。この白衣がアンゴラ共通の学校の制服のようです。アンゴラ全土で白衣を着た子どもたちをよく目にしました。

首都のルアンダへ続くハイウェイではこれでもかというほど中国人ドライバーのトラックに出会いました。また、中国語で書かれている看板も至る所にあり、その数や大きさはこれまで旅してきたどの国も遥かにしのぎました。アンゴラの公用語はポルトガル語の次に中国語じゃないのかと、冗談抜きに考えさせられるほどです。
腸炎のため休養中だったツアーリーダーを迎えにルアンダ空港へ行くと、ここも中国人で溢れ返っています。ツアーリーダー曰く、自分以外の外国人はみな中国人だったそうです。アンゴラ人よりも遥かに中国人の数が多いので、ここは中国の空港じゃないのかと疑ってしまいます。(おそらく中国援助で作られた空港なのである意味正解ですが・・。)

赤いアフリカの受難

空港の正面にはアンゴラ初代大統領のネトの像が建っています。彼はマルクス主義を唱えて社会主義を推し進め、ソ連とキューバに近づきました。1975年のアンゴラの独立当初はまだ南部アフリカの解放運動激動期でした。ナミビアは南アフリカ白人政権の植民地にされており、また現在のジンバブエは白人政権のローデシア共和国と呼ばれていました。

そんな依然として白人支配が続く南部アフリカにおいて同時に独立したポルトガル植民地のアンゴラとモザンビークはどちらも社会主義路線をとりました。南部アフリカを囲む2つの国が独立し、社会主義路線をとることは、南部アフリカ白人政権にとっては文字通り目の上のたんこぶでした。

そのため、独立後の両国は南部アフリカ白人政権からの多大な妨害を受け続ける苦しい立ち上がりでした。また、現在においてもその影響が随所で垣間見えます。そんな苦悩な日々を歩んできたアンゴラもようやく戦争が終息し、中国支援とオイルマネーで着実に実力をつけてきています。

「アンゴラ観光」の可能性

大西洋が蒼々と輝くルアンダの港には巨大タンカー船が無数に停泊しています。そんな港も少し離れると、美しい海岸線が見えてきます。アンゴラの旅の見所は何と言っても唯一無二の美しい地形です。

海岸線は何千年にも渡って浸食されたであろう浸食帯が地球の歴史を感じさせます。またルアンダより少し北へいくと地球が刻んだ年齢がありありと見て取れるような地層が鮮明になっている美しい無人のビーチに出会えます。また南部のルバンゴを越えるとテーブル状の青い山が連なっています。そして、さらに南下するとナミブ砂漠へと繋がる白き砂漠地帯が現れます。

アンゴラの持つ地形の多様性は自然豊かなアフリカ諸国の中でも群を抜いているように思います。また、これらの地形は特に観光地とされているわけでもないし、保護されているわけでもありません。「手つかず」のまま、人々を感嘆させる地形がアンゴラには点在しています。

「観光地アンゴラ」はまだまだほとんど知られていませんが、インフラが充実しているこの国は、石油に次ぐ第二の外貨収入として観光が持つ可能性はかなり大きいように感じます。ただし、収まらないインフレも相まって広がり続ける経済格差問題や各国との国境付近における治安の問題も不安を抱えています。

赤いアフリカ、アンゴラは、他のアフリカ諸国と比べて少なくともオイルマネーという点では恵まれています。また、「観光地」としての可能性も秘めています。ただし、モノは使い方が大事であり、オイルマネーがアフリカ中で蔓延している「資源の呪い」に変わる可能性も少なくありません。中部アフリカと南部アフリカを繋ぐ目覚た獅子アンゴラは、その一挙手一投足でいかようにもサブサハラ情勢を変える力を持っています。私はその一挙手一投足をしっかり見定め、アンゴラの未来を、アフリカの未来をしっかり見定めていきたいと思います。

執筆: この記事はSusumuAfricaさんのブログ『アフリカさるく紀行』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年07月04日時点のものです。

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