レティシア書房が選ぶ一冊:物語のなかを旅したい人に 梨木香歩の最高傑作『海うそ』
「レティシアという名前を聴いてピンとくる人はだいたい40〜50代の人ですね」。
「レティシア」は、1967年公開のフランス映画『冒険者たち』の美しいヒロインの名前です。レティシアは、若くハンサムなパイロット(アラン・ドロン)と、元・カーレーサーでエンジニアのおじさま(リノ・ヴァンチュラ)のふたりの男に愛される前衛的な芸術家。美貌の人気女優・ジョアンナ・シムカスが演じ、映画ファンを魅了しました。
『レティシア書房』の店主・小西徹さんもまた、青年時代に彼女に魅了されたひとり。今は亡き愛猫、そして2012年に始めた古本屋さんにも「レティシア」の名をつけています。
「名は体を表す」と言いますが、お店の名前にも店主やお店そのものが映し出されます。店主が若き日に心惹かれた映画のヒロインの名前を選んだ古本屋さん『レティシア書房』はいったいどんなお店なのでしょうか。
「店をやめた後に読みたい本」だけを本棚に並べる
小西さんは、かつて京都の音楽好きの若者が通った『YURINA Records 詩小路店』、コアでポップな品揃えでファンを集めた『YURINA書店 北山店』の店長などを歴任。数十年間にわたって新刊書店の世界に身を置きながら、個性ある店づくりにチャレンジしつづけてきた人です。
新刊書店とは、いわばウェブの世界におけるポータルサイトのようなもの。雑誌やコミック、ビジネス書など、あらかじめ必須とされているカテゴリを網羅することが求められます。そのため、店長さんとしてはコーナーごとの特色を出せても、店全体としての個性を出しづらいというジレンマに陥りがちです。小西さんは、「自分のやりたいお店と会社としてのお店のはざまで悩まざるを得なかった」と当時を振り返ります。
「最近新しくできた古本屋さんは、それぞれに個性を持とうとしてはるやん? 店主も、お店のたたずまいも、本も、お店全部が財産になるような感じでやったはる。やっぱり残って行くのは、伝えたいことがわかるお店だと思います」。
小西さんの『レティシア書房』もまた「伝えたいことがわかる」お店。本棚をひととおり見渡すと、「どんな本が読みたいときにこのお店に来るといいのか」がはっきり見えてくるのです。
「うちのお店で売れている小説家ベスト3は、梨木香歩、須賀敦子、池澤夏樹。小説家以外を含めたら、写真家の星野道夫、ミュージシャンの忌野清志郎でベスト5かな」。
小西さんの選書の基準は「いつか自分がお店を辞めたとき、この部屋でゆっくりと読みたい本かどうか」。「自分が興味のある本、読みたい本じゃないと人に勧めることができないから」という小西さんの考え方は非常に明快なのです。
「自分の好きな世界があるお店やと思ってくれるお客さんが、居心地よく安心して来てくれはったらええかなと思ってるから」。
古いけど新しい“古本屋業界のニューウェーブ”とは?
