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伊藤計劃のテーマを継ぐ、新世代作家たちの共演

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伊藤計劃のテーマを継ぐ、新世代作家たちの共演

〈SFマガジン〉編集長の塩澤快浩さんは「まえがき」で、このオリジナル・アンソロジーの成りたちについて次のように述べている。

 伊藤計劃という作家と、『虐殺器官』『ハーモニー』という二冊の長篇は、明らかに日本SFを革新し、その書き手と読み手を若い世代へと広げることになりました。

 そんな不世出の作家に捧げるSFアンソロジー『伊藤計劃トリビュート2』に収録されているのは、小説新人賞『ハヤカワSFコンテスト』からデビューした二十代作家五人、そして伊藤氏を敬愛する弱冠十八歳のアーティスト、ぼくのりりっくのぼうよみによるSF短篇たちです。

 テーマは前巻『伊藤計劃トリビュート』と同様、”テクノロジーが人間をどう変えていくか”という問を内包したSFであること。それに加えて偶然ながら、すべての作品で、”異質な存在との対話/コミュニケーション”が描かれることになりました。

 収録作品中いちばんの話題作は、第4回ハヤカワSFコンテストで特別賞を獲得した草野原々「最後にして最初のアイドル」だろう。デビュー作がそのまま、ここに収録されたわけである(先行して電子書籍で単独刊行されているが)。作者自身は伊藤計劃を意識して執筆したわけではないと語っているが、どこかに共通するテーマや表現があれば、伊藤計劃の影響もしくは共時性を云々されてしまうのは、まあ、最近の作品の宿命である。

 もっとも、SFの伝統的なアイデア分類でいえば、伊藤計劃よりもずっと古いタイプの壮大な宇宙未来史だ。タイトルがオラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』に由来していることはいうまでもないだろう。ただし、ステープルドンが人類が宇宙的進化の階梯を登り、異様な存在へと変貌していく、いわばエスカレーションの小説だったのに対し、「最後にして最初のアイドル」はある仕掛けによって読者の”いま”へと逢着する。タイトルに「アイドル」とあるので、キワモノかユーモア作品と思って読むとビックリするはずだ。アイドルに興味のあるひとはもちろん、興味のないひともこの作品の結論と無縁ではいられない。ちょっとグレッグ・イーガン的でもある。

 しかし、物語がはじまるときにはそんな気配は微塵もない。なにしろ最初の文章が「古月みかはアイドルが好きだった」だ。みかは高校で新園眞織と出会い、自分自身がアイドルになることを目ざす。キラキラ輝くステージに立つ日を思い描き、いくつもの挫折を乗りこえ、激しい逆風に堪える青春。そして、いったんはあえなく途絶えたかに思えたみかの夢は、親友の眞織によって復活する。おりしも地球環境の激変により、人類は生き残りをかけて共生細菌〈ノヴム・オルガヌム〉を生みだしていた。医学を究めた眞織は〈ノヴム・オルガヌム〉を利用して、みかを〈第二代アイドル〉へと進化させたのだ。

 おいおい、それってもうアイドルじゃなくなっているよね、と思わずツッコミたくなるが、当のみかの意識のなかでは自分なりのアイドル活動があり、それに基づいて地球環境へと働きかけていく。ポストヒューマンのアイドル活動だから、人間にはもちろん理解できない。自己進化を繰り返すみかは、やがて地球どころか宇宙すら席巻してしまう。

 妙なドライヴ感のある小説だ。たとえば太陽フレアの異常に関するこんな記述がある。

観測が示す唯一の可能性は磁気単極子(モノポール)だ。S極のみ、あるいはN極のみの素粒子が太陽の磁力線に付いているという可能性だ。現代物理学のパラダイムにおいて、モノポールが発生するのは、宇宙初期のインフレーションのみであり、たとえそこで発生しても、宇宙膨張により拡散し非常に稀な存在になっているはずあった。しかし、現に観測されているのだからしょうがない。太陽フレアは太陽の周囲に大量に存在するモノポールによって発生したと考えるのが妥当であった。いつしか、〈モノポール・スーパーフレア〉という名称が定着していった。

