山根一眞氏「東京のそうじ」との奇妙な一致点……佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る(第6回)

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表紙

かつての取材仲間の著作からも

今回はノンフィクション作家・山根一眞氏の著書『ドキュメント 東京のそうじ』PHP研究所、1987年12月刊行と佐野眞一氏の『日本のゴミ』講談社、1993年8月刊行を比較検証したい。
山根氏と佐野氏は1947年生まれで同い年、未だ若かりし頃に、小板橋二郎氏のもとでデータ記者として切磋琢磨した関係でもある。
山根氏が「一真」いう名前から「一眞」に表記を改めると、程なくして佐野氏も「真一」から「眞一」に氏名表記を改めた(注・文末の【訂正】を参照下さい)。
山根一眞氏は『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館文庫、全15巻)など多くの著作をもつ、ノンフィクション界のトップランナーである。

山根本P131 山根本P132

昭和五三年に姿を現した埋め立て地、二三ヘクタールの城南島である。
 城南大橋を下るとY字路に出て、左へ折れると七〇を数える工場や倉庫に至るが、直進方向はまだほとんど手がつけられていない。
 どこまでも鉄条網に囲まれたまっすぐなそのアスファルト道路の両側は、茫漠(ぼうばく)と雑草が繁っているだけで、何もない。路上にはせわしく往復するダンプカーが撒(ま)き散らしていった泥でいつも汚れている。舗装道路にもかかわらず、晴れた日には泥埃が舞い、雨の日は泥濘(でいねい)が蠢(うご)めく。その他にここで動くものといえば、機首を下げ脚を出し終えてB滑走路を目前にした銀色のジャンボジェット機が地上をなぞっていく巨大な影だけである。心がなごむものは何一つ見えず「東京の一等僻地(へきち)」と揶揄(やゆ)される。土埃と雑草、そして間断ないダンプカーだけの一本道は、やがて行き止まりになる。》

(山根一眞『ドキュメント 東京のそうじ』PHP研究所、1987年12月刊行、131~132ページ/読みにくい漢字には取材班がルビを振った)

七八年に埋め立て工事が完了した東京湾・城南島の動物愛護センターに行くには、JRの大森駅から背の高い雑草群が生い茂る鉄条網ぞいの一本道を車で二〇分以上走らなければならず、付近の建物といえば、寒々とした倉庫群しかない。道路は舗装されているが、激しく行きかうダンプカーが絶え間なく砂埃をまきあげ、あたりにあるものをなにからなにまで白茶けさせている。ここと指呼の間には羽田空港の滑走路があり、ジャンボジェットの巨大な機影が、間断なく上空をおおっている。だが、そうした近代的都市景観は、かえってこの土地を、荒涼たる光景にみせている。山根一眞の『ドキュメント東京のそうじ』によれば、人はここを「東京の一等僻地」と呼びならわしてきたという。

(佐野眞一『日本のゴミ』講談社、1993年8月刊行、359ページ)

佐野本P359

なるほど、佐野氏は『ドキュメント 東京のそうじ』を参照したことを明記してはいるものの、引用は《人はここ【※取材班註=東京都動物管理事務所・動物愛護センター周辺】を「東京の一等僻地」と呼びならわしてきたという。》という部分のみにとどまる。それにしては、文章全体があまりにも山根氏の記述と類似している。

山根氏による取材当時、現場周辺では羽田空港の沖合移転工事(第2期/93年9月にオープン)が進められていた。

《今、羽田空港沖では、新滑走路建設のため昭和六五年【=1990年】の竣工を目指し埋め立て地の造成が猛全と進んでいる。その規模、八〇九ヘクタール。埋め立てに要する土砂は五〇〇〇万立方メートルに達する。ダンプカーに満載されてくる土砂は、B滑走路の延長線上一・五キロに位置する埋め立て地、城南島に続々と運び込まれ、そこから海底を貫くベルトコンベアーで埋め立て現場へと送られている。》

(山根一眞『ドキュメント東京のそうじ』131ページ)

87年12月に発刊された山根氏『ドキュメント 東京のそうじ』は、1年半にわたる取材に基づいている(226ページのあとがきによる)。

93年8月に発刊された佐野氏『日本のゴミ』は、90年2月から91年6月にかけて雑誌「モノ・マガジン」に連載された「水際(みぎわ)の肖像」をベースにまとめたそうだ(382ページのあとがきによる)。

山根氏「あとがき」から、同氏が取材をした時期は85年頃~87年頃までと推測できる。一方で、佐野氏の取材期間が90年から91年6月。同じ場所を二人が取材するにしても、5年の隔たりがあり、埋立地の造成が急速に進んでいた当時、全く同じ光景を見ることはむしろ困難なのではないだろうか。
佐野氏が「モノ・マガジン」取材を始めた時点で、山根氏が目にしたのと全く同じように(86~87年)、ダンプカーが猛然とあたりを行き交って泥埃が舞っていたのだろうかという疑問は拭えない。
なぜなら、城南島への土砂搬入、ならびに埋め立て地の造成は、佐野氏が取材を開始したとされる90年には終了しているからだ。

なお、佐野氏『日本のゴミ』は97年にちくま文庫で文庫化されている。同書358ページを確認すると、《山根一眞の『ドキュメント東京のそうじ』によれば》《山根一眞の『ドキュメント 東京のそうじ』(PHP研究所)によれば》と変えた以外には、疑惑の箇所に修正は加えられていない。

章タイトルのつけ方にも類似点が……

山根氏『ドキュメント 東京のそうじ』と佐野氏『日本のゴミ』の章タイトルも比較してみよう。

山根本目次

 ・第一章 新幹線のそうじ
 ・第二章 国際線旅客機のそうじ
 ・第三章 糞尿のそうじ
 ・第四章 犬猫のそうじ
 ・第五章 浮浪者のそうじ
 ・第六章 競馬場のそうじ 

(山根一眞『ドキュメント 東京のそうじ』)

佐野本目次

 ・第一章 自動車のおわり
 ・第二章 ファッションのおわり
 ・第三章 OAのおわり
 ・第四章 紙のおわり
 ・第五章 電池のおわり
 ・第六章 ビルのおわり
 ・第七章 水のおわり
 ・第八章 医療のおわり
 ・第九章 食のおわり
 ・第一〇章 器のおわり
 ・第一一章 核のおわり
 ・第一二章 生きもののおわり

(佐野眞一『日本のゴミ』)

山根氏の本では章タイトルを「××のそうじ」というパターンで統一しているのに対し、佐野氏の本では章タイトルを「××の終わり」というパターンで統一している。この点についても、佐野氏が山根氏の著作からインスパイアされたのでは?という印象をぬぐえない。

(2012年10月29日脱稿/連載第7回へ続く)

【訂正】
山根一眞氏についての記述に誤りがありました。本連載では山根氏が「一真」という名前から「一眞」に表記を改めたと記載しましたが、山根氏の名前は一貫して「一眞」です。たとえば山根氏が共同執筆者を務める書籍『ドキュメント永大処分』(78年刊行)では「山根一真」名ですが、これはかつて新聞や出版物で人名に「眞」という表記が使えなかった事情によります。山根一眞様にお詫びのうえ訂正します。
(2012年12月26日記)

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