小西さんは、“昔ながらの古本屋さん”の店主に言われたことがあるそうです。「あんたらは古本屋のニューウェーブや」と。
“昔ながらの古本屋さん”は、古書籍商業協同組合(古書組合)に所属して組合内の市で仕入れを行ったり、古本まつり(即売会)を開催・運営するものでした。しかし、若く新しい古本屋さんの多くは古書組合には属さず、仕入れはお客さんからの買い取りが中心。カフェやギャラリー、雑貨販売スペースを併設するスタイルが定番化しつつあります。書店業界での経験が長い小西さんは、本屋業界全体の動きを冷静に見つめています。
「きれいなカフェに絵本と洋書、みたいな画一的なパターンになりつつあることには懸念がありますね。出版取次会社(*1)が新刊書店にブックカフェ開設を勧めているという話もあるけれど、金太郎飴書店(*2)ならぬ金太郎飴ブックカフェができていくだけやないですか」。
もうひとつ、“ニューウェーブ”な古本屋さんたちは、それぞれのお店やイベントで一箱古本市の頻繁に開くことも特徴のひとつ。小西さんは、「うちでもやっているし、盛り上がっているけれど、各店舗の個性が出せなければ多様性が失われてしまう」と足元を確かめることを忘れません。
「やはりお店が一番大事です。他の古本屋さんのオーナーも言っていたけれど、ゆっくり構えて、流されずにお客さんを増やすための研鑽をしないと。そうすれば、お客さんも向上するし、お店もまた向上する。本を売ることよりも、お店を売ることを考えていかないとだめですよね」。
新刊書店と古本屋の新しい動きを俯瞰する目線は、新刊書店業界で数十年働いてきたプロならではのもの。「モノを売ることよりも、お客さんを増やすための努力をすべし」という言葉は、他の業種の仕事にも通じるのではないでしょうか。
*1:出版社と書店をつなぐ流通業者。日本出版販売(日販)、トーハンなど。
*2:出版取次会社がジャンル別売れ行き良好書を選定し構成したセットを書店に提供することにより、全国の書店店頭の商品構成が似たりよったりになる状態を指す。
レティシア書房が選ぶ一冊:梨木香歩の最高傑作『海うそ』
書名:海うそ
著者名:梨木香歩
出版社名:岩波書店
今回、小西さんがお店の本棚から選んでくれたのは『レティシア書房』で一番人気の小説家・梨木香歩の最新作『海うそ』です。自らも梨木作品を愛読する小西さんが、「この人はこれからもっとすごい作品を書かはると思うけど、『海うそ』は間違いなく現時点での梨木香歩さんのベスト作品」と太鼓判を押してくれました。
梨木香歩は『西の魔女は死んだ』でデビュー。当初は児童文学作家として知られていましたが、近年は一般向けの小説作品を発表しています。『海うそ』の舞台は、南九州の小さな島。戦前に主人公の地理学者(秋野)が調査に訪れるのですが、島のなかを探索するシーンでは「まるで南の島を歩いている感じになる」と小西さんは言います。
「この洞窟の奥にはひょっとしたらなんかいるんじゃないか? とかね。ほら、宮崎駿監督の『となりのトトロ』に出てくる森があるでしょう? 森羅万象に神が宿るというけれど、そういう世界を深くねっとりと描いてあって。この人はほんとに、この世のものとあの世のもののちょうど中間のぼんやりしたところを書かせるとすごくうまいんですよねえ」。
物語のなかで、主人公は戦後50年を過ぎて再びこの島を訪れることになります。戦争が終わって、日本という国が経済大国になり、島も開発されて精霊が宿るかのような深い森も壊されてゆきます。でも「ただ、島が開発されてどうのこうのって話でもないねん」と小西さん。50年の年月を経て同じ島にやってきた主人公が見たのは、いったいなんだったのでしょうか?
若い頃は感激や昂奮が自分を貫き駆け抜けていくようであった。今は静かな感慨となって自分の内部に折り畳まれていく。そしてそれが観察できる。若い頃も意識こそしなかったものの、激する気持ちは自分のなかに痕跡くらい残したのだろうが、今は少なくともそのことを自覚して静かに見守ることができる。
『海うそ』梨木香歩 より引用
南の島という土地、この世とあの世の間にある世界、50年という時間が過ぎていった人生、記憶。一冊の本のなかに、たくさんの旅路が待ち受けていそうです。思えば、読書というのは移動せずにする旅のようなもの。「ひさしぶりに本を読んでみようかなあ」と考えている人に、ぜひ手に取っていただきたいと思います。
レティシア書房について
店名:レティシア書房
住所:京都市中京区高倉通り二条下がる瓦町551
電話番号:075-212-1772
営業時間:12時〜20時(月曜休)
ウェブサイト:http://book-laetitia.mond.jp/
梨木香歩、須賀敦子、池澤夏樹、星野道夫、忌野清志郎などのほか、やわらかめの文化人類学や民俗学に関する書籍も。「売ろう、売ろう」と迫ってくる新刊書店(一部)の本棚とは違い、手元において読み返したくなる本ばかりが並んでいる本棚のおだやかさにホッとする。。全国から集まってくるミニプレス幅広く取り扱っている。渋めのCD・レコードもあり。併設のギャラリーでの催し物も見逃せない。
京都在住の編集・ライター。ガジェット通信では、GoogleとSNS、新製品などを担当していましたが、今は「書店・ブックカフェが選ぶ一冊」京都編を取材執筆中。
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