 こんな説明的な文章がポンポン繰りだされるのだが、それが物語の流れを阻害しない。というよりも、こういう文章が流れをつくりだしていく。絶妙なセンスといえよう。

 ちょっと驚いたのは、このアンソロジー収録作品は一篇をのぞいて、いずれも文章が説明的なことだ。現代SFでは設定やアイデアは説明せず物語の向こう側に立ちあがるように書くのが上等とされる。それを究めたのがジェイムズ・ティプトリー・ジュニアだった。しかし、本書の寄稿者はそうした潮流に逆行しているかのようだ。あるいは、小説としての洗練よりも、テーマを端的に打ちだす作品が求められるようになっており、それは塩澤編集長が指摘する〔日本SFの革新〕〔書き手と読み手が若い世代へと広がったこと〕とも関係しているのかもしれない。

 注意深く読まないと設定や構成が把握できない手強い『ニルヤの島』でデビューした柴田勝家も、本書に収録された「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」では、特異な種族に関するレポートいう形式で、非常にわかりやすい叙述をおこなっている。この種族は生まれたときからヘッドセットを着け、ヴァーチャル・リアリティのなかで人生を送る。近未来が舞台だが、土俗的な神話や習俗を語るような調子が面白い。外部から来た研究者が、この一族の男性が眠っているうちにヘッドセットを外したところ、目覚めた男は現実にとまどって発狂してしまったという都市伝説まで紹介されている。テクノロジーに関するディテールがしっかり描かれているが(そのぶん説明的にならざるを得ない)、それを別にすると、カルヴィーノの『見えない都市』の一エピソードみたいな読み味だ。

 黒石迩守「くすんだ言語」は、伊藤計劃『虐殺器官』と同様、人間の欲動を直接に刺激する言葉を題材としている。伊藤作品と異なるのは、その言葉は人為的に仕組まれたのではなく、コミュニケーションを円滑化するためのテクノロジーの副産物として発生する点だ。そのメカニズムとプロセスが、情報理論と言語心理学にまたがって、もっともらしく考えられている。脳の言語野に接続して、異なる言語を使う者のあいだでも、普遍的な意思伝達を可能にする《コミュニケーター》なるアプリケーションが開発される。《コミュニケーター》は支障なく機能するが、母語と外国語とのあいだを埋めるために脳が抽象的な中間言語をつくりだしていることが確認された。これは当初より想定されていたことで、中間言語そのものに害はない。中間言語は、あくまで個人の意識下にあって、本人以外は世界の誰にも理解されない閉じた領域だ。しかし、《コミュニケーター》がその中間言語にアクセスして、分散型ネットワーク全体に広げてしまう。《コミュニケーター》そのものは意味を解して翻訳しているのではなく、ネットワークを検索して当該言語を用いている複数の話者の用例を重ねあわせることで翻訳の精度をあげているだけだ。中間言語は翻訳されぬままネットを走りつづけ、すべてのユーザーを浸蝕していく。自分と他人の中間言語が混ざりあい、意識下に直接に作用する言語が発生する。「死ね」という言葉も「愛している」という言葉も表徴や記号ではなく、生の思考として感得され、ひとはそれに逆らうことはできない。

 ぼくのりりっくのぼうよみ「guilty」は、驚異的な演算能力を備えた機械がそれぞれの個人のあらゆる選択を代行するようななった時代と、その機械が人間に対する興味を失ったあとの無秩序で文化も退行した時代とを対比的に描いてみせる。

 伏見完「あるいは呼吸する墓標」は、個々人の健康状態を完璧に管理する医療サービスAReNAが実現するが、その巨大なシステムを維持するための元々のサーバ群では足りず、生体が計算資源として利用されている。人間の脳はもっとも良質のリソースだ。AReNAとどうつきあっていくかがこの時代の至上命題であり、集団ごとにその手段は異なっていた。そして、もし死体の脳が利用できるなら、計算能力不足は一気に解消できると考える者があらわれる。まさに『屍者の帝国』の根本にある発想の新しいバリエーションである。

 先ほど、このアンソロジーは「一篇をのぞいて説明的な叙述の作品ばかり」といったが、その一篇とは小川哲「ゲームの王国」である。この作品だけで、ページ数の半分以上を占めている。1950年代半ば以降の内戦がつづくカンボジアが舞台の群像劇で、章ごとに視点が切り替わり、謀略と裏切り、そのなかで潰される者の怨嗟の歴史が綴られる。うねるような物語だが、他人の嘘を見抜く直感を持つ少女イジャヤと大局的にゲームを捉える視野と頭脳を備えた少年ムイタックとが出会い、いよいよタイトルの「ゲームの王国」の輪郭があらわれるところで、〈to be continued〉の文字が。ここに収録されたのは抜粋とのことで、完成した長篇は三月刊行予定。未発表部分はかなりSF味が増すらしい。

(牧眞司)

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