血液型占いが納得いかない
私は血液型占いに、昔から素直に首肯出来ないものを感じていました。
占い自体を否定する気はありません。
ありませんが、人間の気質は4種類に限定できるという主張がどうも嫌なのです。
そんな占いは他に例がないでしょう。
(余談ですが、筆者は25歳ぐらいまで自分の血液型を知りませんでした。自分の血液型を知ったのは初めて献血したときです。)
これは世間で意外と知られていない事実ですが、血液型占いはなぜか日本でのみ一般化した占いで、血液型の話で盛り上がれるのは世界中探しても日本だけです。
もし、異文化交流の機会があったら、血液型の話を時候の挨拶感覚でするのは賢明ではありません。挨拶感覚で血液型を聞いたら、“It’s none of your business!!!”と言われてしまったなんて話もあるので。
血液型占いが好きになれない理由が他にもあります。
歴史の匂いや、占星術や手相などの占い特有の神秘性がないことです。私は占い自体一切信じないタイプの堅物なのですが、占いの持つ歴史的、文化的側面には興味があります。
占星術は古代バビロニアにまでさかのぼる歴史の匂いがあり、タロットの神秘主義的側面には厨二心をくすぐられます。
血液型占いにはそういう、文化的歴史的な匂いが希薄です。その辺、どうしても素直に興味を掻き立てられないんですよね。
血液型の歴史と変遷
さて、そもそも今日の血液型占いは1970年代に文筆家の能見正比古が広めたものですが、実は血液型そのものの歴史も結構浅く、1900年にオーストリアの病理学者で後にノーベル賞を受賞するカール・ラントシュタイナーが発見したものです。
また、意外と知られていないことですが、血液型は、輸血実験が行われるようになって大分経ってから発見されました。
「違う型の血液を輸血すると危険」というのは今では常識ですが、まだ血液型が発見されていなかった当時、輸血治療が行われるたびに、頻繁に被験者が生命の危機におそわれることがあったそうです。(違う型の血液同士が混ざると凝固がおきるそうです。危ないですよね。1897年に発表されたブラム・ストーカーの『ドラキュラ』には生体間輸血の描写がありますが、ここでは血液型の違いの話は当然出てきません。時代を感じますね)
人間から人間への輸血を最初に実践したのはジェイムズ・ブランデルというイギリス人の医師で、1818年から1829年にかけて、輸血の実験を何度も繰り返したそうです。その後も、輸血治療は行われていましたが、当然のことながらあまりにも危険だったので、1875年以降には生理食塩水(体液に近い濃度の食塩水)に取って代わられ、急激に利用されなくなりました。(余談ですが、海兵隊で教えられるサバイバル技術に、水と食塩で点滴を作るというのがあるそうです。)
20世紀初頭になるとアレクシス・カレルやジョージ・ワシントン・クライルが研究を重ねようやく人から人への輸血技術は今日の形へと成り立っていきます。
血液型性格診断の根拠
このように失敗と経験則により発展を遂げてきた血液型の歴史ですが、医学的な見地において、パーソナリティーへの影響は一切ありません。
血液型性格診断は、型の違いによる体質の違いが性格に影響するというかなりトンデモな理屈を根拠としており、実際のところ、ヒポクラテスの四体液説やエーテル理論のような疑似科学に過ぎません。
医学的根拠の薄弱さ、歴史の浅さによる神秘性の欠如。好みって言っちゃえばそれまでですが、どうも血液型占いって好きになれないんですよね。
と、脱線しつつもすごくどうでもいいことをくどくど論証してきましたが、血液型占いが好きという人を論破してやろうとか、否定してやろうという気は毛頭ありません。
これがただのスモールトークであることを主張しつつ、この辺で筆をおきたいとおもいます。
(画像・足成より)
※この記事はガジェ通ウェブライターの「ランボー怒りの深夜勤務」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
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